長文 11.4週
1. 「則天去私」というのは晩年の漱石そうせきが作った言葉です。天に則って私を去る、「私」なんてない、というのは「西洋近代的自我」すなわち「私は私であり、その個性は意識にのみある」という考え方に対する、日本人としての反発だったのではないでしょうか。
2. 戸籍こせき制度や漱石そうせきの思想から見れば、こうした近代化というのは明治時代に始まったと考えられます。しかし、日本の場合、こうした思い込みおも こ がここまで確立されたのは戦後でしょう。戦後は、それまでの日本的な考え方を「封建ほうけん的」の一言で片付けてしまった。
3. 今では葬式そうしきといえば火葬かそうがあたりまえですが、高度成長期の前までは土葬どそうも別に非常識な手法ではなかった。これがあっという間に、より死体を遠ざける方向に向かっていった。出来るだけ「死」を日常生活から離しはな ていった。考えないようになった。
4. ほぼ同じ時期にトイレでも同じようなことが起きた。つまり水洗便所の普及ふきゅうです。あれは人間が自然のものとして出すものをなるべく見えないように、感じないようにしたものです。(中略)
5. 同様に戦後消えていったものはたくさんあります。お母さんが電車の中でお乳を子供に与えるあた  姿も見なくなって久しいように思います。
6. 肉体労働者がフンドシ一丁で働かなくなったのはもっと前からのような気がします。(中略)
7. このへんのことにはみな、共通の感覚があるのがおわかりでしょうか。身体に関することが、どんどん消されていったのです。
8. これは都市化とともに起こってきたことです。それも暗黙あんもくのうちに起こることです。世界中どこでも都市化すると法律で決めたわけでも何でもありません。それでもほぼ似たような状態になります。これは意識が同じ方向性もしくは傾向けいこうをもっているからです。
9. 都市であるにもかかわらず、異質な存在だったのが古代ギリシャです。ギリシャ人はアテネというあれだけの都市社会を作っておきながら、はだかの場所を残していたのですから。彼らかれ にとってははだかが非常に身近だった。
10. だれもが知っているのがオリンピックです。これはもともとは全裸ぜんらで行っていた大会です。マラソンだって何だって全裸ぜんらです。マンガ∵や絵本のようにイチジクの葉なんか付けていません。
11. スポーツに限らず、教育機関、当時のギムナジウム(青少年のための訓練所)でもみなはだかでした。
12. もともとギムナジウムという言葉は「はだか」を意味していたのです。おそらくはだかであることの根拠こんきょは今で言う「はだかの付き合い」というのに非常に近かったのではないか。
13. アテネ型の民主主義の前提は、市民全員が平等だということです。これはだれでもはだかの付き合いが出来る、ということでしょう。着ている物や何かで判断を受けない。若い人たちはギムナジウムでは平等だった。民主主義の原点は「はだかの付き合い」にあった、というのは興味深いことです。
14. ギリシャとは異なり、ローマ帝国   ていこくにはこうした「はだかの文化」はなかった。もちろん共同浴場とかそういう場所でははだかになっていました。しかし、別にそれは社会の制度と結びついていたわけではありません。
15. ルネッサンス時代の彫刻ちょうこくは、ギリシャ時代のはだかのモデルの彫刻ちょうこくを写したものですが、別にルネッサンス時代の人々がはだかだったわけではない。レオナルド・ダ・ヴィンチはだかで暮らしていたわけではありません。彼らかれ 彫刻ちょうこくの題材がはだかであっても、それは着物を着た連中がはだかを創っているわけです。よく一緒いっしょにされてしまいがちですが、ギリシャ彫刻ちょうこくのように、もともとはだかで過ごしていた人たちがはだか彫刻ちょうこくを創るのとでは、意味がまったく違うちが のです。
16. もちろん、今ではなぜ古代ギリシャ人たちがはだかだったのか、文献ぶんけんで証明することは出来ません。そんなことの理由をくわしく書いている本はないのです。こういう共同体全体が持っている無意識のルールというのは、往々にして記録されません。
17. ただし、彼らかれ にとって今の私たちよりも身体というものが身近だったのは間違いまちが ないし、それが社会的に何らかの作用をしていたと考えていいのではないでしょうか。

18.(養老孟司たけし『死のかべ』による)