長文 3.1週
1. 【1】社会の仕組みの正しさ(倫理りんり性)に関して多くの異なる理論が存在しているが、それらに共通していることは、各理論がそれぞれ重要とみなす何事かについては平等を要求する、という特徴とくちょうである。なぜそうなのか? 【2】社会的なことがらに関する倫理りんり的な根拠こんきょ妥当だとう性をもつためには、決定的に重要とみなされるレベルで、社会のすべての構成員に対して基本的に平等な配慮はいりょがなされている必要がある。もしそのような平等性がなければ、その理論は恣意しい的に差別を行っていることになり、正当化されがたい。【3】理論というものは、多くの点で不平等を受け入れ、さらに不平等を要求することもありうる。しかし、そのような不平等が正当化されるためには、本質的なところですべての人々に平等な配慮はいりょがなされていなければならない。【4】また、その配慮はいりょが究極において不平等と関連していることを示す必要がある。
2. おそらくは、このような特徴とくちょうから、倫理りんり的な根拠こんきょが第三者からみて、潜在せんざい的にはすべての他者からみて、信頼しんらいにたるものでなければならないという要件が必要になってくる。【5】とくに社会の仕組みに関する倫理りんり的な根拠こんきょについては、そういえる。「なぜこのシステムなのか」という問いに対する答は、そのシステムに属するすべての人々に与えあた られなければならない。
3. 【6】「自分の行動を正当化するためには、他の人々が理性では拒否きょひできないことを根拠こんきょとすべきである」と、トーマス・スキャンロンは主張する。人の行動にとって、このような要件が妥当だとうであり説得力をもつと、かれ分析ぶんせきしている。【7】ロールズは「公正」という要件を基礎きそにして正義論を展開している。それは、人が理性的に拒否きょひできるもの、あるいは拒否きょひできないものとは何かを決定する枠組わくぐみを提供しているとみなすことができる。同様に、より一般いっぱん的な「公平さ」という要件が主張されることもある。【8】その場合にも、基本的に平等な配慮はいりょをするという特徴とくちょうがともなってくる。このような一般いっぱん的な形での理由づけは、倫理りんり学の基礎きそと大いに関連している。∵それゆえに、それぞれの倫理りんり的な提言の中で、様々に異なった形で現れてきている。
4. 【9】ここで関心があるのは、以下の主張の妥当だとう性である。すなわち、「社会の仕組みに関する政治的な、あるいは倫理りんり的な理論を提示する場合、重要だとみなされるレベルでの平等な配慮はいりょは、簡単には無視しえない要求である」という主張である。【0】社会制度において支持を受け続け、合理的な擁護ようごが行われている主要な政治的倫理りんり的な提言には、何らかの形で公平さや平等な配慮はいりょが共通の背景としてある。このことを指摘してきしておくことは、非常に実践じっせん的な意味があろう。そのひとつの帰結は、問題となる領域において個人間で優位性に格差があることを正当化する必要性を、しばしば暗黙あんもく裏に受け入れることである。このような不平等は、その他のさらにもっと重要な変数に関する平等と強く結びついていることを示す形で正当化されている。
5. ここで、変数の重要性は、必ずしもその変数に固有のものではないということに注意しよう。例えば、ロールズの「基本財の平等」や、ドーキンの「資源の平等」は、必ずしも基本財や資源のもつ固有の重要性によって正当化されているわけではない。このような変数の平等は、それが人々の目的を達成するために必要な機会を平等に与えるあた  手段となるために、重要とみなされている。実は、この両者の間の距離きょりが、これらの理論にある種の内的な緊張きんちょうを生み出すことになる。なぜなら、基本財や資源の重要性は、基本財や資源を各人の目的の達成やそれを遂行すいこうする自由へと変換へんかんしていく能力にかかっているからである。そのような変換へんかんを行う能力は、実際には人によって差があり、このことが基本財や資源を平等に保有することの重要性の根拠こんきょを弱めているのである。

6.(アマルティア・セン『不平等の再検討』より)