長文 1.1週
1. 【1】約四万年前、クロマニヨン人などの新人が現れ、約一万年前まで
棲息したが、生活の仕方そのものは、ネアンデルタール人などの旧人と大差ない状態が持続した。【2】つまり人類が誕生した約一七〇万年前から約一万年前に至るまでの間、人類はほぼ同じ形態で生活し続けてきたわけで、この時代にすでに
獲得していた形態・能力・性向こそが、今もなお人類であるための基本条件だとしなければならない。
2. 【3】その後人類は、紀元前三〇〇〇年
頃から各地に文明を生み出し始める。文明とは人間がより豊かに、より安全に生活するための、富の生産と消費のシステムである。文明を成立させる要素としては、金属器の使用、文字の使用、都市の建設、階級制度などが挙げられる。【4】人類の文明はその後も発展し続けるが、一八世紀後半にイギリスで開始され、一九世紀前半に西ヨーロッパやアメリカに広がった産業革命は、文明のレベルを
飛躍的に向上させた。【5】自然科学と科学技術の発達、工場と動力機械による工業生産の発展、自然科学や科学技術の発達を支える学校教育制度、資本主義的経済システム、市場と輸送路を確保するための強力な軍事力、議会制度に基づく政治体制、法による支配などが、
西欧近代文明を構成する要素であり、これが地球上に存在する
唯一の文明である。【6】
西欧近代文明が生み出した軍事力は
圧倒的に強大で、他のいかなる文明も全く
対抗できなかったからである。
3. この
西欧近代文明は、二度の大戦を経てますます高度に発展し、現代文明を形づくっている。【7】我々はこの現代文明の
傘の下に身を置くことによって、より豊かでより安全な生活を
享受している。これは史上最強の
捕食者としての人類が、人類の都合にのみ合わせて作り上げたシステムである。【8】もし
環境問題の中心に人類を
据え、現代文明のシステムを一日でも永く持続させるのが、
環境対策の目標であると再確認できるのであれば、我々はそれが現代の人類の利益のみを計る利己的運動であることをも、
徹底して再確認すべきであろう。
4. 【9】ある生物種が
突出して
繁栄すれば、そのあおりを受けて他の∵生物種が
片隅に追いやられる事態は、過去に
幾度となく
繰り返されてきたことである。【0】もし先ほどの再確認が合意されるのであれば、たまたま現代の人類も、この時代において最も効率的なエネルギー
摂取のシステムを作り上げ、最強の
捕食者として食物
連鎖の頂点に君臨しているのであり、過去に
繁栄した動物の通例に
倣っているだけだ、何か悪いのかと開き直る論理も成立する余地があろう。
5.
環境の中心から人類をはずしてしまえば、そもそも
環境対策など存在しないことになろう。
環境の中心に人類を
据えるのであれば、
所詮それは最強の
捕食者たる人類の
繁栄を一日でも永く持続させたいと願う、人類本位の利己的発想なのだということを
徹底的に自覚すべきであろう。もし、現代文明がもたらす
恩恵も
享受したいが、自然の生態系も保全したいと望むのであれば、「待ってはいられない、
俺たちが悪いのだ」と
叫んで、いささかの気休めとするしか道はないであろう。
6.(浅野
裕一「動物としての人間」による。)
長文 1.2週
1. 【1】いつの時代でも、大人は子どもに対して、常に教育的関係を取り結んできている。先行世代が
獲得した生活の技術を、後続世代に伝えることを
怠るなら、その種族は自然や他種族との厳しい戦いを戦い
抜くことが出来ないからである。【2】動物を
狩り、
魚介類を漁り、作物を育てるなど、すべて
与えられた
環境のなかでよく
生き抜くための
知恵であり、そのための技術に他ならない。【3】子どもたちは、大人とともにそれらの営みに参加することを通じて、それぞれの知識と技術を身につけ、成長とともにそれらに習熟して、生存に事欠かぬだけの知識・技術の持ち主であると認められたとき、一人前の
徴を
付与されるのが常であった。
2. 【4】したがって、教育の成果とは、一人前になれるか否かで決まる。仮にそれぞれの技に
優劣があろうとも、その序列化にまして「一人前としての自立権の
獲得」にこそ重きがおかれた。子どもたちは、自身の属する種の一員として
生き抜くために、要求される技のあれこれを最低限度は
獲得せねばならない。【5】それが、やすやすと取得された
巧みな技であろうとも、また、ようやく身につけられた
拙い技術であったにせよ、最低基準を満たしてしまえばそれでよい。つまりは、一種の資格試験であり、その最低ラインに
到達するか否かは本人の努力次第ということになる。
3. 【6】たとえば、一人前の
徴として、単独で一定期間内に、ある広さの畑を耕すという課題が
与えられているとする。その場合、達者な農作業の
腕を発揮して短時間で
成し遂げようとも、あるいは、夜を
徹して働いてやっとぎりぎりに期限に間に合ったにせよ、課題が達成されていれば同等に
扱われて、一人前の資格を
与えてもらえる。【7】したがって、他者と
比較しての技の
巧拙や
敏速さは、とりたてて問題とされず、結果として、教える側の大人の、教授者としての
