長文集  7月3週  ★科学は自然の対象を(感)  nngi2-07-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】科学は自然の対象を観測し、そこに
存在する構造や機能の法則性を明らかにする
。ある対象領域に成り立つ法則を発見した、
法則を確立したというのは、どのようにして
保証するのだろうか。
 【2】ボールを投げると放物線をえがき、
ある一定の距離に落ちる。ある物質と物質を
混ぜてある一定の温度に保つと、反応してあ
る物質ができる。【3】こういった多くの実
験から、そこにある種の規則性を認識し、そ
こから法則を確立していくわけであるが、そ
の法則は実験によって確かめるというプロセ
スを絶対的に必要とする。しかも、誰がやっ
ても同じ結果が得られるということでなけれ
ばならない。
 【4】このように、科学は、自然のなかに
存在する対象を分析 し、そこから法則を抽
出し、対象を分析的に理解するというところ
に中心があった。【5】こうして法則が確立
されると、つぎの段階として、これらの法則
の新しい組み合わせを試みることによって、
それまで世界に存在しなかった新しいものを
つくりだせる可能性があることに人々は気づ
いたわけである。
 【6】法則を組み合わせて、実験をしてみ
て、もとの対象が復元できることを確かめる
ところまでは、科学の領域であろうが、法則
をいろいろと新しく組み合わせて何か新しい
ものをつくっていくというつぎのステップは
、シンセシス、あるいは合成・創造の立場で
あり、それが現代における技術であるという
ことができる。【7】つまり、現代技術は科
学の法則を意識的にあらゆる組み合わせで使
ってみて、何か新しいものをつくりだしてい
こうとする明確な意図をもったものとなって
いて、これが従来の技術とは明確に異なって
いるところである。
 【8】このように分析と合成とは対概念と
なり、したがって、科学と技術も対概念であ
り、コインの裏表の関係であると理解され 
る。そこで、これら全体は科学技術という一
つの概念、一つの言葉としてとらえることが
できるだろう。
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 【9】科学と技術とはまったく異なる概念
で、科学技術という表現は適当でないという
考え方をする人もいる。しかし、現代科学は
高度の技術なしにはありえず、その技術も科
学によって支えられている。【0】今日では
、科学者自身がシンセシスの領域に本格的に
のりだしてくる一方で、技術者のほうも、技
術を押しすすめるために本格的な科学的基礎
研究をおこなっている。∵
 こうして、科学と技術の境界は判然としな
くなってきているうえに、何か新しい発見が
あると、これがただちに技術の世界に使われ
て新しい発明につながり、これがまた基礎研
究にフィードバックされるという、ひじょう
に速いサイクルをえがく時代になっている。
そういった状況からも、これら全体を科学技
術と呼ぶのが適当であるというわけである。
 二〇世紀の技術は、それ以前の技術とはま
ったく異なるものである。昔の技術は、アー
ト(art)という言葉がしめすように、そ
の道の専門家の直感と努力によって磨きぬか
れた技芸であり、芸術にせまる何ものかであ
ったわけで、科学とは何の関係もないもので
あった。ところが、二〇世紀における技術は
、科学によって確立された対象についての法
則を、意図的、体系的、網羅的に組み合わせ
て用い、新しいものを手当たりしだいにつく
りだすというものである。これが現代技術の
もつきわだった特色である。
 そこで一つの大きな問題が浮かび上がって
くる。これまでの科学は神が創造した地球と
自然、そしてそこに存在する物を観察し、理
解するということをおこなってきた。そのか
ぎりにおいて、科学は謙虚であり、科学は価
値中立であるとされてきた。しかし、神のみ
がもっていたものごとを創造する秘密を、今
日私たち人間が手に入れ、あらゆる法則を無
原則的に組み合わせて、できることは何でも
おこない、どんどんと新しい物を勝手につく
りだしつつあるわけである。そして、それら
はけっして地球と自然、生物や人間にとって
よいものばかりではない。一見よいものと見
えても、長期にわたってながめてみれば、深
刻な問題をもたらすものもたくさんつくりだ
しているのである。
 したがって、今日の科学技術においては、
価値中立ということはありえず、私たちがつ
くりだすものについては、はっきりした責任
を負うべきであろう。二一世紀にはあらゆる
科学技術の分野において、分析の時代が終わ
って、創造の時代に入っていくことは明らか
であるから、科学技術に対する人類の責任は
重大である。

(長尾真『「わかる」とは何か』による)