長文集  12月4週  ○モーツァルトという  nngu-12-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 15:13:29
 モーツァルトという人類史上まれにみる美
を生み出した、近代西洋の機能和声音楽とは
、人間にとって何なのか、それを考えるため
に、私は若いとき、医者になるのはやめて音
楽学を勉強しようと思ったことがある。音楽
美学のように哲学的・抽象的な概念を問題に
するよりも、音を聴くという具体的な感覚体
験のほうからそれを考えようとしていたのは
、私が医学部生だったからだろうか。
 機能和声音楽では、ソシレの属和音の次に
ドミソの主和音が来ると、音楽が一段落した
という終結感が生み出される。属和音にファ
を加えてソシレファの属七和音にしてやると
、この終結感はもっと明確なものになる。こ
れは、シの音が半音上がってドに向かおうと
し、ファの音が半音下がってミに向かおうと
する、この二つの音のもつ強い方向性のため
である。ある音がそれ自身にとどまろうとせ
ず、自らを離脱して別の音を求めようとする
、ほとんど生理的といってよい法則的傾向、
これが機能和声の基礎になっている。
 平均律でどの半音も等間隔で並んでいるピ
アノのような楽器だ と、それぞれの音は完
全に均質化されていて、だからこそ転調とい
うような技法も可能になるのだが、そこにひ
とつの調性が与えられたとたん、音階上のそ
れぞれの音に、他の音と異質な個性が生まれ
る。鍵盤上のすべての音は、音の高さ以外は
まったく均質であるはずなのに、いったん調
性が与えられると、どの音もそれぞれ異なっ
た未来指向性を示すようになる。
 この個性、たとえばシのド指向性は、人間
の感覚にとって抗いがたいもののようである
。だからピアノと違って平均律に固定されて
いない弦楽器の奏者だと、シの音を弾く場合
、この指向性に無意識にひきずられることに
なり、シをあらかじめドの方向に寄せて、つ
まり平均律より少し高く、純正調に近い音で
弾こうとする傾向が出てくる。モーツァルト
はヴァイオリンソナタを書くとき、ヴァイオ
リンのシとピアノのシがなるべく重ならない
ように注意していたらしい。音が濁らないよ
うにという配慮からである。
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 調性が与えられると音が個性をもつように
なる。調性が与えられるというのは、それを
決める音がすでにいくつか聞こえたというこ
とである。つまり、音楽にその経歴が与えら
れたということであ∵る。音楽が鳴りはじめ
ると、あらゆる音は自らの経歴を、過去の想
起(アナムネシス)を含むことになる。過去
に鳴ったすべての音の積分として鳴っている
といってもよい。そしてこのアナムネシス 
が、現在の音の未来指向性(プロレプシス)
を生み出す。シがド に、ファがミに進もう
とするのは、調性のアナムネシスそのものが
紡ぎ出す微分的な方向のプロレプシスである
。属和音から主和音への進行が終わると、プ
ロレプシスはそこで一段落となり、さらなる
行動への要求が消えて、安定感と終結感が得
られる。
 生命的行動のアナムネシス・プロレプシス
構造というのは、ヴァイツゼカーの理論を語
るときに欠かすことのできない鍵概念であ 
る。人間に限らず、あらゆる生きものの主体
的な行動は、物体の物理的な運動と違って、
「そこから」と「そこへ」の性格をもってい
る。それはつねに記憶に裏づけられた未来の
先取だとヴァイツゼカーはいう。アナムネシ
ス的な経歴に支えられたプロレプシス的な未
来の先取りが、そしてそれのみが、主体の主
体性を可能にしてい る。だから主体という
ものは、つねに現在の最先端でプロレプシス
的に未来を生きている面と、それまでの過去
の全部をアナムネシス的に生きている面との
、境界的性格をもつことになる。(中略)
 人間の感覚は、このプロレプシスの意識と
アナムネシスの意識とのはざまに「時間」を
感じとる。時間という実在があらかじめ与え
られていて、われわれがそれを消費しながら
生きているのではな い。生きるということ
は、行動の各瞬間が過去を継承しながら未来
を先取することによって、その界面に時間と
いう現実を生み出し続けることにほかならな
い。

(木村敏(びん)「音楽と時間」より)