巧拙も、さほど問題とはなり得なかったのである。
4. 【8】しかし、文字文化の
興隆によって「教師」という社会的身分が用意されると、文字を
獲得した大人が単に
既得の技を伝えるだけ∵の役割を
越え、「教師」には、いかに
巧みにいかに効率的に、未習得者にその技を伝え得るかが問われるようになる。【9】つまり、教授の仕方の
巧拙が問題とされるのである。その結果、
巧みに教える者が、「よき教師」として評価され、それなりの地位と財力を確保し得るのは当然であろう。「教師」あるいは「学者」という、知識を売る商売の発生である。【0】文字とその学習が身分と財力をもたらすとなれば、それは、おのずから、学ぶ者たちの上に新手の
抑圧を用意する。よき学習者、すなわち、
懸命に
励んで他者を
凌駕することが、将来の地位や富を左右するとして、
彼らの現在の自由を
束縛し始めたのであった。勉強時代の
到来は、子どもたちを、文字による権力志向へと追い立て、「文字文化」という新しい
抑圧機構のなかに
組み込んだのである。
5. 文字文化がもたらした権力の構図は、教える大人を絶対の地位に置いた。文字は、字体にせよ文法にせよ、一定の
規範に従った文化であり、その
規範は一度
獲得すれば
生涯にわたって有効に機能する。短期間に、全面的改定がなされて、
既得のものが通用しなくなる、などということはないのである。したがって、先に文字を身につけた大人は、後から学ぶ子どもに対して、常に、その優位性を
誇ることが出来る。「教師」「学者」などと呼ばれる専門家に至っては、その
権威はゆるぎようもない。文字文化がもたらしたのは、こうした大人―子ども間の権力関係であった。
6. しかし、文字文化の絶対性が
薄れ、新しいメディアが
興隆したことで、こうした子ども―大人関係は
更改、もしくは逆転のときを
迎えている。「子どもが分からない」という
嘆声は、この関係の変化を十分認識し得ぬ大人世代の
繰り言とも言えよう。しかも、この潮流は、ベビーブーム世代が
漫画に熱中し、
漫画文化に市民権を
与えたとき、そして、先行する文字世代がその勢いを
阻み得なかったとき、すでに、今日に向かって流れ始めていたのであった。
7.(本田和子『
変貌する子ども世界』による)
長文 1.3週
1. 【1】ぼくの身体でぼくがじかに見たり
触れたりして確認できるのは、つねにその断片でしかないとすると、このぼくの身体って
離れて見ればこんなふうに見えるんだろうな……という想像のなかでしか、ぼくの身体はその全体像をあらわさないと言っていいはずだ。【2】つまり、ぼくの身体とはぼくが想像するもの、つまり「像」でしかありえないことになる。言いかえると、見るにしろ、
触れるにしろ、ぼくらはじぶんの身体に関してはつねに部分的な経験しか可能ではないので、【3】そういうばらばらの身体知覚は、ある一つの想像的な「身体像」を
繋ぎ目としてたがいにパッチワークのように
繋がれることではじめて、あるまとまった身体として
了解されるのだということだ。ぼくらが着る最初の服は、この意味で、「像」としてのからだの全体像なのだ。【4】そして、身体はその意味で想像の産物、
解釈の産物でしかないからこそ、もろいもの、こわれやすいものなのだ。
2. だから、他人に
怪訝そうな表情で全身
嘗めるように見回されるだけで、じぶんの
抱いている身体像はとたんに
揺らいでしまう。【5】あるいは、異性の服装をするよう強制されるだけで、たちまちそういう自己
解釈によって成り立っているじぶんの同一性は危うくなる。
3. そこでひとは、こうした「像」としての身体のもろさを補強するために、いろんな手段を編みだすことになる。【6】つまり、「わたし」というものの存在の
輪郭を補強することで、じぶんのもろい存在が
醸す不安をしずめようとする。そのために、たとえば
皮膚感覚を活性化することで、見えない身体の
輪郭を
浮き彫りにしようとする。【7】熱い湯に
浸かったり、冷水のシャワーを浴びたり、日光浴したり、スポーツで
汗をかいたりする。あるいは、他人と身体を
接触させたりする、あぐらを組む父親のふところに入る、異性と身体をふれあう……。
4. 【8】なぜこういう
行為が心地よいかというと、たとえばお
風呂に入ったりシャワーを浴びたりすると、湯や水と
皮膚との温度差によって
皮膚が
刺激され、
皮膚感覚が
覚醒させられる。ふだん見えない背中∵や
太股の裏の存在が、その表面のところでくっきり
浮かび上がってくる。【9】視覚的には直接感覚することのできない身体の
輪郭が、
皮膚感覚というかたちでくっきりしてくるのだ。お父さんの
膝のあいだに座ってもたれたときに背中で感じる温かい
壁のような
感触にひたって安心するというのも、心理的以外にこういう理由もあるのだろう。【0】激しい運動をして筋肉がこったり、
汗をかいて
肌がひんやりするのも、他人の手で身体をなでられるのも、お酒を
呑むと血が
皮膚の裏側ぎりぎりのところにまで
