ゲンゲ2 の山 3 月 3 週 (5)
★(感)時間の進行と   池新  
 【1】時間の進行と希望の消息、それが占いの主題である。なんとなくそんなことを考えだした時から、私は「時の装飾法」というものに興味を持ち出した。いったい、時間というものは実在しているものなのか、実在しない制度に過ぎないのか。【2】もし、時間というものが実在しているとすれば、それはいったい何時から始まり、何時をもって終りとするのか。この問題を巡って実に様々な分野で目の回るような議論が繰広げられていることを知ったのは、もっと後のことだ。【3】時間論は現代の神学だ。それは単なる比喩ではなくて、無神論の登場と時間論の白熱は軌を一にしているのである。一方では中世の神学者も驚異を感じるかもしれないほど複雑、煩雑、精緻な議論が戦わされている。【4】一方では、そちらの方が世の中の大半だが、時計と行動の相談ができない人間を無視するほど、時計への信望が高まっている。八十年代の半ば頃から目立ちはじめた時計だけが不釣り合いに高級というアンバランスはここ数年、服装に関しては幾分、バランスを取り戻しているように見える。
 【5】身を飾るという世界では一見、バランスを取り戻したように見えるが、経済の世界はますます「時は金なり」という筋を突き進んでいるように思える。「時は金なり」「時は神なり」ゆえに「金は神なり」という三段論法がまたたくまに成立してしまうという短絡がいつ現れないとも限らない。【6】このような単純すぎる筋というものは、簡単に成立してしまいそうで、たいていの場合、その寸前で何かしらのブレーキがかかるものだ。いったい、どんなブレーキがかかるのか。今のところ私には想像もできないが、世界はますます時と金を巡って、無表情な数字に衝き動かされているようだ。【7】そこでは夜も昼もない。数字に換算された時と、数字に換算された金が恐ろしいスピードで動き回っているらしい。一日のうちの大半をタクシードライバーとして過ごしながら、東京、ロンドン、ニューヨークの株式市場や為替市場、債券市場の動きを読んで取り引きを繰返しているという男にあったことがある。【8】タクシーの乗務を終えて自宅にもどったあとは、「市況の把握は女房に任せて寝るん∵です」と話していた。旨くすれば、それほど歳月をかけずにタクシードライバーから抜け出せるとは言わなかったが、元来のタクシードライバーではなくて、何かの苦境で資金稼ぎにこの商売を始めた人のようだった。
 【9】占いなんてと笑う男性は結構いて、ちっとも信じていない様子を見せるけれども、「金」と「人気」を扱う人間はそんなに簡単に占いを笑ったりはしない。時によっては実力以上の何かが起きるからだ。【0】私はそういう人々を見るたびに、「時の匂い」を嗅ぎ分ける鼻というものを想像してみる。あるいは潮時を見極めるするどい目を想像してみる。そこでは時は決して数値化されていないし、また均質に流れてもいない。時の装飾法として最初に浮かぶのが占いである。そのなかでもとりわけ西洋占星術は装飾法として魅力的なアレゴリーをふんだんに持っている。
 もっとも、女の子が西洋占星術のアレゴリーに感じるような魅力を、「人気」商売や「金」の出入りの大きな投機家が覚えるかというとそうでもない。日本の、あるいは東京では幾らか占い師のすみわけというようなものがあって、西洋占星術のお得意さんの第一は恋をしている、あるいは恋をしたい女性だ。たぶん、天球を十二分割して、そこに獅子やさそり、双子、乙女といった星座を割り当てて行くという意匠が女性好みなのだろう。ただし、それらの意匠はあくまでも西洋の文明がもたらしたものだから、あの「時の匂い」を嗅ぎ分ける鼻や潮時を見極める眼力(がんりき)を養うには、いささか、甘すぎる意匠なのかもしれない。とは言え、それが天文学に基づき、現在の暦である太陽暦と密接に繋がっている以上、最初に時の装飾法の研究の対象とするふさわしさがあるだろう。

(中沢けい『時の装飾法』より)