1. 【1】社会の仕組みの正しさ(
倫理性)に関して多くの異なる理論が存在しているが、それらに共通していることは、各理論がそれぞれ重要とみなす何事かについては平等を要求する、という
特徴である。なぜそうなのか? 【2】社会的なことがらに関する
倫理的な
根拠が
妥当性をもつためには、決定的に重要とみなされるレベルで、社会のすべての構成員に対して基本的に平等な
配慮がなされている必要がある。もしそのような平等性がなければ、その理論は
恣意的に差別を行っていることになり、正当化されがたい。【3】理論というものは、多くの点で不平等を受け入れ、さらに不平等を要求することもありうる。しかし、そのような不平等が正当化されるためには、本質的なところですべての人々に平等な
配慮がなされていなければならない。【4】また、その
配慮が究極において不平等と関連していることを示す必要がある。
2. おそらくは、このような
特徴から、
倫理的な
根拠が第三者からみて、
潜在的にはすべての他者からみて、
信頼にたるものでなければならないという要件が必要になってくる。【5】とくに社会の仕組みに関する
倫理的な
根拠については、そういえる。「なぜこのシステムなのか」という問いに対する答は、そのシステムに属するすべての人々に
与えられなければならない。
3. 【6】「自分の行動を正当化するためには、他の人々が理性では
拒否できないことを
根拠とすべきである」と、トーマス・スキャンロンは主張する。人の行動にとって、このような要件が
妥当であり説得力をもつと、
彼は
分析している。【7】ロールズは「公正」という要件を
基礎にして正義論を展開している。それは、人が理性的に
拒否できるもの、あるいは
拒否できないものとは何かを決定する
枠組を提供しているとみなすことができる。同様に、より
一般的な「公平さ」という要件が主張されることもある。【8】その場合にも、基本的に平等な
配慮をするという
特徴がともなってくる。このような
一般的な形での理由づけは、
倫理学の
基礎と大いに関連している。∵それゆえに、それぞれの
倫理的な提言の中で、様々に異なった形で現れてきている。
4. 【9】ここで関心があるのは、以下の主張の
妥当性である。すなわち、「社会の仕組みに関する政治的な、あるいは
倫理的な理論を提示する場合、重要だとみなされるレベルでの平等な
配慮は、簡単には無視しえない要求である」という主張である。【0】社会制度において支持を受け続け、合理的な
擁護が行われている主要な政治的
倫理的な提言には、何らかの形で公平さや平等な
配慮が共通の背景としてある。このことを
指摘しておくことは、非常に
実践的な意味があろう。そのひとつの帰結は、問題となる領域において個人間で優位性に格差があることを正当化する必要性を、しばしば
暗黙裏に受け入れることである。このような不平等は、その他のさらにもっと重要な変数に関する平等と強く結びついていることを示す形で正当化されている。
5. ここで、変数の重要性は、必ずしもその変数に固有のものではないということに注意しよう。例えば、ロールズの「基本財の平等」や、ドーキンの「資源の平等」は、必ずしも基本財や資源のもつ固有の重要性によって正当化されているわけではない。このような変数の平等は、それが人々の目的を達成するために必要な機会を平等に
与える手段となるために、重要とみなされている。実は、この両者の間の
距離が、これらの理論にある種の内的な
緊張を生み出すことになる。なぜなら、基本財や資源の重要性は、基本財や資源を各人の目的の達成やそれを
遂行する自由へと
変換していく能力にかかっているからである。そのような
変換を行う能力は、実際には人によって差があり、このことが基本財や資源を平等に保有することの重要性の
根拠を弱めているのである。
6.(アマルティア・セン『不平等の再検討』より)