押し寄せてくるような感覚があるのも、みな、身体のおぼろげなイメージ、たよりないイメージを補強する効果をもっているのだろう。それらがひとの存在に確かな囲いを
与えてくれるのだ。
5. 服についても同じことが言える。服を着ると、身体を動かすたびに
皮膚が布地に
擦れる。身体の動きとともに、身体表面のそこかしこで身体と衣料との
接触が起こるのだ。その
接触感が、ふだんはじかには見えない身体のあやふやな
輪郭を、くっきりと
浮き立たせてくれるのだ。こういう感覚が、存在のベーシック・トーンとでもいうべきものとなって、ぼくらの気分をあるていど安定させているのだろう。
6. ところで、「わたし」の
輪郭を補強するには、
皮膚感覚を使うこのようなフィジカルな方法のほかに、もう一つ別の方法がある。これまで、ぼくらの身体というものはイメージとしてしかとらえられないもの、つまり想像や
解釈の対象でしかありえないということをみてきたのだけれど、そういうイメージとしてのじぶんの存在を、社会的な「意味」で何重にも包装し、強化していく方法だ。身体の表面にさまざまの意味を発生させ、
増殖させることで、じぶんがだれかという、そういう意味づけをもっと細かく、そしてもっと多様なしかたで
与えていくということ、要するに、じぶんの性別、あるいは性格、職業、ライフスタイルなどを、眼に見えるかたちで表現していくというやりかただ。
7.(
鷲田清一の文による。一部改変)
長文 1.4週
1. 【1】ベルクソンの
記憶論に
戻っていえば、
彼は、こう言っている。
記憶には二つの種類のものがある。一つは身体運動の反復によって得られる「習慣的
記憶」であり、この場合には経験は表象されない。もう一つは、自発的な「
純粋記憶」であり、この場合には、精神が過去を表象として想起する。【2】このように習慣的
記憶と
純粋記憶とを分類した場合に、後者を機器に委ねることは不可能であろう。想起的な
純粋記憶は、思い出されるのは個々の事物であっても、イメージ的全体としての世界にかかわっているからである。
2. 【3】基本的にベルクソンのこの想起的
記憶の考え方にのっとりつつ、思い出の持つ意味をいっそう
鮮やかに示しているものに、小林
秀雄の次のことばがある。「思ひ出が、
僕等を一種の動物である事から救ふのだ。
記憶するだけではいけないのだらう。【4】思ひ出さなくてはいけないのだらう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を
記憶で
一杯にしてゐるので、心を
虚しくして思ひ出す事ができないからではあるまいか。/上手に思ひ出す事は非常に難しい。」(「無常といふ事」)
3. 【5】ここには、思い出が精神的な
純粋記憶として、動物的・機械的な
記憶と対比されて
鋭くとらえられている。ベルクソンの
純粋記憶もそうなのだが、これらの場合、想起的
記憶だけが精神の
記憶とされ、そこから身体的なものはまったく
排除されている。【6】が、想起的
記憶はまったく身体から
切り離せるものであろうか。いうまでもなく、人間は心身の高次の統合体であり、いまや人間において、精神とは、活動する身体のことだと見なされている。そして、
記憶が担うイメージ的な表象は、つまりは、身体的なものを
基盤とした感性的なものだからである。
4. 【7】
記憶の働きは近代の知から
排除されたが、それには、それなりの理由があった。それまでの歴史の
拘束や重圧から
逃れ、共同体から個人が独立するためには、どうしても過去との
繋がりを断ち切る∵必要があった。【8】そのとき新しく
要請されたのが、デカルト的な意味での「方法」であった。方法とは、
記憶や習慣によらずにわれわれを真理に導くものでなければならなかった。「方法」をそのように位置づけるヒントを私が得たのは、フランシス・A・イエイツの『
記憶術』(一九六六年)からである。
5. 【9】イエイツはデカルト的な意味での「方法」について立ち入って述べてはいないが、面白いのは、デカルト自身が「
記憶力」の弱さをたいへん気にしていたことである。
彼は「私はつねに、他の何人かと同じように、豊かで、なんでもすぐに思い出せる
記憶力を持ちたいものだと願った」、と『方法序説』の初めのところで書いている。【0】デカルトはそのため、「
記憶術」に代わって、確実な前提から出発し、論理的な
連鎖によって物事をその原因から
演繹的にとらえていく「方法」を打ち立てたのである。「方法とは習慣の反対物である」とG・バシュラールも『適用された合理論』(一九四八年)のなかで述べている。
6. だからこそ、「方法」は科学的思考や科学に基づくテクノロジーと結びつくのである。その意味で、近代とは、まさしく「方法の時代」であった。ところが、P・
ヴァレリーのいう「方法的
制覇」が進み、
貫徹して、自然的・文化的
環境を
破壊したため、人びとは自己の存立
基盤の
喪失を痛切に感じるようになった。そのため、生存の
基盤と密接に結びついた
記憶の問題をもう一度考え直さざるを得なくなったのである。
7.(中村
雄二郎「
記憶」による)
