長文 3.2週
1. 【1】漱石そうせきは、イギリスでの暮らしの経験の中で日本とは違っちが た個人のあり方を目撃もくげきしてきた。このことは当時海外で暮らした者にとっては大きな衝撃しょうげきであっただろう。個人と社会の関係に目を開かされたのである。【2】漱石そうせきは、多くの留学経験者がそうだったように、わが国には個人が生まれていないと慨嘆がいたんしてすます程度の人間ではなかった。かれは日本の社会と個人のあり方について真剣しんけんに考えたと思われる。特にかれにとって問題であった親族、つまり家族の問題との関わりの中で、個人と社会の問題に関わらざるをえなかった。
2. 【3】しかし、その際に、西欧せいおう流の社会という概念がいねんをわが国にそのまま仮定し、それに対して日本の個人を対比させたところにかれの問題があった。わが国には、個人が社会に対する以前にそれぞれの世間があったのであるが、この世間は、かれには社会の未成熟なもの、すなわち同一線上で語りうるもの、としてしか見えなかったのである。【4】ところがこのころには世間という概念がいねんは現実にはっきりとした輪郭りんかくをもっていた。しかし、それにもかかわらず、漱石そうせきは社会と世間の区別をなしえなかったのである。
3. 漱石そうせきが、このような問題意識に立って諸作品を書いていったとして、そのかれの姿勢を支えていたものは何だったのだろうか。【5】一つ一つの作品を見れば出来不出来はあるし、社会の見方も到底とうてい鋭いするど とはいえないが、かれの作品には、当時から現在までのわが国が抱えかか てきた、あるいは引きずってきた重要な問題が示されている。何度もいうように、それは個人と社会の関係の問題である。【6】そこに親族の問題や男女の関係が絡んから でくることはいうまでもない。漱石そうせきはそれらの問題に対して作品の中では世間や社会に背を向けた立場を選んでいる。かれの小説の主人公はほとんど社会や世間の中で主要な地位を得ていない人たちである。【7】現実には、漱石そうせきの家に集まった人々の中には後に日本の知的世界を背負ってゆくことになる多くの人物がいたが、作品の中ではそういう構図にはなっていない。
4. 明治以降の日本の社会の中で、世間や社会にしかるべき地位を得ている人の世間や社会を見る目ははっきりしていた。【8】そのような∵人々を主人公にした小説類はおびただしい数に上るが、それらは必ずしも時代を超えこ て読者に訴えうった てゆく力をもってはいなかった。
5. それに対して漱石そうせきの作品が読み継がつ れてきた一つの理由には、世間や社会に背を向けようとしたその視点にあったといえよう。【9】このような視点に立って初めて日本の社会と個人の主要な一面が見えてくるからである。
6. もとより漱石そうせき自身が「隠者いんじゃ」的であったというのではない。作品の中にその傾向けいこうがみられるというのである。【0】このように見てくると「徒然草」の吉田よしだ兼好けんこうから漱石そうせきに至るまで、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者いんじゃ」に負うてきたことだろう。隠者いんじゃとは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索もさくし自覚した人はいつまでも、結果として隠者いんじゃ的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。

7.(阿部あべ謹也きんや『「世間」とは何か』より)