長文集  8月1週  ★誰でも情報には(感)  nngi2-08-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】誰でも情報には「量」というものが
あると漠然と信じている。コンピュータが安
価になり、身近な存在になるにつれて、「ビ
ット」という工学的な情報量の単位も日常用
語として使われるようになってきた。【2】
四八ビット・パソコンは三二ビット・パソコ
ンよりたくさんの情報を一度に扱えるはずだ
ろう。
 こういう「情報量」は、技術的話題に登場
するだけではない。われわれはよく「この本
はぶ厚いわりには情報量が少ない」と文句を
言ったりする。【3】言うまでもなくこれは
、ぺージ数(文字数)という「見かけの「情
報量」」が一般に読み手にとっての「情報 
量」とは異なるという事実を語っている。
 【4】さて、右のありふれた言葉は、「情
報量」という概念の危うさの証左でもある。
この言葉は、ひとまず二通りに解釈できる。
「内容が知っていることばかりだ」と「興味
が湧かない」の二つである。「知らないこと
を教えてくれるのが情報だ」という立場に立
てば、第一の解釈が妥当だろう。【5】これ
は情報を「客観的」にとらえようと努める立
場である。
 だが、内容に知らないことが多く理解し難
いとき、読み手にとって果たしてその本の「
情報量」は多いのだろうか?──内容が理解
できなくて「(主観的な)興味」が湧かなけ
れば、「情報量」はやはり少ないのではない
だろうか。
 【6】そもそも、「内容を知っている」と
はどういうことか? ──「フランス革命は
一七八九年に起こった」といった命題なら「
知っている」と言えるだろうが、「二一世紀
に日本社会のモラルは堕落する」などのあい
まいな命題なら、興味の有無を答える方がま
しだろう。【7】むしろ、知っていることば
かりなら興味も湧かないはずだという立場に
立てば、「情報量が少ない」とは、すなわち
「興味がない」「魅力がない」ことだと断じ
る方が直観に一致している。
 【8】だからこそ、情報とは「いざなうも
の」でなくてはならない。生物であるわれわ
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れの興味を惹く魅力的な対象が、はじめて情
報として「意味」をもつのだ。
 【9】このように、情報を「意味=価値」
があり、「いざなうもの」とみなすことは、
心の側から情報をとらえることである。言い
換えると、情報の「伝達」よりむしろ「生成
」の側面に目を向∵けるわけである。【0】
環境世界のなかで、心がいったい何を「情 
報」として選びとるか、が問題となるからだ
。環境世界からは、 光、音など無限に多様
な外部信号が降り注ぐ。はっきりさせなくて
はならないのは、その中から心が何を選びと
り、いかにして「情 報」として構成してい
くか、という点なのである。
 もちろんこれは、哲学的な認識論や存在論
にかかわる難問であって、とうていここで論
じ尽くせるテーマではない。だが、一九七〇
年代にあらわれた生物物理学者清水博の情報
理論は、この難問に一筋の光を投げかけるよ
うに思える。そのポイントは、生物をみずか
ら秩序をつくっていく「自己組織系」とみな
し、系の秩序生成のダイナミズムのなかに「
情報」の発現を位置づけたことにある。清水
によれば、生命システムとは、「システム(
自分)の存在にとって意味のある情報を、内
部知識と内部法則にもとづいて自分自身でつ
くりだしていく」ものなのだ。
 右のような「意味」の自律的生成を、文章
による説明に終わらず数学的なモデルで詳し
く記述したところに、清水とそのグループに
よる科学者としての先駆的業績がある。「情
報」をその意味内容に立ち入ってとらえる科
学研究はすでに始まっているのだ。
 生物がいかなる「情報」をつくるかはいわ
ば生物の「価値観」にひとしい。ゆえに情報
を「いざなうもの」「興味のあるもの」「価
値のあるもの」とみなすことは、決して単な
る文学的な比喩表現ではないのである。二一
世紀の知性は、情報生成のダイナミズムをさ
ぐる新しい情報科学のうちに最大の課題のひ
とつを見いだしていくだろう。

(西垣通『聖なるヴァーチャル・リアリティ
』による)