ヌルデ2 の山 10 月 2 週 (5)
★そのつもりになって(感)   池新  
 【1】そのつもりになって神経を集中、注意すれば、われわれの能力は大幅にアップする。たとえば、騒音のひどい電車の中で会話をしている二人がいるとする。聞きづらいにしても、なんとか互いに言っていることがわかる。【2】ところがこれをテープレコーダーで録音して聞いてみると、全体が雑音でぬりつぶされてしまい、なにを言っているのか、まるでわからない。
 【3】機械は正直に音をとらえているのだが、それではわからない声を話している当人たちは聞きとっている。必要な音だけを選んで、不必要な音をすてて聞きとっていることがわかる。【4】機械はただ聞いているにすぎないが、人間は注意して、大事な音だけをとらえるからこういう違いが出る。同じ人間でも、当人ではなく、そばで立ち聞きしている人には、テープレコーダーほどではないにしても、聞きとれないところがずいぶんあるにちがいない。
 【5】こどもが重い病気にかかって、その母親がつきっきりで看病している。連日の寝不足で、母親は、ときどきまどろむ。そんなとき、台所でものが落ちて大きな音がしても、母親の目は覚めることはない。【6】ところが、目の前の病児が、なにか小さな声でうわごとのようなことでも言うと、母親はハッとわれにかえり子供の顔をのぞく。
 【7】看病する母親にとって、台所の物音など問題ではないから、いくら大きな音がしても、目を覚ましたりはしない。それが気にかけているこどもだと、ほんの小さな声でも聞きもらすことがない。【8】心を向けているところにはたいへん鋭敏な神経がはたらくのである。
 「気をつけ」という号令をかける。これは、注意力を集中させ、力を発揮するようにということである。【9】体操などでは「気をつけ」によって、もっている能力を高めることができる。ぼんやり、注意散漫にしていては、なにもできない。
 スポーツですばらしい力をだすのは、集中しているからである。【0】集中が持続できなくて、崩れると、それまででは考えられないようなミスが出たりして、試合ならたちまち負けてしまう。スポーツで勝つには、何としても、始終集中を維持する必要があるのであ∵る。スポーツの選手はこのことを経験でよく知っている。集中できないで、強くなったり、試合に勝つことはできない。
 勉強のよくできる生徒が、スポーツでも優秀な成績をおさめることがあるのは、勉強を通じて体得した集中力をスポーツでも発揮するからである。逆にまた、スポーツで養った集中力を勉強に生かせば短い時間で効率のよい学習ができる。文武両道といわれるのは、こうした集中力を頭の活動にも、体の活動にも、うまく使っているケースのことである。
 ところで、この集中力を持続するのはなかなか容易なことではない。それが可能になるには、訓練が必要である。
 「陸上競技の四百メートル走で、全部を短距離のように疾走することは難しい。それで四百メートルは中距離ということになっていた。かつてソ連で、これを短距離なみに、始めから終わりまで全力を出し切って走る方法を考案、実地に試みて成功した。その結果、四百メートルは短距離なみに走ることができるようになったのである。
 どうして、それが可能になったのか。まず四百メートルを百メートルずつ四つに区分し、それぞれを十メートルと九十メートルに分ける。そして十メートルを全力疾走、九十メートルは力を抜いて走る。これを四回くりかえすと、四百メートルになる。それに慣れたら、二十メートルと八十メートルにして、同じく全力疾走と力を抜いた走り方をする。次は、三十メートルと七十メートル、さらに四十メートルと六十メートルにし、やがて全力疾走九十メートル、流す走り十メートルにし、ついには九十九メートル、百メートルの全力疾走にこぎつける。こうすれば四百メートルすべてが、短距離と同じような走り方ができるようになる。すこしずつ集中持続をのばしていく方法である。」
 勉強における集中持続も似たような具合にのばすことができる。
 大体、三十分くらいの集中継続なら、一カ月もすればできるようになるであろう。欲を言えば、もうすこしのばして一時間くらいに∵したい。それができるようになればしめたものである。
 集中しているかどうかは、メトロノームのような音を出すものをそばにおいてしらべる。その音が気になるようなら、注意が集中してない証拠である。没頭、夢中になれば雑音など気にならなくなる。
 勉強はどれくらい長い時間、机に向かっているかではなく、どれだけ集中しているかによって成果がきまってくる。だらだらした長時間勉強など、そもそも勉強の中に入らない、と言ってもよいくらいである。

(外山滋比古(とやましげひこ)「ちょっとした勉強のコツ」より)