ゲンゲ2 の山 1 月 4 週 (5)
○ベルクソンの記憶論に   池新  
 【1】ベルクソンの記憶論に戻っていえば、彼は、こう言っている。記憶には二つの種類のものがある。一つは身体運動の反復によって得られる「習慣的記憶」であり、この場合には経験は表象されない。もう一つは、自発的な「純粋記憶」であり、この場合には、精神が過去を表象として想起する。【2】このように習慣的記憶と純粋記憶とを分類した場合に、後者を機器に委ねることは不可能であろう。想起的な純粋記憶は、思い出されるのは個々の事物であっても、イメージ的全体としての世界にかかわっているからである。
 【3】基本的にベルクソンのこの想起的記憶の考え方にのっとりつつ、思い出の持つ意味をいっそう鮮やかに示しているものに、小林秀雄の次のことばがある。「思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだらう。【4】思ひ出さなくてはいけないのだらう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出す事ができないからではあるまいか。/上手に思ひ出す事は非常に難しい。」(「無常といふ事」)
 【5】ここには、思い出が精神的な純粋記憶として、動物的・機械的な記憶と対比されて鋭くとらえられている。ベルクソンの純粋記憶もそうなのだが、これらの場合、想起的記憶だけが精神の記憶とされ、そこから身体的なものはまったく排除されている。【6】が、想起的記憶はまったく身体から切り離せるものであろうか。いうまでもなく、人間は心身の高次の統合体であり、いまや人間において、精神とは、活動する身体のことだと見なされている。そして、記憶が担うイメージ的な表象は、つまりは、身体的なものを基盤とした感性的なものだからである。
 【7】記憶の働きは近代の知から排除されたが、それには、それなりの理由があった。それまでの歴史の拘束や重圧から逃れ、共同体から個人が独立するためには、どうしても過去との繋がりを断ち切る∵必要があった。【8】そのとき新しく要請されたのが、デカルト的な意味での「方法」であった。方法とは、記憶や習慣によらずにわれわれを真理に導くものでなければならなかった。「方法」をそのように位置づけるヒントを私が得たのは、フランシス・A・イエイツの『記憶術』(一九六六年)からである。
 【9】イエイツはデカルト的な意味での「方法」について立ち入って述べてはいないが、面白いのは、デカルト自身が「記憶力」の弱さをたいへん気にしていたことである。彼は「私はつねに、他の何人かと同じように、豊かで、なんでもすぐに思い出せる記憶力を持ちたいものだと願った」、と『方法序説』の初めのところで書いている。【0】デカルトはそのため、「記憶術」に代わって、確実な前提から出発し、論理的な連鎖によって物事をその原因から演繹的にとらえていく「方法」を打ち立てたのである。「方法とは習慣の反対物である」とG・バシュラールも『適用された合理論』(一九四八年)のなかで述べている。
 だからこそ、「方法」は科学的思考や科学に基づくテクノロジーと結びつくのである。その意味で、近代とは、まさしく「方法の時代」であった。ところが、P・ヴァレリーのいう「方法的制覇」が進み、貫徹して、自然的・文化的環境を破壊したため、人びとは自己の存立基盤の喪失を痛切に感じるようになった。そのため、生存の基盤と密接に結びついた記憶の問題をもう一度考え直さざるを得なくなったのである。

(中村雄二郎「記憶」による)