長文 2.1週
1. 【1】しかし、ここで面白いのは「やりたいこと」とか「好きなこと」といっていても、それをいう自我主体に多少とも疑いを
抱き始めているということである。【2】本当は何が好きなのか、何をやりたいかわからないから、肉体的「行動」を、ともかくもおこし、そこで味わえるはずの未知の経験から得られるであろう感覚、感情に身をゆだねようということになるのである。【3】これはまあ、いわばよく
解釈した場合ではあるが、そして今の若ものたちの流行のなかには、すべてとはいわないまでもこういう要素がふくまれていると見てよいだろう。ところがこの方向をまともにやって行こうとするなら、これはいわばニヒリズムを方法として用いるということであるから、かなりの精神的
緊張を必要とする。【4】何が好きかわからない、何をやりたいかつかめないという状態を
肯定せず、むしろ否定的にとらえ、本当に好きなものを発見するという態度のなかでの、実験的一方法が、行動による
偶然を通じての自己発見というものだろうから。
2. 【5】しかし、何が好きかわからないためにやむを得ずする行動を「好き」といってしまっては、
短絡という以外いいようがない。これでは、「社会心理学」などでいう、集団的な反社会的行動への
逃避などといわれてしまってもしかたない。
3. 【6】また、たとえばサーフィン。これはやれば面白いだろうと思う。ゴルフだってやれば面白いだろうが、すこし
違うかもしれない。両方やったことがないのだから、無責任な話だが、しかし板を手で持つ波乗りぐらいはしたことがある。【7】波という自然の大きな、しかしじつに
微妙なリズムに、己れの肉体のリズムがぴったり合一した時の快感、これにつきるのだと思う。ボートのエイトならエイトで、八人の
漕ぎ手のオールさばきが、見事に水をとらえて、ふねと
漕ぎ手と水との不思議な一体感のなかで
陶酔する時、もっともスピードが出ている(これは体験だ)ということと似ていると思う。【8】官能の喜びではある。この直接的な官能性はこたえられないということはあるだろう。サーフィンが流行る根底にはこれがあるわけだが、実際に流行るプロセスでは、その体験は一種の神話的
雰囲気という
枠と化してしまっている。【9】波の来ない海岸にサーファーが集まり、それどころか、シティ・サーファーとかいう始めか∵ら海岸に行く気はないのに、車の
天井にサーフ・ボードを乗せ、顔には日焼けクリーム(日焼け除けではない)を茶色に
塗るという流行は一体何なのであろうか。【0】ここに
軽薄な心理を見出すことはたやすい。わたしはここにむしろ軽いシニシズムがあると思う。官能の体験は
淡い神話と化してそれにこの半分
腐ったような
傲慢で半ちくな自己
韜晦とが結びついて、今日の「流行」の原型をみせているのである。
4.(小野
二郎の文章による)
長文 2.2週
1. 【1】ヨーロッパのコトバでは、いずれも、「風景」を意味するコトバは「土地」「地域」を意味するコトバから第二次的に出来てきたわけで、ドイツ語では、Landは土地・田舎・地方・国土を意味していまして、それから出来たラントシャフト(Landschaft)という語は、地方行政区域のこと、つまり州とか地方県とかを意味します。【2】それがどうして、そのままに同時に「風景」を意味するようになったのか。まことに不思議なこととも言うべきです。とにかくこのように、風景の場所性といいますか、風土性といいますか、地域に根ざすものを
色濃く反映したものになっているわけです。
2. 【3】そして、考えてみれば当然のことであるわけですけれども、「土地」すなわち、それぞれの個性的な「場所」を
離れて風景は存在しえない。土地の地形、風物その他一切のもの、川とか森とか、山とか
丘とか平野とか、雲とか、そういう一切のものの全体がつくりだしている姿・形の場所的
特徴、これが風景であるわけでしょう。【4】ですから西洋の言語において風景
概念が、「地域・地方・土地」がそのまま「風景」となっている。すなわち「場所」としてのラントシャフトとして成立している。このことは考えてみますと、誠に自然でもあり、風景の本筋をいくものだ、とも言えましょう。
3. 【5】そして、このような西洋語の風景の意味形成の方向性、
特徴を、さきほど述べましたような、日本語における「風景」
概念の
含意のもっている方向性、
特徴と
比較してみますと、大変興味深いこと、そればかりか大変重要な一つの点が
浮かび上がってまいります。【6】といいますのは、日本語の風景
概念の
含意の方向性やその
特徴が「風景」にしても「景観」にしても主として主観性を示している。あるいは主情性に
溢れているのに対しまして、西洋語のそれは、対象性、客観性そして場所性を示している、ということが言えると思うからです。【7】日本のばあいには、対象についての主観的な感じ方、感情性、自分中心の好みや感じ方の方面が主として表現されているのに、西洋のばあいには主我性、主観性から一応自由に、外界にある土地について、その地理的空間性、風土生活
