長文集  3月3週  ★(感)時間の進行と  nnge2-03-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】時間の進行と希望の消息、それが占
いの主題である。なんとなくそんなことを考
えだした時から、私は「時の装飾法」という
ものに興味を持ち出した。いったい、時間と
いうものは実在しているものなのか、実在し
ない制度に過ぎないのか。【2】もし、時間
というものが実在しているとすれば、それは
いったい何時から始まり、何時をもって終り
とするのか。この問題を巡って実に様々な分
野で目の回るような議論が繰広げられている
ことを知ったのは、もっと後のことだ。【3
】時間論は現代の神学だ。それは単なる比喩
ではなくて、無神論の登場と時間論の白熱は
軌を一にしているのである。一方では中世の
神学者も驚異を感じるかもしれないほど複 
雑、煩雑、精緻な議論が戦わされている。【
4】一方では、そちらの方が世の中の大半だ
が、時計と行動の相談ができない人間を無視
するほど、時計への信望が高まっている。八
十年代の半ば頃から目立ちはじめた時計だけ
が不釣り合いに高級というアンバランスはこ
こ数年、服装に関しては幾分、バランスを取
り戻しているように見える。
 【5】身を飾るという世界では一見、バラ
ンスを取り戻したように見えるが、経済の世
界はますます「時は金なり」という筋を突き
進んでいるように思える。「時は金なり」「
時は神なり」ゆえに「金は神なり」という三
段論法がまたたくまに成立してしまうという
短絡がいつ現れないとも限らない。【6】こ
のような単純すぎる筋というものは、簡単に
成立してしまいそうで、たいていの場合、そ
の寸前で何かしらのブレーキがかかるものだ
。いったい、どんなブレーキがかかるのか。
今のところ私には想像もできないが、世界は
ますます時と金を巡って、無表情な数字に衝
き動かされているようだ。【7】そこでは夜
も昼もない。数字に換算された時と、数字に
換算された金が恐ろしいスピードで動き回っ
ているらしい。一日のうちの大半をタクシー
ドライバーとして過ごしながら、東京、ロン
ドン、ニューヨークの株式市場や為替市場、
債券市場の動きを読んで取り引きを繰返して
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いるという男にあったことがある。【8】タ
クシーの乗務を終えて自宅にもどったあとは
、「市況の把握は女房に任せて寝るん∵です
」と話していた。旨くすれば、それほど歳月
をかけずにタクシードライバーから抜け出せ
るとは言わなかった が、元来のタクシード
ライバーではなくて、何かの苦境で資金稼ぎ
にこの商売を始めた人のようだった。
 【9】占いなんてと笑う男性は結構いて、
ちっとも信じていない様子を見せるけれども
、「金」と「人気」を扱う人間はそんなに簡
単に占いを笑ったりはしない。時によっては
実力以上の何かが起きるからだ。【0】私は
そういう人々を見るたびに、「時の匂い」を
嗅ぎ分ける鼻というものを想像してみる。あ
るいは潮時を見極めるするどい目を想像して
みる。そこでは時は決して数値化されていな
いし、また均質に流れてもいない。時の装飾
法として最初に浮かぶのが占いである。その
なかでもとりわけ西洋占星術は装飾法として
魅力的なアレゴリーをふんだんに持っている

 もっとも、女の子が西洋占星術のアレゴリ
ーに感じるような魅力を、「人気」商売や「
金」の出入りの大きな投機家が覚えるかとい
うとそうでもない。日本の、あるいは東京で
は幾らか占い師のすみわけというようなもの
があって、西洋占星術のお得意さんの第一は
恋をしている、あるいは恋をしたい女性だ。
たぶん、天球を十二分割して、そこに獅子や
さそり、双子、乙女といった星座を割り当て
て行くという意匠が女性好みなのだろう。た
だし、それらの意匠はあくまでも西洋の文明
がもたらしたものだから、あの「時の匂い」
を嗅ぎ分ける鼻や潮時を見極める眼力(がん
りき)を養うには、いささか、甘すぎる意匠
なのかもしれない。とは言え、それが天文学
に基づき、現在の暦である太陽暦と密接に繋
がっている以上、最初に時の装飾法の研究の
対象とするふさわしさがあるだろう。

(中沢けい『時の装飾法』より)