グミ の山 11 月 2 週 (5)
★その広告は(感)   池新  
 【1】その広告は、次のシーンで始まる。
 一対の手が、立体的な木製パズルを組み立てている。その間に、ソフトに調整された男の声が、最大の『工業社会の問題』または『ビジネス社会の問題』は、実際には『コミュニケーションの問題』だと説明する。
 【2】ビジネスマンと企業家に朗報あり! 企業経営の潤滑化の鍵は、効率的で調和のとれた総合的なコミュニケーション・システムにある! ついにパズルが完成したのだ。ごらんなさい! なんと、世界最大の企業AT&T(アメリカン・テレフォン&テレグラム社)の社名ロゴが完成したではないか。
 【3】画面は暗転し、白字のメッセージが浮かびあがる。
 「このシステムこそ解決策だ」
 そう、天空に星があるのと同じにね。
 このテレビ広告は、しばらくの間、夕方の全米ニュース番組の合間に流された。【4】このメッセージは高度に技術的な消費社会に生きる私たちに向けて、この社会についての哲学を伝えている。コミュニケーション産業の自己投影イメージの真髄ともいうべき例で、完璧なる管理を理想像および絶対的な善として提示している。【5】その一方で、この企業は、自社のシステムを使うことで、『誰かと心を通わせる』ことができると主張する。AT&Tのサービスを買うことで家族の絆は強まり、友情は維持される、と。
 【6】同社のイメージとテレビ広告は、サービスや製品を超えて、世の中を理解する方法までも売りこもうとしている。その基本的な前提は、企業中心の工業社会において、社会秩序のメカニズムを供給するのはコミュニケーション産業ということにある。【7】効率のよい経営管理を切望するビジネスマンの懐にせまるコンセプトだ。その一方で現代の消費社会の孤独で流動的な個人である私たちに対し、ますますつかまえどころがなくなりつつある家庭関係やコミュニティの絆を約束するのだ。
 【8】AT&Tによって提示されたようなマス・イメージは、覚えやすい言語、信仰のシステム、共通の感性を叩きこむ回路をつくりだし現代社会の一部となる意味を私たちに説明してくれる。【9】それは、品物とサービスの販売と消費で定義づけられた社会、人間関係∵がしばしば金銭のやりとりで規制される社会、解決策を見出す必要に迫られればすべて金でかたづけることが常識になりつつある社会だ。冒頭の広告に見られるような意図は、日常のことになった。【0】消費が私たちの『ウェイ・オブ・ライフ』なのだ。コマーシャル・イメージ――広告、パッケージ、広報活動、映画、テレビなど――は、この『ウェイ・オブ・ライフ』の強化に重要な役割を果たしている。(中略)
 マイク・ゴールドの自伝的移民小説『金のないユダヤ人』のなかでは、著者の父親が、文化的な崩壊感を簡潔に表現してアメリカを「泥棒」よばわりする。最初は慣れ親しんだ生活を補充するための手段と解釈されていた賃金労働と時間の切り売りは、じつは新しい支配の構造であることがじきに暴露された。賃金は、資本と同じ働きをしなかった。資本は土地に似通っていた――それを所有するものに有利にはたらく富の一形態だった。資本は、自分で肥えてゆくが、賃金は違った。労働者がアメリカでかき集めたわずかな金は、その場で消費されるべき性質のものだった。後に残りもせず、希望も生みださなかった。農業や手工業に携わり、消費は禁物だと教えられてきた人々に、消費は新世界での市民権の定義づけに必要なものとして提供されたのだ。
 価値や生存が土地と直結したり、自然の利用からもたらされた状況下では、大量消費は自殺行為を意味した。工業国アメリカに移住してきた農民や手工業の職人にとって、賃金労働システムはこの基本的な前提の冒とくにほかならなかった。自然との官能的な融合から生じたこの前提は、いまや工業生産、市場開拓、都会生活の泥沼に埋(う)もれつつあった。ここでも貯えようとする努力はなされたが、賃金を土地と同じように活用しようとの移民の試みは、むだに終わることが多かった。大量生産工業と発生期にあった消費市場に特徴づけられた社会において、人間と自然の分裂は自明の理であり、ウィリアムズ呼ぶところの「『人間による自然の征服』の勝利者側の論理」が定着していった。

 (スチュアート&エリザベス・イーウェン著『欲望と消費』)