長文 8.4週
1. 【1】「新しさ」がマイナス価値であった時代があった。新しさは衒うてら もの、良き古き伝統を破壊はかいするものだとして忌避きひされたのである。思想の面で新しいアイディアを提出するものは非難と告発を免れまぬか がたかった。【2】新しい思想家はどこでもいつでも、弾圧だんあつされたし、排除はいじょされたりしたものである。政治の場面でも、現存秩序ちつじょを批判し、のりこえようとする運動は、いつでも新しい運動であったが、これも破壊はかい的なものとして可能なかぎり抑圧よくあつされる。
2. 【3】いつの時代でも、どんな社会においても、古さの方が価値的にプラスであって、新しさはつねにマイナス価値であった。新しいものは、古いものとの対決の中ではじめてエネルギッシュになり、前進のための生産力を獲得かくとくする。【4】したがって、物質的な力とも言うべき飛躍ひやく力と魅惑みわく的力をもつ新しさの基本型は、現存秩序ちつじょの体系または古い価値体系から脱出だっしゅつする批判的運動であるというべきであろう。
3.(中略)
4. 【5】圧倒的あっとうてきな力をもつモード的・記号的新しさによって隠さかく れているが、決して消滅しょうめつしそうもない批判的新しさもある。それはいろいろの形をとって現れるが、何よりも感情的・情緒じょうちょ的なものが基本であろう。【6】エルンスト・ブロッホが書きとめてくれた「小さな白昼夢」などはその典型である。小さな子どもの小さな夢は、憧憬どうけいとよぶべきもので、それはおとぎ話の形をとって未来へとはばたく。はかなさとこわれやすさを特徴とくちょうとする白昼夢は、現在の世界からの前方への脱出だっしゅつ願望である。【7】そこには、世界についての感情が世界を批判している。このままではいけない、別の良き世界があるのだと、理性的でなく情緒じょうちょ的に判断している。情緒じょうちょ・感情は批判力をもちうる。
5. 【8】感情や情緒じょうちょ行為こういである。それは世界の中にあって世界を作り変える。まだないものを先取りし、この先取りによってすでに世界の外に出る。外に出ることで今の生活世界を批判する。【9】いっさいのユートピアは、基本的にはこの感情の行為こうい的批判を出発点とし∵ている。
6. 前に、過去に埋もれうず  た新しさがあると述べた。多くの可能性をもちながら、開花と現実化の条件を与えあた られないままに、歴史のほこりの堆積たいせきの下に埋もれうず  た新しきものがある。【0】私たちは、願望夢のように前に眼を向けるばかりでなく、しばしばそれ以上に過去に眼を向ける。なぜ過去に眼を向けるのか。あるいはプロスペクティヴとレトロスペクティブとは互いにたが  無縁むえんなのであろうか。過去へふり向けられるレトロの眼は、単なる懐古かいこ趣味しゅみであってはならない。現在を永遠化し、その立場から過去をふりかえる眼は、保守的なレトロスペクティヴである。現在に安住し、過去を高見から眺めるなが  のは、過去をダシにして現在を栄光化する態度だ。こういうレトロの眼はモードの眼である。記号は新しさの発掘はっくつ源としてのみ過去を見る眼である。
7. そうではなくて、過去の中に開花を待ちつつひそむ問題を探求することこそ、新しさの探求である。かつてワルター・ベンヤミンは、目ざめを待つ新しきものについて語った。可能的新しさを目ざめさせる眼こそ、真のレトロスペクティヴであり、それが同時にプロスペクティヴになる。レトロスペクティヴプロスペクティヴとの有機的な連関を自覚的に行うことは、歴史学や歴史哲学てつがくの仕事である。これは、もはや現在の固定化でも栄光化でもなくて、現在を前へと超えこ ていく作業である。過去の中で目ざめを待つ新しさは、未来において甦るよみがえ 新しさである。どれほど過去を調べてもこの新しさがなくなることはない。過去には無尽蔵むじんぞうの新しさがある。
8. 時間的最先端さいせんたんが新しいというのは、近代歴史意識の虚妄きょもうであろう。時間と歴史に病的なまでに固執こしつする現代の歴史感覚をひっくり返さなくてはならない。最も古い層のなかに目ざめを待つ根源的新しさがあるという逆説的立場――これがベンヤミンの独創性である――は、近代という大いなる時代の本質を突くつ 。新しさの考察は、こうして、近代性への根本的反省へと通じていくであろう。

9.(今村仁司『精神の政治学』による)