環境の場所性(トポス性)と形状性(ゲシュタルト)、それらの
特徴が「風景」だと認識されている、ということです。∵
4. 【8】このように見てまいりますと、さきほど私が考察いたしました中に、日本語の「風景」という語には、風情、情景の「情」(心情)が
隠されている、あるいは
含まれている、ということを言ったのですけれども、この「情」(心情)は、客観的な対象世界(自然)の姿・形とその美しさを、自然の生きた心として、【9】つまりは風景の心として感ずる(印象体験する)という点の情(心)であるよりは、むしろ、自分の主観の側の身勝手な感情の流れ、つまり四季の移ろい、時の流れ、時間性を感ずるあの感情の方に重点があるとみてよいと思えるのです。【0】日本の詩歌に表われている美意識のトーンの主要な
特徴が、自然の対象に
即した表現であるよりは、むしろ四季の移ろい、時の流れのあわれさ、その時間性の主観的体験の表現という
特徴を示していることと、このことは
一致してくると思います。
5. これに対しまして、西洋のランドスケープ、ラントシャフトの方は、「対象としての自然」の「地域」に
即した姿・形、その美を、その「場所性」において、つまりは空間性の生ける現象としてとらえる所において成り立っていると言えるでしょう。
6. このことは西洋の場合、対象としての自然に内在している生命・美というものを大切に思う心、つまり生きた自然の心を大切にする心が育ってくることを暗示しているのです。
7.(内田
芳明『風景とは何か』)
長文 2.3週
1. 【1】デカルトが述べたことで、もう一つ、科学の発展にとって非常に重要だったことは、世界の真実の状態と、われわれが五感で認識する世界の状態とは、必ずしも同じものではないかもしれないという
指摘にある。【2】私たちは、地面の上に空が広がり、空は青くリンゴは赤いと認識するが、そうやって私たちが認識する通りのものが、まさに世界の物質の実体であるとは限らない、と
彼は
指摘した。
2. このことも、デカルト以前の時代には、はっきりと認識されてはいなかった。【3】物体が落ちるのは、まさに「上から下」に向かって落ちるのであり、色には、私たちがみるとおりの「赤」なら「赤」の本質というものがあると思われていたのである。
3. 【4】事実は、万有引力の法則によって、物体が
互いに引き合うのであり、「上から下」へは、たまたま地球が非常に大きいために、地上のものはみな地表に引きつけられるから起こることである。【5】色も、じつはいろいろな波長の電磁波であり、私たちの
網膜の
細胞に
喚起されるインパルスの
違いが異なる色として認識されるだけである。
4. これは、デカルトのたいへんな
慧眼であったと私は思う。人間は、なかなか、自分自身にとっての現実から
逃れられないものだ。【6】自分の実感と世界の真の姿との間に、なんらかのずれがあるかもしれないなどと気づくのは、なみたいていのことではないだろう。
5. しかし、そこでつぎにまた疑問がわく。私たちの世界の認識は、世界の真の姿とは関係がなく、なんら特別な
根拠のない
把握の仕方なのだろうか。【7】それとも、まったく同じものを
把握しているのではないとしても、私たちの世界の認識は、なんらかの形で真実と対応した認識の一形態なのだろうか。つまり、私たちの世界の認識の仕方は、まったく
無作為、任意の、たまたま
偶発的になされる勝手なものなのか、それとも、なんらかの真実との対応をもっているものなのか、ということである。
6. 【8】これは、科学的知識の確かさについての、昔からの議論の題材である。さらに、最近のポストモダンの相対主義者ならば、科学も、ある個人の世界の認識も、すべては、単に一つの見方、勝手な構築にすぎないというのだろう。
7. 【9】しかし、私はそうは思わない。私たちが世界をどのように認知するかは、私たちという生物種が、ある特定の生態学的位置の中で∵生存していく上で、役に立つような仕方に作られているはずだ。私たちは、空を飛ばずに地上を歩く生物なので、三次元的なアクロバティックな運動や感覚には優れていない。【0】一方、昼間に活動する生物なので、色や明暗の認識には長けている。その意味では、私たちの感覚世界は制限を受けている。しかし、私たちの認識は、確かに、世界の真実の一部と対応している。
8. ミミズは私たちとは大いに異なる生活様式をもっているから、私たちとは大いに異なる世界の認識をしているだろう。ミミズの認識する世界を、私たちは実感することはできないだろうが、ミミズの認識も、世界の真実の一部に対応しているはずだ。
9. このあたりの認識世界のようすは、それぞれの生物の進化の道筋によって形成されているはずである。デカルトがダーウィンと話す機会があったとしたら、非常におもしろい会話が発展したことだろう。
10.(長谷川
眞理子『科学の目 科学のこころ』より)
長文 2.4週
1. 【1】「書物」とはいったい何だろうか! それを評価するとか、読むとかいうことは何を意味するのだろうか? それを売るとか買うとかいうことになるのは、何だろうか?
