長文集  7月1週  ○食べる。寝る。愛する。  nngi2-07-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/06/14 15:27:59
 【1】食べる。寝る。愛する。排泄する。
そのつど、ただこの身体から湧きだし、自ら
を駆り立てる生命の営みを、わざわざ欲望と
名付け、「私」という主語を与えているのは
人間だけである。しかも、所有や支配の欲望
になると、とたんに話は複雑になる。
 【2】持ち家がほしい。名声がほしい。力
がほしい。そういう「私」は、はたしてどこ
まで「私」であるか。たとえば寸暇を惜しん
で株に熱中する「私」を、「私」はどこまで
「私」だと知っているか。【3】人間の欲望
について考えるとき、まずはそう問わなけれ
ばならないような世界に私たちは生きている

 たとえばある欲望をもったとき、私たちは
それをかなえようとする。【4】その段階で
、私たちはなにがしかの手段に訴えねばなら
ず、そのために対外的な意味や目的への、欲
望の読み替えが行われる。健康のため。家族
のため。生活の必要のため、などなど。【5
】こうした読み替えは、すなわち欲望の外部
化であり、欲望は、この高度な消費社会では
「私」から離れて、つくられるものになって
ゆく。
 【6】そこでは名声や幸福といった抽象的
な欲望さえ、目と耳に訴える情報に外部化さ
れ、置換されるのが普遍的な光景である。た
とえば、家がほしい「私」は、ぴかぴかの空
間や家族の笑顔の映像に置換された新築マン
ションの広告に見入る。【7】そこにいるの
はうつくしい映像情報に見入る「私」であり
、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であっ
て、たんに家がほしい漠(ばく)とした「 
私」はずっと後ろに退いている。【8】代わ
りに、家族の笑顔を見たい「私」が前面に現
れ、それは映像のなかの新築マンションと結
びついて、欲望は具体的なかたちになるわけ
である。
 けれども、こうしてかたちになった欲望は
、ほんとうに「私」の欲望か。【9】「私」
はたしかに家がほしかったのだけれども、そ
の欲望は正しくこういうかたちをしていたの
か。仮に、たしかに家族の笑顔を見たいがた
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めに家がほしかったのだとしても、家という
欲望と、家族の笑顔という欲望は本来別もの
であり、これを一つにしたのは「私」ではな
い、広告である。
 【0】このように、消費者と名付けられた
ときから「私」は誰かがつくりだした欲望の
サイクルに取り込まれている。そこでは「 
私」は∵覆い隠され、ただ大量の情報に目と
耳を奪われて思考を停止した、「私」ではな
い何者かが闊歩している。
 こうして、欲望から「私」が消え、おおよ
そ政治の権力闘争から一般の消費生活まで、
欲望のための欲望と化して、現代社会はあ 
る。欲望は「私」の外部で回転し、「私」を
駆り立てる。そこに明確な主体はおらず、従
って欲望を止めるものはいない。個々の欲望
の当否は、ほとんど損得に置き換えられ、損
得もまた外部化されて新たな欲望になるだけ
である。
 ところで有限の世界では、欲望のサイクル
も有限になるはずだ が、実際にはあたかも
無限であるかのように回転し続け、そこここ
で、さまざまな悲喜劇を引き起こす。欲望は
必ずしもかなえられないばかりか、ときには
実質的な損害になって返ってくる。そのと 
き、これがサイクルであるがために悪者はす
っきり定まらず、定まらないがために悪者探
しは逆に苛烈になる。
 「私」の欲望であれば、失意も損失も「私
」が引き受けることで収まりがつくが、「私
」の消えた現代の欲望は、始まりも終わりも
ない。破綻したら破綻したで、ともかく悪者
を探して社会的な辻褄を合わせるだけである
。一方、消費者という名の「私」はどこまで
も無垢に留まるのだが、「私」が無垢でない
ことは、「私」が知っている。

(高村薫「新・欲望論」二による)