長文集  3月4週  ○一八九九年、新渡戸稲造が  nnge2-03-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/25 15:45:32
 【1】一八九九年、新渡戸稲造が英文をも
って著わした『武士道』は、日清戦争後の新
興日本に対して興味をもち出していた欧米各
国民に向かって、日本の道徳体系を解明した
ものとしてすこぶる好評を博した。
 【2】それはそれなりに功績はあったにち
がいないが、史実的に見ればほとんどむちゃ
くちゃともいうべき乱雑さで「寺子屋」や「
千代萩」まで引用しているのでは、とうてい
、学問的価値のある述作とは認められない。
【3】しかし新渡戸の著書は、明治以後武士
道復活が叫ばれるごとに、かならず持ち出さ
れるものであるから、一応その内容を瞥見し
よう。
 【4】新渡戸は、武士道とは武士のかなら
ず実践すべき倫理綱領であるとし、その内容
として、正義、勇気、仁愛、礼儀、至誠、名
誉、忠義、克己などをあげ、特に忠の観念を
「封建諸道徳を結んでの均整美あるアーチと
為した要石である」と述べている。
 【5】江戸時代に完成された武士階級の道
徳綱領としては、ほぼ正しいであろう。もち
ろんこれは武士はまさに「かくあるべきも 
の」という規範であって、現実に「こうであ
る」という意味でないことは当然である。【
6】大部分の武士はこれらの道徳律に反した
存在であり、ただ表面的にこれに従っている
かのように見せていたにすぎない。だからこ
そ、くり返し、これらの道徳律を「武士道」
として教えなければならなかったのである。
 【7】――けしからん、そんなばかなこと
があるか、と、いくつかの例をあげて怒りだ
す人もいるだろうが、それらの例は明らか 
に、それが当時、珍しいことであったから称
賛され、喧伝されたのであって、決して武士
一般がそうであったということにはならな 
い。
 【8】それでは、単にそれに向かって努力
すべき道徳指標として考えた場合、武士道は
どのような特色を持っているのであろうか。
 正義も、勇気も、仁愛も、礼儀も、至誠も
、名誉も、克己も、いずれも武士にのみ特有
の倫理ではないはずである。すべて規律ある
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社会人として生活する以上、すべての人間が
当然これらの道徳律を目標とすべきであろう
。【9】それが武士道として、とくに武士階
級に∵強く要求されたのは、武士が封建社会
における指導的階級とされ、農工商に範たる
べきものとされていたからにちがいないが、
もっとも肝要な点は、忠義という武士に特有
の観念が、これらの道徳の要石としてすえら
れていたからだ。【0】忠義の一点を除け 
ば、他の諸点は、欧米の紳士道についてさえ
、ほとんど一致するといってよい。
 したがって武士道の根底をなす「忠」とい
う観念を究明することなくしては武士道の本
質を把握することはできないであろう。
 ところが、江戸時代における忠義の観念ぐ
らい奇妙なものはな い。「忠」はいうまで
もなく、おのれの主君に対する服従および忠
誠である。それも絶対的な服従であり、必要
とあれば生命をささげて奉仕することである

 そしてその主君たるものは、知謀、才幹、
力量においてすぐれているのでもなく、人間
的にすぐれているわけでもない。ただ主家に
生まれたがゆえにその地位を世襲しているに
すぎない。大部分は愚劣な存在だといってよ
い。
 こんな主君に対して、忠臣は二君に仕えず
といい、君君たらずとも臣臣たりというよう
な戒律を守らねばならないとされたのだ。

(南条範夫の文章による)