グミ の山 11 月 3 週 (5)
★A氏は、まず(感)   池新  
 【1】A氏は、まずメンフラハップのコマーシャルを例にあげ、「モノはそこにあるだけではただのモノにすぎない。が、そのモノに面白い言葉がつくと、とつぜんモノが息づき、【2】モノと人間との関係が生き生きとしたものに変わってくる」と広告の『あらまほしきありよう』を説いてから、商品というモノを息づかせることなく、モノから離れ、一人歩きしていった「繁栄」の六〇年代以降の広告について批判的にのべている。
 【3】その、広告のいわゆる「モノ離れ」現象が起きたのは「技術の高度化が平準化を生み、競争商品の間に品質や性能上の差異がなくなった」結果だった。【4】商品が似たようなものになればなるほど、自社商品の印象を競合商品から際立たせる必要が生じ、その「差別化」の役割を、もっぱら広告が担うことになったのである。ということについてA氏はいう、「それはいい、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはそういう時代を生きている。【5】が、その差異づくりが、もっともらしい言葉やまことしやかなレトリックの競争になり、人間的な息づかいを失って空回りをはじめると、言葉はただのガレキになり、モノと人間との間に壁を作ってしまうことになる。【6】六〇年代以降の広告は、実際には、そんな方向へどんどん進んできてしまったのではないか」「そういう広告は、商品と人間の関係を生き生きさせるどころか、両者を窒息状態に追い込んでしまう。【7】いま広告に批判されるところがあるとしたら、それは欲望を誘発するとか暮らしのイデオロギーを押しつけるといった古くさい論点によってではなく、モノと人間をへだててしまうような『言葉のモノ化』によってではないだろうか」と。
 【8】A氏によれば、川崎作品で、郷ひろみと横山やすしが「ハエカ退治にキンチョール。言ってみろ!」とバケツに向かって叫ぶのは、モノ化した言葉の壁を開く「ひらけ、ゴマ!」のまじないであり、【9】糸井作品が意図するのは、『差異づくり』でなく、『場づくり』を狙うことで、モノ化した言葉の壁をバイパスしてしまうことだという。その分析は、面白かった。モノと人間の関係、人間と人間の関係、の再活性化広告を歓迎することにも賛成である。
 【0】しかし、「それはいい、好むと好まざるとにかかわらず私たちはそういう時代を生きている」と「時代」を大前提化して、論議の∵対象外にしてしまうことと、広告の問題点に関して、「欲望を誘発するとか暮らしのイデオロギーを押しつけるといった古くさい論点によってではなく……」と、広告表現に問題をすべて集約してしまうことは、疑問だ。(中略)
 ましてその、広告の基本的役割は、依然としてまだ、新しい生き方・考え方、すなわち「暮らしのイデオロギー」の提示(押しつけ)であり、その新しい生き方・考え方と一体化した商品=モノへの欲求喚起なのである。
 資生堂がハワイに日本初の海外ロケ隊をおくったのは一九六六年だったが、それから十年もしないうちに、ハワイはおろかアフリカやモロッコの奥地にまで日本の広告ロケ隊が群がるようになった。だが、そうやって世界中の「憧れの生活」が広告メディアを埋め尽くすようになったとき、日本の商品は欧米に追いつき、商品間の差異も、A氏がいう通りに、消えはじめた。欧米という手本が手本でなくなり、品質・性能という明快な目標も消えたのである。どこかが新製品を出すと、それが束の間の手本・目標になった。そうして品質・性能の平準化が加速し、「差別化」の役割が広告に移っていった。だが、その広告においても同様の平準化が起ったのである。アメリカロケでは差をつけ得ないからインドへ行こう、いやアフリカだ、と「憧れ先」が次々開発されたがロケ先の差もたちまち平準化され、セットの差、タレントの差、メイクの差、アイデアの差もすぐあと追いされ、ということの結果が、無個性な、表現だけが浮き上がり、心の喚起力もない広告表現の「モノ化」現象だったのではないか。
 そして代わりに出てきたのが川崎徹の「オモシロ広告」であり、糸井チームの「おいしい生活」すなわち「充実させよう日常生活」広告だったのだ。「いまここ」から心を憧れの彼方にとばすことをやめ、「いまここ」に目を向け直そうという広告。ただしそれらの広告も、第一義的にはやはり「差別化」のための新趣向であり、新しい生き方の提案なのである。つまり「モノ離れ」広告と本質的なところでは変わらないのだ。
 (佐野山寛太()著『広告化文明』より抜粋・編集)