長文集  11月4週  ○「意地」という日本語は(感)  nu2-11-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/07/26 18:02:38
 【1】「意地」という日本語は、広い意味
ではこころをさすが、こころのなかでも、自
分の思ったことをやり通そうとする気持ちを
あらわしているようである。したがって、意
地は意志といってもよかろう。
 【2】ところが、そのような意志を、どう
いうわけか日本人はあまりこころよく思って
いなかったようである。その証拠に、意地と
いう言葉はけっしていい意味に使われていな
い。【3】「意地が悪い」とはいうが、「意
地がいい」とはいわないし、「意地がきたな
い」とはいっても、「意地がきれい」とは使
わない。「意地にな る」というのは、わざ
と人にさからうことだし、「意地を張る」よ
うな人間はけっして好まれない。【4】こう
見てくると、日本人は意地を持てあましてい
るとさえいえそうである。それはなぜなので
あろうか。
(中略)
 では、「意地」と「意志」とはどのように
ちがうのか。【5】「自分の思うことを通そ
うとする心」(『広辞苑』)という意味にお
いては、たしかに「意地」は「意志」と同義
のように思えるが、たとえば「男の意地」「
女の意地」「武士の意地」などというときの
意地は、けっして意志と同じではない。【6
】こころみに「男の意地が立たない」といっ
た表現を「男の意志が立たない」といいかえ
てみれば、それがよくわかる。「意志が立た
ない」などという言葉はあまりきいたことが
ないが、あえてそれを解釈すれば、「こころ
ざしが立たぬ」、つまり、だらしがないとい
うことになるのだろ う。【7】「男の意地
が立たぬ」というのを、「オレはそんなだら
しない男ではない」の意と解することもでき
ようが、「意地が立たぬ」は、もっとべつの
ニュアンスを持っているように思われる。【
8】だから、これは外国語には絶対に翻訳で
きない日本的な感情の表現というしかない。
 では、そのような「意地」とは何なのか。
それにはやはり、「意志」と比較して考えて
みるのがいちばんである。
 【9】まず第一に気付くのは、「個人の意
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志」とはいうけれど も、「個人の意地」と
はいわないということだ。また、「男の意 
地」とは∵いうが、それを「男の意志」とす
るとおかしなことになる。【0】ここから、
「意志」というものが、あくまで個人のもの
であるのに対して――むろん、みんなの意志
ということもあるが、その場合でもそれは個
人の意志の集まりであって、意志の原点はあ
くまで個人にある――「意地」とは集団に共
通したある種の表象、個人の意志から独立し
たいわば「公認された意志」であることに気
付く。つまり、「男の意地」というのは、男
ならばとうぜん持たねばならぬ気構えのこと
であり、それはけっして個人的なものではな
く、あくまで社会、あるいは特定の集団に課
せられているある種の規範なのである。
 だとすれば、「意志」と「意地」のちがい
は、意志は個人的なものであるが、意地は社
会的・集団的なものである。だからこそ、「
男の意地」「女の意地」「武士の意地」「ヤ
クザの意地」「若者の意地」というふうに、
意地はすべて集団に帰属するのだ。その「意
地」を「意志」という言葉におきかえると、
まったく意味をなさないのは、意志はあくま
で個人個人のものだからにほかならない。
 (中略)
 共通のイメージに自分を合わせる、らしく
あろうとする――いずれにしても、それは骨
の折れることにちがいない。だから「意地を
通す」ことは窮屈になる。『草枕』の主人公
は、そのように自分の「意志」からではなく
、世間的な共通のイメージに合わせて「意 
地」を張るのがホトホトいやになって、「非
人情」の天地を求め、山の中へ入って行った
。彼は「意地」を通すかわりに、自分の「意
志」をつらぬいたのである。

 (森本哲郎『日本語 表と裏』(新潮文庫
)より)