2. これらの問いに、もっとも近づきやすいのは、「書物」を人間からもっとも遠くにある観念の「人間」とみなすことである。
3. 【2】わたしたちは
誰でも、子どものころは親とか兄弟とか友人とか教師から、知識や判断力や書物にたいする習慣的な位置のとり方を習いおぼえる。そして青年期に足を
踏みこむと、しだいに親や兄弟や教師たちを、教え手としては物足りなく思いはじめ、
離反するようになる。【3】これは個人にとっては「
乳離れ」とおなじで必然的なものである。
4. しかし、わたしたちは
誰もここで
錯覚した経験をもっている。親や兄弟や教師などはくだらない存在であり、自分はかれらより優れてしまったし、かれらより
純粋であるし、かれらから学ぶものはなにもないというように思いはじめる。【4】こういう
思い込みが真実でありうるのは、半分くらいである。あとの半分では、青年期に達したとき、わたしたちは眼の前に何を
与えられてもくだらないし、何にたいしても否定したいという
衝動をもつようになる。
5. 【5】これは、自己にたいする不満の投射された病いにすぎない。つまり
誰もかれを満足させるものではなく、何を
与えても否定的であることの一半の原因は、対象の側にはなく自己の側にあるだけである。
6. 【6】この時期に、わたしたちは、じぶんを
充たしてくれるものとして、「書物」をもとめる。「書物」は周囲で眼に
触れる事柄や人間にすべて不満である時期に、いわば、「肉体」をもたない「親」や「兄弟」や「教師」の代理物としてあらわれる。
7. 【7】ほんとうは「書物」は、身近にいる「親」や「兄弟」や「教師」などよりつまらないものであるかもしれない。しかしわたしたちは青年期に足を
踏みこんだとき、「書物」には肉体や
性癖や生々しい
触感がなく、ただの「印刷物」であるということだけで、不満や否定から
控除するのだといってよい。∵
8. 【8】そこで「書物」は、身近にいる「親」や「兄弟」や「教師」などより格段に優れた「親」や「兄弟」や「教師」に思われてくる。つまり、遠くの存在だというだけで
苛立たしい否定の対象から
免れるのだ。
9. 【9】しかし、青年期にはいったときわたしたちは、さらに
錯覚する。こういう優れた「書物」を書いた著者は、人格も識見もじぶんの知っている「親」や「兄弟」や「教師」などより格段に優れており、
平凡な肉親や教師たちとちがった特異な生活をしているにちがいない、ぜひ一度会って、できるならばその生活ぶりも知りたいものだというように。
10. 【0】しかし、かれが実際に訪れてみると、その「書物」の著者は、すくなくとも
見掛けたところ、ごく
普通の生活をやっている
平凡な人物にすぎない。じぶんの「親」や「兄弟」や「教師」とおなじように、子どもを
叱りとばしたり、
女房と
喧嘩をしたり、くだらぬお説教のひとつも
喋言るありふれた人物である。
11.(
吉本隆明『読書の方法』より)
長文 3.1週
1. 【1】社会の仕組みの正しさ(
倫理性)に関して多くの異なる理論が存在しているが、それらに共通していることは、各理論がそれぞれ重要とみなす何事かについては平等を要求する、という
特徴である。なぜそうなのか? 【2】社会的なことがらに関する
倫理的な
根拠が
妥当性をもつためには、決定的に重要とみなされるレベルで、社会のすべての構成員に対して基本的に平等な
配慮がなされている必要がある。もしそのような平等性がなければ、その理論は
恣意的に差別を行っていることになり、正当化されがたい。【3】理論というものは、多くの点で不平等を受け入れ、さらに不平等を要求することもありうる。しかし、そのような不平等が正当化されるためには、本質的なところですべての人々に平等な
配慮がなされていなければならない。【4】また、その
配慮が究極において不平等と関連していることを示す必要がある。
2. おそらくは、このような
特徴から、
倫理的な
根拠が第三者からみて、
潜在的にはすべての他者からみて、
信頼にたるものでなければならないという要件が必要になってくる。【5】とくに社会の仕組みに関する
倫理的な
根拠については、そういえる。「なぜこのシステムなのか」という問いに対する答は、そのシステムに属するすべての人々に
与えられなければならない。
3. 【6】「自分の行動を正当化するためには、他の人々が理性では
拒否できないことを
根拠とすべきである」と、トーマス・スキャンロンは主張する。人の行動にとって、このような要件が
妥当であり説得力をもつと、
彼は
分析している。【7】ロールズは「公正」という要件を
基礎にして正義論を展開している。それは、人が理性的に
拒否できるもの、あるいは
拒否できないものとは何かを決定する
枠組を提供しているとみなすことができる。同様に、より
一般的な「公平さ」という要件が主張されることもある。【8】その場合にも、基本的に平等な
配慮をするという
特徴がともなってくる。このような
一般的な形での理由づけは、
倫理学の
基礎と大いに関連している。∵それゆえに、それぞれの
倫理的な提言の中で、様々に異なった形で現れてきている。
4. 【9】ここで関心があるのは、以下の主張の
妥当性である。すなわち、「社会の仕組みに関する政治的な、あるいは
倫理的な理論を提示する場合、重要だとみなされるレベルでの平等な
配慮は、簡単には無視しえない要求である」という主張である。【0】社会制度において支持を受け続け、合理的な
擁護が行われている主要な政治的
倫理的な提言には、何らかの形で公平さや平等な
配慮が共通の背景としてある。このことを
指摘しておくことは、非常に
実践的な意味があろう。そのひとつの帰結は、問題となる領域において個人間で優位性に格差があることを正当化する必要性を、しばしば
暗黙裏に受け入れることである。このような不平等は、その他のさらにもっと重要な変数に関する平等と強く結びついていることを示す形で正当化されている。
5. ここで、変数の重要性は、必ずしもその変数に固有のものではないということに注意しよう。例えば、ロールズの「基本財の平等」や、ドーキンの「資源の平等」は、必ずしも基本財や資源のもつ固有の重要性によって正当化されているわけではない。このような変数の平等は、それが人々の目的を達成するために必要な機会を平等に
与える手段となるために、重要とみなされている。実は、この両者の間の
距離が、これらの理論にある種の内的な
緊張を生み出すことになる。なぜなら、基本財や資源の重要性は、基本財や資源を各人の目的の達成やそれを
遂行する自由へと
変換していく能力にかかっているからである。そのような
変換を行う能力は、実際には人によって差があり、このことが基本財や資源を平等に保有することの重要性の
根拠を弱めているのである。
6.(アマルティア・セン『不平等の再検討』より)
長文 3.2週
1. 【1】
漱石は、イギリスでの暮らしの経験の中で日本とは
違った個人のあり方を
目撃してきた。このことは当時海外で暮らした者にとっては大きな
衝撃であっただろう。個人と社会の関係に目を開かされたのである。【2】
漱石は、多くの留学経験者がそうだったように、わが国には個人が生まれていないと
慨嘆してすます程度の人間ではなかった。
彼は日本の社会と個人のあり方について
真剣に考えたと思われる。特に
彼にとって問題であった親族、つまり家族の問題との関わりの中で、個人と社会の問題に関わらざるをえなかった。
2. 【3】しかし、その際に、
西欧流の社会という
概念をわが国にそのまま仮定し、それに対して日本の個人を対比させたところに
彼の問題があった。わが国には、個人が社会に対する以前にそれぞれの世間があったのであるが、この世間は、
彼には社会の未成熟なもの、すなわち同一線上で語りうるもの、としてしか見えなかったのである。【4】ところがこの
頃には世間という
概念は現実にはっきりとした
輪郭をもっていた。しかし、それにもかかわらず、
漱石は社会と世間の区別をなしえなかったのである。
3.
