長文 12.1週
1. 【1】本来、特許制度は発明を保護する狙いねら をもっている。技術を「公開」した代償だいしょうとして、発明者に「独占どくせん権」を与えよあた  うとするものである。
2. 技術の公開とひきかえに発明者に与えあた られる独占どくせん権には、三つの効用が期待できる。
3. 【2】一つは、発明に要した開発費用の回収が可能になることである。長期間の悪戦苦闘あくせんくとうの末、発明まで漕ぎ着けこ つ た者が、その発明を模倣もほうされたら、どんなことになるだろうか。発明者は以後、発明の中身を公開しなくなるであろう。【3】実際、模倣もほう者は開発コストがかからないので、発明者よりも安く商品を製造販売はんばいすることができるわけである。もし発明者に一定の独占どくせん期間が与えあた られれば、開発コストは回収され、さらに利益を生み出すことも期待できよう。
4. 【4】二つ目の効用は、社会全体からみて、発明のための重複研究、二重投資が避けさ られ、公開された発明の中身が吟味ぎんみされ、さらにちがった方向の研究に進むことが可能である。
5. 【5】三つ目は、発明が特許によって保障されれば、発明行為こういに火がつき新しい発明および技術開発のための刺激しげきざいにもなりうるだろう。
6. (中略)
7. 歴史上、われわれからオリジナリティを奪い取っうば と た典型的な事例として、よく引き合いに出される文献ぶんけんがある。【6】それが享保きょうほ六年(一七二一年)に徳川幕府が出した触れ書きふ が で、「新規御法度ごはっと(ごはっと)」と呼ばれたものである。新規のことはすべて幕府に対する反逆と決めつけられた。新しいことは何もかも悪とみなされたのである。
8. 「新規御法度ごはっと」とはどんなものだったのか。
9. 【7】一、呉服ごふく物、諸道具、書物は申すに及ばおよ ず、諸商売物、菓子かし類にても、新規に出し候事自今以後堅くかた 停止たり。若しよりどころなき仔細しさいこれある者は役所へ出、許を受け仕出す可き事
10. 【8】一、諸商物の内、古来の通にて事済み候処、近年色品をかわ、物∵数寄に仕出し候類は追て吟味ぎんみ遂げと 停止申付くべく候間、けんむね心得べき事
11. 【9】つまり、呉服ごふくや道具や書物やお菓子 かしにいたるまで、新規のものを製造販売はんばいすることは禁じられたのである。また長い間売ってきたものに、たとえば色を変えるとか、素材に別のものを使って、目先の変化をつけようとすることも禁じられた。
12. 【0】上の触れ書きふ が 享保きょうほ六年のものだが、この手のお触れ ふ はしばしば発せられている。
13. 享保きょうほ六年は、西暦せいれきに直すと一七二一年、先進国のイギリスでは一八世紀の産業革命期を迎えよむか  うとしていた。変革の前夜であった。
14. 日本は産業革命どころの話ではなく、新しいお菓子 かしさえ作ってはいけないといわれた鎖国さこくのまっただなかにあった。新技術をはぐくむ土壌どじょうは幕府によって完全に抑圧よくあつされ、まったく発明への気運を醸成じょうせいするような社会情勢にはなかったのである。人びとは変化を求めず、思想の自由、行動の自由を求めず、ひたすら幕はん体制下の秩序ちつじょを守ることを強いられた。だからこそ、この抑圧よくあつが反発のバネになり、新しい時代を用意するための変革期を迎えるむか  ことになるのである。
15. かりに優秀ゆうしゅうな技術があったにしても、それを公にせず、秘法として自らの内におさめておくことが、為政者いせいしゃの求めるところでもあった。
16. このような変化を嫌うきら 状況じょうきょうでは、「発明の公開」を条件に「独占どくせん権」を与えよあた  うという特許の思想は育ちようもない。
17. たしかに、江戸えど時代も半ばを過ぎると、幕府の出した「新規御法度ごはっと」とは逆に、各はんは、競って新技術・新産業・新商品を求めるようになっていったことは事実である。しかし、欧米おうべいが鉄とか蒸気機関、電信機といったすすんだ発明と特許の関係を論じているとき、日本ではぬり物、紙、ロウソク、醤油しょうゆ、お茶、鋳物いもの、木綿など日常生活の中の小物の改良、改善に関する工夫や技法を問題にしてい∵た。もちろん築城といった巨大きょだい技術もあったが、それは例外中の例外といえる。
18. 永六年(一八五三年)のペリーの来航によって、日本は急速に開国に向かい、西欧せいおうの文物を大々的に導入することになった。こうした流れの中で特許制度も、福沢ふくさわ諭吉ゆきちの「西洋事情」(一八六六―七〇年にかけて出版)によって、日本にはじめて紹介しょうかいされた。

19.(守誠『特許の文明史』より抜粋、調整)