長文 10.2週
1. 【1】そのつもりになって神経しんけいを集中、注意すれば、われわれの能力のうりょく大幅おおはばにアップする。たとえば、騒音そうおんのひどい電車の中で会話をしている二人がいるとする。聞きづらいにしても、なんとか互いにたが  言っていることがわかる。【2】ところがこれをテープレコーダーで録音して聞いてみると、全体が雑音ざつおんでぬりつぶされてしまい、なにを言っているのか、まるでわからない。
2. 【3】機械は正直に音をとらえているのだが、それではわからない声を話している当人たちは聞きとっている。必要な音だけを選んで、不必要な音をすてて聞きとっていることがわかる。【4】機械はただ聞いているにすぎないが、人間は注意して、大事な音だけをとらえるからこういう違いちが が出る。同じ人間でも、当人ではなく、そばで立ち聞きしている人には、テープレコーダーほどではないにしても、聞きとれないところがずいぶんあるにちがいない。
3. 【5】こどもが重い病気にかかって、その母親がつきっきりで看病かんびょうしている。連日の寝不足ねぶそくで、母親は、ときどきまどろむ。そんなとき、台所でものが落ちて大きな音がしても、母親の目は覚めることはない。【6】ところが、目の前の病児が、なにか小さな声でうわごとのようなことでも言うと、母親はハッとわれにかえり子供こどもの顔をのぞく。
4. 【7】看病かんびょうする母親にとって、台所の物音など問題ではないから、いくら大きな音がしても、目を覚ましたりはしない。それが気にかけているこどもだと、ほんの小さな声でも聞きもらすことがない。【8】心を向けているところにはたいへん鋭敏えいびん神経しんけいがはたらくのである。
5. 「気をつけ」という号令をかける。これは、注意力を集中させ、力を発揮はっきするようにということである。【9】体操たいそうなどでは「気をつけ」によって、もっている能力のうりょくを高めることができる。ぼんやり、注意散漫さんまんにしていては、なにもできない。
6. スポーツですばらしい力をだすのは、集中しているからである。【0】集中が持続できなくて、崩れるくず  と、それまででは考えられないようなミスが出たりして、試合ならたちまち負けてしまう。スポーツで勝つには、何としても、始終集中を維持いじする必要があるのであ∵る。スポーツの選手はこのことを経験けいけんでよく知っている。集中できないで、強くなったり、試合に勝つことはできない。
7. 勉強のよくできる生徒が、スポーツでも優秀ゆうしゅう成績せいせきをおさめることがあるのは、勉強を通じて体得した集中力をスポーツでも発揮はっきするからである。逆にぎゃく また、スポーツで養った集中力を勉強に生かせば短い時間で効率こうりつのよい学習ができる。文武両道ぶんぶりょうどうといわれるのは、こうした集中力を頭の活動にも、体の活動にも、うまく使っているケースのことである。
8. ところで、この集中力を持続するのはなかなか容易よういなことではない。それが可能かのうになるには、訓練が必要である。
9. 「陸上競技きょうぎの四百メートル走で、全部を短距離たんきょりのように疾走しっそうすることは難しいむずか  。それで四百メートルは中距離ちゅうきょりということになっていた。かつてソ連で、これを短距離たんきょりなみに、始めから終わりまで全力を出し切って走る方法を考案、実地に試みて成功した。その結果、四百メートルは短距離たんきょりなみに走ることができるようになったのである。
10. どうして、それが可能かのうになったのか。まず四百メートルを百メートルずつ四つに区分し、それぞれを十メートルと九十メートルに分ける。そして十メートルを全力疾走しっそう、九十メートルは力を抜いぬ て走る。これを四回くりかえすと、四百メートルになる。それに慣れな たら、二十メートルと八十メートルにして、同じく全力疾走しっそうと力を抜いぬ た走り方をする。次は、三十メートルと七十メートル、さらに四十メートルと六十メートルにし、やがて全力疾走しっそう九十メートル、流す走り十メートルにし、ついには九十九メートル、百メートルの全力疾走しっそうにこぎつける。こうすれば四百メートルすべてが、短距離たんきょりと同じような走り方ができるようになる。すこしずつ集中持続をのばしていく方法である。」
11. 勉強における集中持続もたような具合にのばすことができる。
12. 大体、三十分くらいの集中継続けいぞくなら、一カ月もすればできるようになるであろう。よくを言えば、もうすこしのばして一時間くらいに∵したい。それができるようになればしめたものである。
13. 集中しているかどうかは、メトロノームのような音を出すものをそばにおいてしらべる。その音が気になるようなら、注意が集中してない証拠しょうこである。没頭ぼっとう夢中むちゅうになれば雑音ざつおんなど気にならなくなる。
14. 勉強はどれくらい長い時間、つくえに向かっているかではなく、どれだけ集中しているかによって成果がきまってくる。だらだらした長時間勉強など、そもそも勉強の中に入らない、と言ってもよいくらいである。

15.(外山滋比古とやましげひこ「ちょっとした勉強のコツ」より)