1. 【1】
粗大ゴミのゴミ
捨て場へ行くと、まだまだ使えるものがいっぱい
捨ててある。それは
環境を
汚染するわけです。そんなことならばもうちょっと高くても
品質のいいものを買って、おじいさんから孫まで生活の思い出の残るものをずっと伝えていけば家具なども
捨てなくていい。【2】そうすればゴミ
捨て場もそれだけよけいな
負担を
背負わずにすむわけです。けれども、日本人は使っては
捨て、使っては
捨てという生活に
疑問を持っていません。
2. 【3】何年も
寸法ひとつ
狂わずに、引き出しも
扉もピッタリとしている家具への愛着は、毎日の
暮らし、人生、自分の世界をつくっていたものへの愛でもあり、そういう年月に
耐えるものをつくった人の
腕前に対する
尊敬でもあるわけです。
3. 【4】たとえば何代も読みつがれる名作といわれる文学作品は、アブク(あわ)のように消えるいわゆる「よみもの」よりも多くの人に長く愛され、
尊敬されているでしょう。いつまでも
本棚に置いておきたいと思うでしょう。【5】そこから得たものは、それぞれの
人格の中に深くはいりこんで、読者の人間を
豊かにしたでしょう。すぐに
忘れ去る一過性のよみものとは、
違うものだと思います。それはモノに対しても同じであるはずなんです。
4. 【6】一方で
使い捨ての安物を買っていると思えば、他方では五万円もするような
化粧品のクリームも売れている。その
原価は五分の一以下と言われているのに、
独占によるチェーンストアヘの
支配が強くて、ほんとうの市場
価格まで下がりません。【7】公正取引委員会が
外圧(外部の力)によって、やっと重い
腰を上げ、最近、一、二の小売店で
値崩れを起こしています。
私たちは
幻に対しておカネを
払っていたのです。
5. 家の中には、
誰も
弾かないピアノやオルガンもあれば、テレビもあります。【8】ビデオデッキも、CDプレイヤーもあります。
地震があれば
押しつぶされるのはあたりまえだというくらい、いろいろな∵ものが置いてある。ほんとうの安全には
手抜きをした家の中に、そして安全を
手抜きした町づくりの中に、変なぜいたくがあるのです。こういう
豊かさはおかしいのではないかとおもいます。
6. 【9】では、ほんとうの
豊かさ、なんとなく
豊かな気持ちで毎日が送れる時とはどういうときかと考えてみますと、『パパラギ』という本をお読みになった方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、南のある島の
酋長が書いた本です。【0】その中で、こういうことを言っている。人間というのは頭だけで生きているのではない。足だけで生きているのでもないし、手だけで生きているわけでもない。心もあるし、身体もあるし、頭もある。頭も手も心で感じることも、目も耳も全部が同時に満足することが必要だ。ひとつに
統一された満足感が必要だ。そういう生活が、人間として幸せで
豊かな生活なんだと言っている。
7. 頭だけあるいは手だけを
酷使して、ほかのところを
顧みないと、人間は必ず病気になり、健康な心と身体を失う、と言っています。つまり人間は、全体で生きていて、全体を働かせ、全体を楽しませ、全体がひとつになって幸せになることが
豊かなのだと言っているのです。一部分だけが満足している
状態は、病気だと言っているのです。
8. 同じことは教育の中にもあります。教育は全
人格的
発展、人間としての成長を
促すものですが、
現在、日本の教育は
偏差値の点をとる教育になっています。だから人間の子として楽しくないのです。
9. また、日本は労働時間が
非常に長い。残業をすれば手当てももらえます。お金だけ、あるいは
企業の中で出世することだけを考えれば、頭と
職業に必要な手、目だけを働かせて「
職業バカ」になることもできる。それが日本では大変いいことだと考えられている。あの人は会社のために
妻も子も
忘れ、一身を
捧げて、ただただ会社のために
尽くしてきた。
企業にとってはいい社員であるのですが、そういうのは
豊かではないと『パパラギ』は言っている。
10. つまり、会社人間はある
専門的なことについてはベテランになっ∵ていくし、お金も
儲けるかもしれません。しかし、もしその人が学校を出てからまともな本を一
冊も読んでいない。自分の仕事にかかわるものは読んでいるかもしれないが、人間の土台になる教養というものは、何も身につけていない。会社で働くだけで、それこそ図書館にも行かないし、山登りもしないし、音楽会にも行かないし、
地域社会のために何かをするということもしない。ただ会社で働くだけ。だとしたら、まったく
豊かではありません。それは人間としての生活ではないからです。
11.(
暉峻淑子「ほんとうの
豊かさとは」より)