長文 3.3週
1. 【1】時間の進行と希望の消息、それが占いうらな の主題である。なんとなくそんなことを考えだした時から、私は「時の装飾そうしょく法」というものに興味を持ち出した。いったい、時間というものは実在しているものなのか、実在しない制度に過ぎないのか。【2】もし、時間というものが実在しているとすれば、それはいったい何時から始まり、何時をもって終りとするのか。この問題を巡っめぐ て実に様々な分野で目の回るような議論が繰広げくりひろ られていることを知ったのは、もっと後のことだ。【3】時間論は現代の神学だ。それは単なる比喩ひゆではなくて、無神論の登場と時間論の白熱は軌を一にき いつ しているのである。一方では中世の神学者も驚異きょういを感じるかもしれないほど複雑、煩雑はんざつ精緻せいちな議論が戦わされている。【4】一方では、そちらの方が世の中の大半だが、時計と行動の相談ができない人間を無視するほど、時計への信望が高まっている。八十年代の半ばころから目立ちはじめた時計だけが不釣り合いつ あ に高級というアンバランスはここ数年、服装に関しては幾分いくぶん、バランスを取り戻しと もど ているように見える。
2. 【5】身を飾るかざ という世界では一見、バランスを取り戻しと もど たように見えるが、経済の世界はますます「時は金なり」という筋を突き進んつ すす でいるように思える。「時は金なり」「時は神なり」ゆえに「金は神なり」という三段論法がまたたくまに成立してしまうという短絡たんらくがいつ現れないとも限らない。【6】このような単純すぎる筋というものは、簡単に成立してしまいそうで、たいていの場合、その寸前で何かしらのブレーキがかかるものだ。いったい、どんなブレーキがかかるのか。今のところ私には想像もできないが、世界はますます時と金を巡っめぐ て、無表情な数字に衝きつ 動かされているようだ。【7】そこでは夜も昼もない。数字に換算かんさんされた時と、数字に換算かんさんされた金が恐ろしいおそ   スピードで動き回っているらしい。一日のうちの大半をタクシードライバーとして過ごしながら、東京、ロンドン、ニューヨークの株式市場や為替かわせ市場、債券さいけん市場の動きを読んで取り引きを繰返しくりかえ ているという男にあったことがある。【8】タクシーの乗務を終えて自宅にもどったあとは、「市況しきょう把握はあく女房にょうぼうに任せて寝るね ん∵です」と話していた。旨くうま すれば、それほど歳月さいげつをかけずにタクシードライバーから抜け出せるぬ だ  とは言わなかったが、元来のタクシードライバーではなくて、何かの苦境で資金稼ぎかせ にこの商売を始めた人のようだった。
3. 【9】占いうらな なんてと笑う男性は結構いて、ちっとも信じていない様子を見せるけれども、「金」と「人気」を扱うあつか 人間はそんなに簡単に占いうらな を笑ったりはしない。時によっては実力以上の何かが起きるからだ。【0】私はそういう人々を見るたびに、「時の匂いにお 」を嗅ぎか 分ける鼻というものを想像してみる。あるいは潮時を見極めるするどい目を想像してみる。そこでは時は決して数値化されていないし、また均質に流れてもいない。時の装飾そうしょく法として最初に浮かぶう  のが占いうらな である。そのなかでもとりわけ西洋占星術せんせいじゅつ装飾そうしょく法として魅力みりょく的なアレゴリーをふんだんに持っている。
4. もっとも、女の子が西洋占星術せんせいじゅつのアレゴリーに感じるような魅力みりょくを、「人気」商売や「金」の出入りの大きな投機家が覚えるかというとそうでもない。日本の、あるいは東京では幾らかいく  占い師うらな しのすみわけというようなものがあって、西洋占星術せんせいじゅつのお得意さんの第一はこいをしている、あるいはこいをしたい女性だ。たぶん、天球を十二分割して、そこに獅子ししやさそり、双子ふたご乙女おとめといった星座を割り当てて行くという意匠いしょうが女性好みなのだろう。ただし、それらの意匠いしょうはあくまでも西洋の文明がもたらしたものだから、あの「時の匂いにお 」を嗅ぎか 分ける鼻や潮時を見極める眼力がんりきを養うには、いささか、あますぎる意匠いしょうなのかもしれない。とは言え、それが天文学に基づき、現在のこよみである太陽暦たいようれきと密接に繋がっつな  ている以上、最初に時の装飾そうしょく法の研究の対象とするふさわしさがあるだろう。

5.(中沢なかざわけい『時の装飾そうしょく法』より)