長文集  11月3週  ★A氏は、まず(感)  nngu-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】A氏は、まずメンフラハップのコマ
ーシャルを例にあげ、「モノはそこにあるだ
けではただのモノにすぎない。が、そのモノ
に面白い言葉がつくと、とつぜんモノが息づ
き、【2】モノと人間との関係が生き生きと
したものに変わってくる」と広告の『あらま
ほしきありよう』を説いてから、商品という
モノを息づかせることなく、モノから離れ、
一人歩きしていった「繁栄」の六〇年代以降
の広告について批判的にのべている。
 【3】その、広告のいわゆる「モノ離れ」
現象が起きたのは「技術の高度化が平準化を
生み、競争商品の間に品質や性能上の差異が
なくなった」結果だった。【4】商品が似た
ようなものになればなるほど、自社商品の印
象を競合商品から際立たせる必要が生じ、そ
の「差別化」の役割を、もっぱら広告が担う
ことになったのであ る。ということについ
てA氏はいう、「それはいい、好むと好まざ
るとにかかわらず、私たちはそういう時代を
生きている。【5】 が、その差異づくりが
、もっともらしい言葉やまことしやかなレト
リックの競争になり、人間的な息づかいを失
って空回りをはじめると、言葉はただのガレ
キになり、モノと人間との間に壁を作ってし
まうことになる。【6】六〇年代以降の広告
は、実際には、そんな方向へどんどん進んで
きてしまったのではないか」「そういう広告
は、商品と人間の関係を生き生きさせるどこ
ろか、両者を窒息状態に追い込んでしまう。
【7】いま広告に批判されるところがあると
したら、それは欲望を誘発するとか暮らしの
イデオロギーを押しつけるといった古くさい
論点によってではなく、モノと人間をへだて
てしまうような『言葉のモノ化』によってで
はないだろうか」と。
 【8】A氏によれば、川崎作品で、郷ひろ
みと横山やすしが「ハエカ退治にキンチョー
ル。言ってみろ!」とバケツに向かって叫ぶ
のは、モノ化した言葉の壁を開く「ひらけ、
ゴマ!」のまじないであり、【9】糸井作品
が意図するのは、『差異づくり』でなく、『
場づくり』を狙うことで、モノ化した言葉の
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
壁をバイパスしてしまうことだという。その
分析は、面白かった。モノと人間の関係、人
間と人間の関係、の再活性化広告を歓迎する
ことにも賛成である。
 【0】しかし、「それはいい、好むと好ま
ざるとにかかわらず私たちはそういう時代を
生きている」と「時代」を大前提化して、論
議の∵対象外にしてしまうことと、広告の問
題点に関して、「欲望を誘発するとか暮らし
のイデオロギーを押しつけるといった古くさ
い論点によってではなく……」と、広告表現
に問題をすべて集約してしまうことは、疑問
だ。(中略)
 ましてその、広告の基本的役割は、依然と
してまだ、新しい生き方・考え方、すなわち
「暮らしのイデオロギー」の提示(押しつ 
け)であり、その新しい生き方・考え方と一
体化した商品=モノへの欲求喚起なのである

 資生堂がハワイに日本初の海外ロケ隊をお
くったのは一九六六年だったが、それから十
年もしないうちに、ハワイはおろかアフリカ
やモロッコの奥地にまで日本の広告ロケ隊が
群がるようになった。だが、そうやって世界
中の「憧れの生活」が広告メディアを埋め尽
くすようになったとき、日本の商品は欧米に
追いつき、商品間の差異も、A氏がいう通り
に、消えはじめた。欧米という手本が手本で
なくなり、品質・性能という明快な目標も消
えたのである。どこかが新製品を出すと、そ
れが束の間の手本・目標になった。そうして
品質・性能の平準化が加速し、「差別化」の
役割が広告に移っていった。だが、その広告
においても同様の平準化が起ったのである。
アメリカロケでは差をつけ得ないからインド
へ行こう、いやアフリカだ、と「憧れ先」が
次々開発されたがロケ先の差もたちまち平準
化され、セットの差、タレントの差、メイク
の差、アイデアの差もすぐあと追いされ、と
いうことの結果が、無個性な、表現だけが浮
き上がり、心の喚起力もない広告表現の「モ
ノ化」現象だったのではないか。
 そして代わりに出てきたのが川崎徹の「オ
モシロ広告」であり、糸井チームの「おいし
い生活」すなわち「充実させよう日常生活」
広告だったのだ。「いまここ」から心を憧れ
の彼方にとばすことをやめ、「いまここ」に
目を向け直そうという広告。ただしそれらの
広告も、第一義的にはやはり「差別化」のた
めの新趣向であり、新しい生き方の提案なの
である。つまり「モノ離れ」広告と本質的な
ところでは変わらないのだ。
 (佐野山寛太()著『広告化文明』より抜
粋・編集)