長文集  1月4週  ○ベルクソンの記憶論に  nnge2-01-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/25 15:37:58
 【1】ベルクソンの記憶論に戻っていえば
、彼は、こう言っている。記憶には二つの種
類のものがある。一つは身体運動の反復によ
って得られる「習慣的記憶」であり、この場
合には経験は表象されない。もう一つは、自
発的な「純粋記憶」であり、この場合には、
精神が過去を表象として想起する。【2】こ
のように習慣的記憶と純粋記憶とを分類した
場合に、後者を機器に委ねることは不可能で
あろう。想起的な純粋記憶は、思い出される
のは個々の事物であっても、イメージ的全体
としての世界にかかわっているからである。
 【3】基本的にベルクソンのこの想起的記
憶の考え方にのっとりつつ、思い出の持つ意
味をいっそう鮮やかに示しているものに、小
林秀雄の次のことばがある。「思ひ出が、僕
等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶
するだけではいけないのだらう。【4】思ひ
出さなくてはいけないのだらう。多くの歴史
家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で
一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出
す事ができないからではあるまいか。/上手
に思ひ出す事は非常に難しい。」(「無常と
いふ事」)
 【5】ここには、思い出が精神的な純粋記
憶として、動物的・機械的な記憶と対比され
て鋭くとらえられている。ベルクソンの純粋
記憶もそうなのだが、これらの場合、想起的
記憶だけが精神の記憶とされ、そこから身体
的なものはまったく排除されている。【6】
が、想起的記憶はまったく身体から切り離せ
るものであろうか。いうまでもなく、人間は
心身の高次の統合体であり、いまや人間にお
いて、精神とは、活動する身体のことだと見
なされている。そし て、記憶が担うイメー
ジ的な表象は、つまりは、身体的なものを基
盤とした感性的なものだからである。
 【7】記憶の働きは近代の知から排除され
たが、それには、それなりの理由があった。
それまでの歴史の拘束や重圧から逃れ、共同
体から個人が独立するためには、どうしても
過去との繋がりを断ち切る∵必要があった。
【8】そのとき新しく要請されたのが、デカ
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ルト的な意味での「方法」であった。方法と
は、記憶や習慣によらずにわれわれを真理に
導くものでなければならなかった。「方法」
をそのように位置づけるヒントを私が得たの
は、フランシス・A・イエイツの『記憶術』
(一九六六年)からである。
 【9】イエイツはデカルト的な意味での「
方法」について立ち入って述べてはいないが
、面白いのは、デカルト自身が「記憶力」の
弱さをたいへん気にしていたことである。彼
は「私はつねに、他の何人かと同じように、
豊かで、なんでもすぐに思い出せる記憶力を
持ちたいものだと願った」、と『方法序説』
の初めのところで書いている。【0】デカル
トはそのため、「記憶術」に代わって、確実
な前提から出発し、論理的な連鎖によって物
事をその原因から演繹的にとらえていく「方
法」を打ち立てたのである。「方法とは習慣
の反対物である」とG・バシュラールも『適
用された合理論』(一九四八年)のなかで述
べている。
 だからこそ、「方法」は科学的思考や科学
に基づくテクノロジーと結びつくのである。
その意味で、近代とは、まさしく「方法の時
代」であった。ところが、P・ヴァレリーの
いう「方法的制覇」が進み、貫徹して、自然
的・文化的環境を破壊したため、人びとは自
己の存立基盤の喪失を痛切に感じるようにな
った。そのため、生存の基盤と密接に結びつ
いた記憶の問題をもう一度考え直さざるを得
なくなったのである。

(中村雄二郎「記憶」による)