長文集  10月2週  ★近代社会は前近代の(感)  nngu-10-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/11 11:00:26
 【1】近代社会は前近代の安定したピラミ
ッド型の社会構造を破壊し、そこに流動状態
をもちこんだわけだが、だからといって階層
秩序そのもの、すなわちピラミッド型の枠組
そのものまで放棄したわけではなかった。【
2】そこには、さまざまなかたちで階層秩序
的構造が残っているし、またそれがあるから
こそ、それらの段階を上昇すること(立身出
世、人間的完成、経済成長、福祉の整備、軍
事的優勢、貧困の撲滅、平等な社会の実現な
ど)が理念的に可能であると信じられてきた
のである。【3】これらはひとつの理念を中
心に構築された大きな物語(歴史やさまざま
なイデオロギー)によって方向づけられてい
た。人々は多様な事実をこうした物語の秩序
に従って配列し、また自分自身の生の意味づ
けも、この物語から受け取っていたのである

 【4】だが、現在ではこうした物語は軒並
みその信頼を失っている。つまり、そうした
秩序はもはや人々が自分自身の生を投影する
鏡としての機能を果たせなくなったのだ。【
5】大宗教、イデオロギー、高級文化、公的
な文化などは、すでに人々と世界を結びつけ
る機能を失ってしまっている。そのことの原
因としては、異なった文化を根こそぎに均質
化し、効率のみがすべてを支配する情報化社
会の出現が考えられるだろう。
 【6】問題はカルト的文化が、こうした文
化的階層秩序の不在の上に成り立っているこ
とである。つまり、そこでは各要素を構造づ
けていた価値秩序が崩壊し、各部分文化が断
片的に自立したものとして据えられているの
だ。【7】たとえば、漫画と文学、ロックと
クラシックなどの間にかつては残っていた暗
黙の上下関係はもはや存在しない。それらは
ただ単に同じ平面の上に漂っている、お互い
に無関係の孤島にすぎないのだ。(中略)
 【8】もちろん従来からの階層的な価値秩
序はまだまだ残っているし、現実にはそうし
た「建て前」によって社会は維持されている
ように見える。人々はいい大学をめざし、い
い会社をめざし、まわりから祝福される結婚
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をめざし、出世をめざす。【9】だが、それ
らの理念までが残っているわけではないのだ
。いい大学はけっして学問を修め、自己を成
長させるためにめざされるわけではないし、
会社はその理念によって選ばれるわけではな
い。それらは、ただ単に∵「得」だから、す
なわち金銭的、社会的な利益をもたらすから
守られているにすぎないのだ。【0】いわば
、それら自身の価値はほとんど信じられてお
らず、ただ信じているかのように振る舞うこ
とだけがこれらの制度を守っているのである

 このような意味での価値からの疎外はいた
るところで見いだすことができるだろう。た
とえば、家族や土地との関係、歴史的連続性
やコミュニティの喪失などのかたちでそれは
表われている。
 物語への実質的な信頼を失い、さまざまな
情報の過剰の中で、それらの情報を秩序づけ
ることができなくなった人々は、均質で平凡
な生き方に逃げ込もうとする。なぜなら、物
語がもはや信頼できないとしたら、自己の位
置を決定するものは他人との相互関係だけだ
からである。他人と均質であること、他人と
話題や関心を共有することが存在に相対的な
安定をもたらす。建て前はこうした演技にと
って不可欠な虚構なのである。
 しかしながら一方で、こうした根拠を欠い
た表層的な身振りは、それだけでは真の安定
や自己の意味づけをもたらすことはない。な
ぜなら、言うまでもなく自己を意味づけるの
は他人との差異でなくてはならないからだ。
つまり完全に他人と同質では差異は生まれて
こないからである。
 そこで人は、社会化された私とはちがう「
本当の私」をもとうとするのだ。いわば「失
われた内面」を求めて果てしのない「旅」が
始まるのである。言いかえれば、「個性」と
いう、同質性の土台の上に作られた相対的な
異質性を防衛しようとするのだ。限定された
価値領域に自分をつなぎとめようとするカル
ト化(あるいは専門領域主義化)はこのよう
な反動として現われてくる。つまり、それは
同質性を損なわぬかぎりでの異質性として現
われてくるのである。異質な価値の乱立が戦
争状態をもたらさないのはそういうわけなの
だ。だれも本当は全体への従属関係を失いた
くないのである。

 室井尚()「メディアの戦争機械」より