漱石が、このような問題意識に立って諸作品を書いていったとして、その
彼の姿勢を支えていたものは何だったのだろうか。【5】一つ一つの作品を見れば出来不出来はあるし、社会の見方も
到底鋭いとはいえないが、
彼の作品には、当時から現在までのわが国が
抱えてきた、あるいは引きずってきた重要な問題が示されている。何度もいうように、それは個人と社会の関係の問題である。【6】そこに親族の問題や男女の関係が
絡んでくることはいうまでもない。
漱石はそれらの問題に対して作品の中では世間や社会に背を向けた立場を選んでいる。
彼の小説の主人公はほとんど社会や世間の中で主要な地位を得ていない人たちである。【7】現実には、
漱石の家に集まった人々の中には後に日本の知的世界を背負ってゆくことになる多くの人物がいたが、作品の中ではそういう構図にはなっていない。
4. 明治以降の日本の社会の中で、世間や社会にしかるべき地位を得ている人の世間や社会を見る目ははっきりしていた。【8】そのような∵人々を主人公にした小説類はおびただしい数に上るが、それらは必ずしも時代を
超えて読者に
訴えてゆく力をもってはいなかった。
5. それに対して
漱石の作品が読み
継がれてきた一つの理由には、世間や社会に背を向けようとしたその視点にあったといえよう。【9】このような視点に立って初めて日本の社会と個人の主要な一面が見えてくるからである。
6. もとより
漱石自身が「
隠者」的であったというのではない。作品の中にその
傾向がみられるというのである。【0】このように見てくると「徒然草」の
吉田兼好から
漱石に至るまで、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「
隠者」に負うてきたことだろう。
隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を
模索し自覚した人はいつまでも、結果として
隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。
7.(
阿部謹也『「世間」とは何か』より)
長文 3.3週
1. 【1】時間の進行と希望の消息、それが
占いの主題である。なんとなくそんなことを考えだした時から、私は「時の
装飾法」というものに興味を持ち出した。いったい、時間というものは実在しているものなのか、実在しない制度に過ぎないのか。【2】もし、時間というものが実在しているとすれば、それはいったい何時から始まり、何時をもって終りとするのか。この問題を
巡って実に様々な分野で目の回るような議論が
繰広げられていることを知ったのは、もっと後のことだ。【3】時間論は現代の神学だ。それは単なる
比喩ではなくて、無神論の登場と時間論の白熱は
軌を一にしているのである。一方では中世の神学者も
驚異を感じるかもしれないほど複雑、
煩雑、
精緻な議論が戦わされている。【4】一方では、そちらの方が世の中の大半だが、時計と行動の相談ができない人間を無視するほど、時計への信望が高まっている。八十年代の半ば
頃から目立ちはじめた時計だけが不
釣り合いに高級というアンバランスはここ数年、服装に関しては
幾分、バランスを
取り戻しているように見える。
2. 【5】身を
飾るという世界では一見、バランスを
取り戻したように見えるが、経済の世界はますます「時は金なり」という筋を
突き進んでいるように思える。「時は金なり」「時は神なり」ゆえに「金は神なり」という三段論法がまたたくまに成立してしまうという
短絡がいつ現れないとも限らない。【6】このような単純すぎる筋というものは、簡単に成立してしまいそうで、たいていの場合、その寸前で何かしらのブレーキがかかるものだ。いったい、どんなブレーキがかかるのか。今のところ私には想像もできないが、世界はますます時と金を
巡って、無表情な数字に
衝き動かされているようだ。【7】そこでは夜も昼もない。数字に
換算された時と、数字に
換算された金が
恐ろしいスピードで動き回っているらしい。一日のうちの大半をタクシードライバーとして過ごしながら、東京、ロンドン、ニューヨークの株式市場や
為替市場、
債券市場の動きを読んで取り引きを
繰返しているという男にあったことがある。【8】タクシーの乗務を終えて自宅にもどったあとは、「
市況の
把握は
女房に任せて
寝るん∵です」と話していた。
旨くすれば、それほど
歳月をかけずにタクシードライバーから
抜け出せるとは言わなかったが、元来のタクシードライバーではなくて、何かの苦境で資金
稼ぎにこの商売を始めた人のようだった。
3. 【9】
占いなんてと笑う男性は結構いて、ちっとも信じていない様子を見せるけれども、「金」と「人気」を
扱う人間はそんなに簡単に
