長文集  8月3週  ★インフォームド・コンセントなる言葉が(感)  nngi2-08-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】インフォームド・コンセントなる言
葉がある。商品販売者が、無知なる顧客に対
して、自己決定するのに必要な情報知識を噛
み砕いて説明した上で、同意を取り付ける義
務を負うということである。【2】そして、
医療において提供されるべき情報知識は、診
断の内容、複数の治療方針の利点と危険性、
治療しない場合の症状の予想などであると語
られている。正当な考え方だ。しかし専門家
が、本当に情報知識を持っているのかと疑っ
てみる必要がある。
 【3】知人が医者に余命三ヵ月かもしれな
いと告げられたことがある。正確には、簡単
な所見から推すと、最悪の場合、末期症状の
可能性があり、詳細な検査の結果として、予
期される末期症状であると判明すれば、余命
は三ヵ月程度である可能性があると告げられ
たことがある。【4】誤診であった。正確に
は、当初の所見は可能性の指摘としては論理
的には正しかったが、当初の予期は確率以上
の悲観性を滲ませた点において道徳的に誤り
だった。
 【5】ここで指摘したいのは、これは情報
知識の提供などとい う、代物ではないとい
うことである。たんなる占いである。この場
合、最低限提供すべき情報はこうなるだろう
。所見の根拠、推測の根拠、確率計算の根拠
、予後の推定の根拠である。これを示すため
に提供すべき情報はこうなるだろう。【6】
過去に実際に治療した症例の解析、過去の症
例と現在の症例の相違と類似性の評価の根 
拠、当の症例について報告する諸文献の内容
の分析、症例分析や症例分類の根拠と生存期
間計算の根拠などである。【7】ところが医
者にこんな知識はない。なぜなら、誰も持っ
ていないからである。すると、どうなるのか

 余命告知やリスク予知について、道徳的に
論じたいのではない。占いは、人生の指針と
して役立つことはあるからだ。【8】人間が
なってないとは思うものの、医者を非難した
いわけでもない。長くは持たないと経験的に
分かることはあるからだ。占いをめぐる問題
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は、∵各人の世間知を活用すれば済むことで
ある。【9】病気の悲しみを癒して死の恐怖
に耐えるには、経験知で充分足りる。ところ
が、悲しみを利用する連中は、無駄な論議を
交わし、無用の研究を積み重ねる。しかも余
命を生きる力の不可思議に何の関心も払わな
いのだ。
 【0】安楽死や尊厳死をめぐって人びとは
こう信じているかのようだ。安楽に生きるよ
り安楽に死ぬほうが大切だ。尊厳をもって生
きるより、尊厳をもって死ぬほうが大切だ。
最期だけは美しく死にたい。誰にも迷惑をか
けずに、後顧の憂いなく死にたい。別の人び
とはこう考えている。死の教育が大切だ。死
ぬまで勉強だ。最期を看取るのも勉強だ。さ
らに別の人びとはこう考えている。制度設計
が必要だ。素敵な死に場所を建築しよう。予
算と人員が必要だ。子供も死に触れて死を学
ぶべきだ。子供にもメメント・モリ(死を想
え)というわけだ。人びとは、「末期状態の
患者」や「植物状態の患者」について第三者
的にあれこれ想像しては、死を正面から見詰
めようと喋り合っている。
 死ぬのは悲しい。苦しまずに死にたいと願
うのは当然だ。最期だけは高貴でありたいと
願うのもたぶん当然だ。誰でも対処してきた
ことだし、時が来れば誰でも対処することだ
。議論や教育や勉強や制度の問題ではない。
ところが死の悲しみを利用して稼ぐ連中は、
死ぬまで生きる力、生きて死なせる力に安楽
と尊厳を感じることはない。「誰も生きては
いない。誰もが見せかけの生を送っている。
死ぬことを避けることしか考えていない。し
かも人生全体が死の礼拝堂である」。そして
スピノザは書いていた。「自由な人間は何よ
りも死について考えることが少ない。自由な
人間の知恵とは、死の省察ではなく、生命の
省察である」(『エチカ』)。

(小泉義之『ドゥルーズの哲学』)