長文集  9月3週  ★世間では、いま、表現教育という(感)  nngi2-09-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】世間では、いま、表現教育というこ
とが盛んに叫ばれている。子供たちに、どう
にかして「豊かな表現力」「誰とでも話せる
コミュニケーション能力」を身につけさせよ
うと、親も教師も躍起になっている。【2】
子供の方から見れば、表現を強要されている
とさえ言える状況だ。
 だがどうも、教える側も、子供たちの方も
、「表現」ということを無前提に考えすぎて
いないか?
 【3】いや、いったい、何をそんなに伝え
たいというのか?
 私はここ数年、演劇のワークショップ(体
験型の演劇教室)を、年間で百コマ以上、全
国で繰り返して開催してきた。教育の門外漢
に、このような依頼が殺到するのも、表現教
育隆盛の一つの現れであろうか。
 【4】ただ、私が、そういった場で子供た
ちに感じ取ってもらいたいことは、表現の技
術よりも、「他者と出会うことの難しさ」だ
った。どうすればコミュニケーション能力が
高まるかではなく、自分の言葉は他者に通じ
ないという痛切な経験を、まず第一にしても
らいたいと考えてきた。
 【5】高校演劇の指導などで全国を回って
いるといつも感じるのは、生徒創作の作品の
そのいずれもが、自分の主張が他者に「伝わ
る」ということを前提として書かれている点
だ。
 【6】私は、創作を志す若い世代に、演劇
を創るということは、ラブレターを書くよう
なものだと説明する。「俺は、おまえのこと
がこんなに好きなのに、おまえはどうして俺
のことが分かってくれないんだ」という地点
から、私たちの表現は出発する。【7】分か
り合えるのなら、ラブレターなんて書く必要
はないではないか。
 日本はもともと、流動性の低い社会のなか
で「分かり合う文化」を形成してきた。【8
】誰もが知り合いで、同じような価値観を持
っているのならば、お互いがお互いの気持を
察知して、小さな共同体がうまくやっていく
ための言葉が発達するのは当然のことだ。そ
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れは日本文化の特徴であり、それ自体は、卑
下すべきことではな い。
 【9】明治以降の近代化の過程も、価値観
を多様化するというよりは、大きな国家目標
に従って価値観を一つにまとめる方向が重視
され、教育も社会制度も、そのようにプログ
ラミングされてきた。【0】均質化した社会
は、短期間での近代化には好条件だ。日本は
明治の∵近代化と、戦後復興という二つの奇
跡を成し遂げた。
 しかし、私たちはすでに大きな国家目標を
失い、個人はそれぞれの価値観で生き方を決
定しなければならない時代に突入している。
このような社会では、価値観を一つに統一す
ることよりも、異なる価値観を、異なったま
まにしながら、その価値観を摺り合わせ、い
かにうまく共同体を運営していくかが重要な
課題となってくる。
 いま、あらゆる局面で、コミュニケーショ
ン能力が重視されるのは、ここに原因がある
。「分かり合う文化」から、「説明し合う文
化」への転換を図ろうということだろう。
 だが、ここに一つの落とし穴がある。
 表現とは、単なる技術のことではない。闇
雲にスピーチの練習を繰り返しても、自己表
現がうまくなるわけではない。
 自己と他者とが決定的に異なっている。人
は一人ひとり、異なる価値観を持ち、異なる
生活習慣を持ち、異なる言葉を話していると
いうことを、痛みを伴う形で記憶している者
だけが、本当の表現の領域に踏み込めるのだ
。多くの優れた芸術家は、自分の中にその断
念、その絶望を持っている。ひとは幼少期、
自分のことを決して受け入れてくれない他者
の存在を発見する。その哀しみを忘れない者
だけが、芸術家という名に値する。(中略)
 私たちがこれから作っていく成熟社会の緩
やかな絆は、お互いが分かり合えないという
絶望から出発する。この絶望の中にのみ希望
はある。だとすれば、分かり合えないことを
、その存在の根拠とする芸術の役割は小さく
ないだろう。学校や家庭や社会の中で、子供
たちに、その発達過程に合わせて、「伝わら
ない」という切実な体験をさせる、そんな芸
術教育のプログラムが、いま必要とされてい
るのではないか。

(「新世紀の思考」(平田オリザ)より)