占いを笑ったりはしない。時によっては実力以上の何かが起きるからだ。【0】私はそういう人々を見るたびに、「時の
匂い」を
嗅ぎ分ける鼻というものを想像してみる。あるいは潮時を見極めるするどい目を想像してみる。そこでは時は決して数値化されていないし、また均質に流れてもいない。時の
装飾法として最初に
浮かぶのが
占いである。そのなかでもとりわけ西洋
占星術は
装飾法として
魅力的なアレゴリーをふんだんに持っている。
4. もっとも、女の子が西洋
占星術のアレゴリーに感じるような
魅力を、「人気」商売や「金」の出入りの大きな投機家が覚えるかというとそうでもない。日本の、あるいは東京では
幾らか占い師のすみわけというようなものがあって、西洋
占星術のお得意さんの第一は
恋をしている、あるいは
恋をしたい女性だ。たぶん、天球を十二分割して、そこに
獅子やさそり、
双子、
乙女といった星座を割り当てて行くという
意匠が女性好みなのだろう。ただし、それらの
意匠はあくまでも西洋の文明がもたらしたものだから、あの「時の
匂い」を
嗅ぎ分ける鼻や潮時を見極める
眼力を養うには、いささか、
甘すぎる
意匠なのかもしれない。とは言え、それが天文学に基づき、現在の
暦である
太陽暦と密接に
繋がっている以上、最初に時の
装飾法の研究の対象とするふさわしさがあるだろう。
5.(
中沢けい『時の
装飾法』より)
長文 3.4週
1. 【1】一八九九年、
新渡戸稲造が英文をもって著わした『武士道』は、日清戦争後の新興日本に対して興味をもち出していた
欧米各国民に向かって、日本の道徳体系を解明したものとしてすこぶる好評を博した。
2. 【2】それはそれなりに功績はあったにちがいないが、史実的に見ればほとんどむちゃくちゃともいうべき乱雑さで「寺子屋」や「千代
萩」まで引用しているのでは、とうてい、学問的価値のある述作とは認められない。【3】しかし
新渡戸の著書は、明治以後武士道復活が
叫ばれるごとに、かならず持ち出されるものであるから、一応その内容を
瞥見しよう。
3. 【4】
新渡戸は、武士道とは武士のかならず
実践すべき
倫理綱領であるとし、その内容として、正義、勇気、仁愛、
礼儀、至誠、
名誉、忠義、
克己などをあげ、特に忠の観念を「
封建諸道徳を結んでの均整美あるアーチと
為した要石である」と述べている。
4. 【5】
江戸時代に完成された武士階級の道徳
綱領としては、ほぼ正しいであろう。もちろんこれは武士はまさに「かくあるべきもの」という
規範であって、現実に「こうである」という意味でないことは当然である。【6】大部分の武士はこれらの道徳律に反した存在であり、ただ表面的にこれに従っているかのように見せていたにすぎない。だからこそ、くり返し、これらの道徳律を「武士道」として教えなければならなかったのである。
5. 【7】――けしからん、そんなばかなことがあるか、と、いくつかの例をあげて
怒りだす人もいるだろうが、それらの例は明らかに、それが当時、
珍しいことであったから
称賛され、
喧伝されたのであって、決して武士
一般がそうであったということにはならない。
6. 【8】それでは、単にそれに向かって努力すべき道徳指標として考えた場合、武士道はどのような特色を持っているのであろうか。
7. 正義も、勇気も、仁愛も、
礼儀も、至誠も、
名誉も、
克己も、いずれも武士にのみ特有の
倫理ではないはずである。すべて規律ある社会人として生活する以上、すべての人間が当然これらの道徳律を目標とすべきであろう。【9】それが武士道として、とくに武士階級に∵強く要求されたのは、武士が
封建社会における指導的階級とされ、農工商に
範たるべきものとされていたからにちがいないが、もっとも
肝要な点は、忠義という武士に特有の観念が、これらの道徳の要石としてすえられていたからだ。【0】忠義の一点を除けば、他の諸点は、
欧米の
紳士道についてさえ、ほとんど
一致するといってよい。
8. したがって武士道の根底をなす「忠」という観念を究明することなくしては武士道の本質を
把握することはできないであろう。
9. ところが、
江戸時代における忠義の観念ぐらい
奇妙なものはない。「忠」はいうまでもなく、おのれの主君に対する服従および忠誠である。それも絶対的な服従であり、必要とあれば生命をささげて
奉仕することである。
10. そしてその主君たるものは、
知謀、才幹、力量においてすぐれているのでもなく、人間的にすぐれているわけでもない。ただ主家に生まれたがゆえにその地位を
世襲しているにすぎない。大部分は
愚劣な存在だといってよい。
11. こんな主君に対して、忠臣は二君に仕えずといい、君君たらずとも臣臣たりというような
戒律を守らねばならないとされたのだ。
12.(南条
範夫の文章による)