長文集  12月1週  ★本来、特許制度は(感)  nngu-12-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】本来、特許制度は発明を保護する狙
いをもっている。技術を「公開」した代償と
して、発明者に「独占権」を与えようとする
ものである。
 技術の公開とひきかえに発明者に与えられ
る独占権には、三つの効用が期待できる。
 【2】一つは、発明に要した開発費用の回
収が可能になることである。長期間の悪戦苦
闘の末、発明まで漕ぎ着けた者が、その発明
を模倣されたら、どんなことになるだろうか
。発明者は以後、発明の中身を公開しなくな
るであろう。【3】実際、模倣者は開発コス
トがかからないので、発明者よりも安く商品
を製造販売することができるわけである。も
し発明者に一定の独占期間が与えられれば、
開発コストは回収され、さらに利益を生み出
すことも期待できよ う。
 【4】二つ目の効用は、社会全体からみて
、発明のための重複研究、二重投資が避けら
れ、公開された発明の中身が吟味され、さら
にちがった方向の研究に進むことが可能であ
る。
 【5】三つ目は、発明が特許によって保障
されれば、発明行為に火がつき新しい発明お
よび技術開発のための刺激剤にもなりうるだ
ろう。
 (中略)
 歴史上、われわれからオリジナリティを奪
い取った典型的な事例として、よく引き合い
に出される文献がある。【6】それが享保六
年(一七二一年)に徳川幕府が出した触れ書
きで、「新規御法度(ごはっと)」と呼ばれ
たものである。新規のことはすべて幕府に対
する反逆と決めつけられた。新しいことは何
もかも悪とみなされたのである。
 「新規御法度」とはどんなものだったのか

 【7】一、呉服物、諸道具、書物は申すに
及ばず、諸商売物、菓子類にても、新規に巧
()出し候事自今以後堅く停止たり。若し拠
なき仔細これある者は役所へ訴出、許を受け
仕出す可き事
 【8】一、諸商物の内、古来の通にて事済
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み候処、近年色品を 替、物∵数寄に仕出し
候類は追て吟味を遂げ停止申付くべく候間、
兼々其旨心得べき事
 【9】つまり、呉服や道具や書物やお菓子
にいたるまで、新規のものを製造販売するこ
とは禁じられたのである。また長い間売って
きたものに、たとえば色を変えるとか、素材
に別のものを使って、目先の変化をつけよう
とすることも禁じられた。
 【0】上の触れ書きは享保六年のものだが
、この手のお触れはしばしば発せられている

 享保六年は、西暦に直すと一七二一年、先
進国のイギリスでは一八世紀の産業革命期を
迎えようとしていた。変革の前夜であった。
 日本は産業革命どころの話ではなく、新し
いお菓子さえ作ってはいけないといわれた鎖
国のまっただなかにあった。新技術をはぐく
む土壌は幕府によって完全に抑圧され、まっ
たく発明への気運を醸成するような社会情勢
にはなかったのである。人びとは変化を求め
ず、思想の自由、行動の自由を求めず、ひた
すら幕藩体制下の秩序を守ることを強いられ
た。だからこそ、この抑圧が反発のバネにな
り、新しい時代を用意するための変革期を迎
えることになるのである。
 かりに優秀な技術があったにしても、それ
を公にせず、秘法として自らの内におさめて
おくことが、為政者の求めるところでもあっ
た。
 このような変化を嫌う状況では、「発明の
公開」を条件に「独占権」を与えようという
特許の思想は育ちようもない。
 たしかに、江戸時代も半ばを過ぎると、幕
府の出した「新規御法度」とは逆に、各藩は
、競って新技術・新産業・新商品を求めるよ
うになっていったことは事実である。しかし
、欧米が鉄とか蒸気機関、電信機といったす
すんだ発明と特許の関係を論じているとき、
日本では塗物、紙、ロウソク、醤油、お茶、
鋳物、木綿など日常生活の中の小物の改良、
改善に関する工夫や技法を問題にしてい∵ 
た。もちろん築城といった巨大技術もあった
が、それは例外中の例外といえる。
 嘉()永六年(一八五三年)のペリーの来
航によって、日本は急速に開国に向かい、西
欧の文物を大々的に導入することになった。
こうした流れの中で特許制度も、福沢諭吉の
「西洋事情」(一八六六―七〇年にかけて出
版)によって、日本にはじめて紹介された。

(守誠『特許の文明史』より抜粋()、調整