1. 【1】一八九九年、
新渡戸稲造が英文をもって著わした『武士道』は、日清戦争後の新興日本に対して興味をもち出していた
欧米各国民に向かって、日本の道徳体系を解明したものとしてすこぶる好評を博した。
2. 【2】それはそれなりに功績はあったにちがいないが、史実的に見ればほとんどむちゃくちゃともいうべき乱雑さで「寺子屋」や「千代
萩」まで引用しているのでは、とうてい、学問的価値のある述作とは認められない。【3】しかし
新渡戸の著書は、明治以後武士道復活が
叫ばれるごとに、かならず持ち出されるものであるから、一応その内容を
瞥見しよう。
3. 【4】
新渡戸は、武士道とは武士のかならず
実践すべき
倫理綱領であるとし、その内容として、正義、勇気、仁愛、
礼儀、至誠、
名誉、忠義、
克己などをあげ、特に忠の観念を「
封建諸道徳を結んでの均整美あるアーチと
為した要石である」と述べている。
4. 【5】
江戸時代に完成された武士階級の道徳
綱領としては、ほぼ正しいであろう。もちろんこれは武士はまさに「かくあるべきもの」という
規範であって、現実に「こうである」という意味でないことは当然である。【6】大部分の武士はこれらの道徳律に反した存在であり、ただ表面的にこれに従っているかのように見せていたにすぎない。だからこそ、くり返し、これらの道徳律を「武士道」として教えなければならなかったのである。
5. 【7】――けしからん、そんなばかなことがあるか、と、いくつかの例をあげて
怒りだす人もいるだろうが、それらの例は明らかに、それが当時、
珍しいことであったから
称賛され、
喧伝されたのであって、決して武士
一般がそうであったということにはならない。
6. 【8】それでは、単にそれに向かって努力すべき道徳指標として考えた場合、武士道はどのような特色を持っているのであろうか。
7. 正義も、勇気も、仁愛も、
礼儀も、至誠も、
名誉も、
克己も、いずれも武士にのみ特有の
倫理ではないはずである。すべて規律ある社会人として生活する以上、すべての人間が当然これらの道徳律を目標とすべきであろう。【9】それが武士道として、とくに武士階級に∵強く要求されたのは、武士が
封建社会における指導的階級とされ、農工商に
範たるべきものとされていたからにちがいないが、もっとも
肝要な点は、忠義という武士に特有の観念が、これらの道徳の要石としてすえられていたからだ。【0】忠義の一点を除けば、他の諸点は、
欧米の
紳士道についてさえ、ほとんど
一致するといってよい。
8. したがって武士道の根底をなす「忠」という観念を究明することなくしては武士道の本質を
把握することはできないであろう。
9. ところが、
江戸時代における忠義の観念ぐらい
奇妙なものはない。「忠」はいうまでもなく、おのれの主君に対する服従および忠誠である。それも絶対的な服従であり、必要とあれば生命をささげて
奉仕することである。
10. そしてその主君たるものは、
知謀、才幹、力量においてすぐれているのでもなく、人間的にすぐれているわけでもない。ただ主家に生まれたがゆえにその地位を
世襲しているにすぎない。大部分は
愚劣な存在だといってよい。
11. こんな主君に対して、忠臣は二君に仕えずといい、君君たらずとも臣臣たりというような
戒律を守らねばならないとされたのだ。
12.(南条
範夫の文章による)