1. 「則天去私」というのは晩年の
漱石が作った言葉です。天に則って私を去る、「私」なんてない、というのは「西洋近代的自我」すなわち「私は私であり、その個性は意識にのみある」という考え方に対する、日本人としての反発だったのではないでしょうか。
2.
戸籍制度や
漱石の思想から見れば、こうした近代化というのは明治時代に始まったと考えられます。しかし、日本の場合、こうした
思い込みがここまで確立されたのは戦後でしょう。戦後は、それまでの日本的な考え方を「
封建的」の一言で片付けてしまった。
3. 今では
葬式といえば
火葬があたりまえですが、高度成長期の前までは
土葬も別に非常識な手法ではなかった。これがあっという間に、より死体を遠ざける方向に向かっていった。出来るだけ「死」を日常生活から
離していった。考えないようになった。
4. ほぼ同じ時期にトイレでも同じようなことが起きた。つまり水洗便所の
普及です。あれは人間が自然のものとして出すものをなるべく見えないように、感じないようにしたものです。(中略)
5. 同様に戦後消えていったものはたくさんあります。お母さんが電車の中でお乳を子供に
与える姿も見なくなって久しいように思います。
6. 肉体労働者がフンドシ一丁で働かなくなったのはもっと前からのような気がします。(中略)
7. このへんのことには
皆、共通の感覚があるのがおわかりでしょうか。身体に関することが、どんどん消されていったのです。
8. これは都市化とともに起こってきたことです。それも
暗黙のうちに起こることです。世界中どこでも都市化すると法律で決めたわけでも何でもありません。それでもほぼ似たような状態になります。これは意識が同じ方向性もしくは
傾向をもっているからです。
9. 都市であるにもかかわらず、異質な存在だったのが古代ギリシャです。ギリシャ人はアテネというあれだけの都市社会を作っておきながら、
裸の場所を残していたのですから。
彼らにとっては
裸が非常に身近だった。
10.
誰もが知っているのがオリンピックです。これはもともとは
全裸で行っていた大会です。マラソンだって何だって
全裸です。マンガ∵や絵本のようにイチジクの葉なんか付けていません。
11. スポーツに限らず、教育機関、当時のギムナジウム(青少年のための訓練所)でも
皆裸でした。
12. もともとギムナジウムという言葉は「
裸」を意味していたのです。おそらく
裸であることの
根拠は今で言う「
裸の付き合い」というのに非常に近かったのではないか。
13. アテネ型の民主主義の前提は、市民全員が平等だということです。これは
誰でも
裸の付き合いが出来る、ということでしょう。着ている物や何かで判断を受けない。若い人たちはギムナジウムでは平等だった。民主主義の原点は「
裸の付き合い」にあった、というのは興味深いことです。
14. ギリシャとは異なり、
ローマ帝国にはこうした「
裸の文化」はなかった。もちろん共同浴場とかそういう場所では
裸になっていました。しかし、別にそれは社会の制度と結びついていたわけではありません。
15. ルネッサンス時代の
彫刻は、ギリシャ時代の
裸のモデルの
彫刻を写したものですが、別にルネッサンス時代の人々が
裸だったわけではない。レオナルド・ダ・
ヴィンチは
裸で暮らしていたわけではありません。
彼らの
彫刻の題材が
裸であっても、それは着物を着た連中が
裸を創っているわけです。よく
一緒にされてしまいがちですが、ギリシャ
彫刻のように、もともと
裸で過ごしていた人たちが
裸の
彫刻を創るのとでは、意味がまったく
違うのです。
16. もちろん、今ではなぜ古代ギリシャ人たちが
裸だったのか、
文献で証明することは出来ません。そんなことの理由をくわしく書いている本はないのです。こういう共同体全体が持っている無意識のルールというのは、往々にして記録されません。
17. ただし、
彼らにとって今の私たちよりも身体というものが身近だったのは
間違いないし、それが社会的に何らかの作用をしていたと考えていいのではないでしょうか。
18.(養老
孟司『死の
壁』による)