長文集  11月3週  ★わたしのところに(感)  nu2-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】わたしのところに、父親のすすめる
学校に行くのはいやだから家出したいとか、
高校の娘が化粧のことで注意したら、ろくに
口もきかなくなったというような手紙がきて
いる。こんな状態を、世では親子の断絶とい
うのだろう。
 【2】なぜ、このような断絶がくるのか。
断絶などという言葉をつかうと、事は深刻に
見えてくる。だが、ありきたりの言葉でいえ
ばお互いの「わがまま」なのだ。わたしは以
上の話をきいて要するに「わがまま」な話だ
と思った。
 【3】「わがまま」というのは、身近なも
のの間にほど現れる現象である。他人同士だ
と、相手の話をよく聞こうとする姿勢があ 
り、相手の身になって、相手を傷つけないよ
うにと心を配るが、親子や、兄弟、夫婦など
には、つい「わがまま」が出てしまう。
 【4】「わがまま」とは、何か。我のまま
、我の思うままにふるまうこと、つまり、自
己中心的にふるまうことだ。この世のいざこ
ざは、この自己中心が原因なのだ。
 【5】「受容」という言葉がある。受け入
れるという意味だが、断絶、わがままは、相
手を受け入れない姿勢なのだ。
 親子にしろ、夫婦にしろ、毎日生活して、
同じ家に、同じ食べ物を食べて生きていると
、つい相手を自分と同一の人間であるかのよ
うに錯覚してしまう。特に親は子どもを、自
分の血肉(けつにく)をわけた者として、文
字通り自分の分身だと思いこんでいる。
 【6】何の問題もない時は、自分に顔が似
ていたり、同じ食べ物が好きだったり、似た
性格だったりする相手は、たしかに分身に思
われ、一体感を感じさせる好ましい存在なの
だ。
 【7】だから、一朝、恋愛問題や進学問題
など、どうしてもはっきりとした態度を取ら
ねばならぬ事態に直面し、意見が異なると、
たちまち、お互いの態度は硬化する。受容の
精神が欠けているの だ。だから、相手を絶
対に受け入れない。【8】「あんな女のどこ
がいい」∵「断じて、この学校にはいる」「
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こんな話のわからぬ親はごめんだ」「親のい
うことをきかぬわがまま者」とお互いにゆず
らぬことになる。
 【9】わたしたち人間には、教養、性格に
かかわりなく、自分と同じ考え、同じ思想に
なれないものはイカンという、ぬきがたい感
情がある。相手が自分と同じ考え方をしない
と憎む、というこの感情は親子の場合も同じ
であろう。
 【0】これは、なぜか。一人一人は、顔の
ちがうようにまったくちがった人格の持ち主
だというこの簡単な事実を認めないからであ
る。相手は自分ではないという自明のことが
わかっていないからである。
 さらにいえば、相手から見れば、自分もま
たちがった人間であるということ、その自分
を認めてほしいように、相手も認めてほしい
のだということがわからないということなの
だ。つまり、この世の一人一人はみんなちが
った思想や考えを持って生きていることを、
認めたくないということなのだ。
 というのは、みんな自分と同じ顔でないの
はけしからん、といっているわからずやのよ
うなものなのである。
 では、なぜ、相手が自分と同じ考えの人間
でなければならないのか。なぜ、わたしたち
は、他の人を認めないのか。よく考えてみよ
う。それは、自分は絶対正しい人間だ、自分
は最もよい人間だという考えを、無意識のう
ちに心の奥深くに根強く持っているからだ。
そんなに、わたしたちは「正しい」だろうか
、「よい人間」だろうか。否である。
 が、この世の憲法は自分なのだ。カンニン
グした時に、隣の友だちがカンニングしない
とそれは、いやな奴(やつ)なのだ。
 わたしたちにとって、話のわかる人間とい
うのは、自分と同じ考えを持つ人間、自分の
いうことを聞く人間なのだ。この世のすべて
の人が、自分と同じ考えになったら、どんな
ことになるか。
 それは頭を冷やして考えてみたら、すぐわ
かることだ。「それほど自分は正しいのか」
、自分という人間をよく胸に手を当てて考え
∵てみたら、わたしたちは、親子でも、きょ
うだいでも、夫婦で も、友人でも、自分の
考えを相手に押しつけたり、激しく拒否した
りすることはなくなるはずなのだ。
 この自分の存在が認められたいのなら、他
の存在をも認め受容して生きていかねばなら
ない。車でも、相手を認めずに突進したらど
うなるか、大ケガや死を招くだけである。

(三浦綾子「あさっての風」より)