1. 【1】音楽に
限らず文化というものは、共有
財産として
皆が自由に使える形で
常に身の回りにあってこそ
発展するという面をもつ。【2】モーツァルトの音楽を
聴くと牛の
乳の出が良くなるとか、良い子が育つというような話が本当かどうかはともかくとして、音楽がコンサートの場だけでなく、様々な社会的局面で人間を育み、文化を
涵養してゆく
機能を果たすことを考えれば、それらが自由に使えるということは重要なことである。【3】少なくとも、モーツァルトの音楽を使うたびに
著作権料を取られていたのでは、そのような文化の広がりが望めないばかりか、音楽の
創作活動自体も
窒息してしまうだろう。
2. 【4】アフリカ
諸国などでは、自国の音楽文化が西洋の音楽家にリソースとして勝手に使われることに
対抗し、西洋の
著作権の考え方を
導入したことがかえって地元の人々の音楽活動を
抑制する結果になってしまったりもしたようだ。【5】それらの
地域には、
皆が共通に使えるメロディなどの
素材を共有
財産としてストックし、使い回すことによって新しい音楽づくりをしてゆく文化があった。西洋の
搾取をおそれるあまり、
彼らの
日常そのものが
変質し、
窒息させられてしまったのである。
3. 【6】アフリカだけの問題ではない。西洋の近代文化は、作者
個人の
独創性をことさら
重視する文化には
違いないが、それが「文化」である
限り、その
独創性は決して作者一人のものではありえない。【7】バッハやモーツァルトなど、多くの先達たちの残した「
遺産」に取り囲まれ、それらを
模倣したり
換骨奪胎したりして
摂取する一方で、それらと
対峙しのりこえることを通して、音楽文化は育まれてきた。
4. 【8】「
保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有
財産として
皆で分かち合い、
余すところなく使い回すための公共の場が
確保されていることは、文化を生み出す
土壌には
不可欠なのである。【9】
著作物の
保護年限がどんどん
延ばさ∵れてゆく今日の
風潮の中で、
著者の「
権利」に目を
奪われるあまり、文化のそういう側面が
忘れられてはいまいか。
5. 【0】
個人情報保護もそうだが、文化は社会全体で育ててゆくものだという
視点を失い、
個人の
権利だけが
暴走するのはこわいことだ。
著作権という考え方自体、決して
一枚岩的に成立したわけではなく、
芸術の社会的位置や文化産業のあり方の変化の中で、西洋社会が
皆で工夫を加えながら育んできたものだ。西洋社会がこのような考え方をなぜ必要とするにいたったか、それが日本の社会に何をもたらし、何を失わせたのか、そういうことをあらためて
認識しなおすことが今求められている。
6. (
渡辺裕『考える耳』(春秋社))