長文集  1月3週  ★(感)ぼくの身体で  nnge2-01-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】ぼくの身体でぼくがじかに見たり触
れたりして確認できるのは、つねにその断片
でしかないとすると、このぼくの身体って離
れて見ればこんなふうに見えるんだろうな…
…という想像のなかでしか、ぼくの身体はそ
の全体像をあらわさないと言っていいはず 
だ。【2】つまり、ぼくの身体とはぼくが想
像するもの、つまり「像」でしかありえない
ことになる。言いかえると、見るにしろ、触
れるにしろ、ぼくらはじぶんの身体に関して
はつねに部分的な経験しか可能ではないので
、【3】そういうばらばらの身体知覚は、あ
る一つの想像的な「身体像」を繋ぎ目として
たがいにパッチワークのように繋がれること
ではじめて、あるまとまった身体として了解
されるのだということだ。ぼくらが着る最初
の服は、この意味で、「像」としてのからだ
の全体像なのだ。【4】そして、身体はその
意味で想像の産物、解釈の産物でしかないか
らこそ、もろいもの、こわれやすいものなの
だ。
 だから、他人に怪訝そうな表情で全身嘗め
るように見回されるだけで、じぶんの抱いて
いる身体像はとたんに揺らいでしまう。【5
】あるいは、異性の服装をするよう強制され
るだけで、たちまちそういう自己解釈によっ
て成り立っているじぶんの同一性は危うくな
る。
 そこでひとは、こうした「像」としての身
体のもろさを補強するために、いろんな手段
を編みだすことになる。【6】つまり、「わ
たし」というものの存在の輪郭を補強するこ
とで、じぶんのもろい存在が醸す不安をしず
めようとする。そのために、たとえば皮膚感
覚を活性化することで、見えない身体の輪郭
を浮き彫りにしようとする。【7】熱い湯に
浸かったり、冷水のシャワーを浴びたり、日
光浴したり、スポーツで汗をかいたりする。
あるいは、他人と身体を接触させたりする、
あぐらを組む父親のふところに入る、異性と
身体をふれあう……。
 【8】なぜこういう行為が心地よいかとい
うと、たとえばお風呂に入ったりシャワーを
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浴びたりすると、湯や水と皮膚との温度差に
よって皮膚が刺激され、皮膚感覚が覚醒させ
られる。ふだん見えない背中∵や太股の裏の
存在が、その表面のところでくっきり浮かび
上がってくる。【9】視覚的には直接感覚す
ることのできない身体の輪郭が、皮膚感覚と
いうかたちでくっきりしてくるのだ。お父さ
んの膝のあいだに座ってもたれたときに背中
で感じる温かい壁のような感触にひたって安
心するというのも、心理的以外にこういう理
由もあるのだろう。【0】激しい運動をして
筋肉がこったり、汗をかいて肌がひんやりす
るのも、他人の手で身体をなでられるのも、
お酒を呑むと血が皮膚の裏側ぎりぎりのとこ
ろにまで押し寄せてくるような感覚があるの
も、みな、身体のおぼろげなイメージ、たよ
りないイメージを補強する効果をもっている
のだろう。それらがひとの存在に確かな囲い
を与えてくれるのだ。
 服についても同じことが言える。服を着る
と、身体を動かすたびに皮膚が布地に擦れる
。身体の動きとともに、身体表面のそこかし
こで身体と衣料との接触が起こるのだ。その
接触感が、ふだんはじかには見えない身体の
あやふやな輪郭を、くっきりと浮き立たせて
くれるのだ。こういう感覚が、存在のベーシ
ック・トーンとでもいうべきものとなって、
ぼくらの気分をあるていど安定させているの
だろう。
 ところで、「わたし」の輪郭を補強するに
は、皮膚感覚を使うこのようなフィジカルな
方法のほかに、もう一つ別の方法がある。こ
れまで、ぼくらの身体というものはイメージ
としてしかとらえられないもの、つまり想像
や解釈の対象でしかありえないということを
みてきたのだけれど、そういうイメージとし
てのじぶんの存在を、社会的な「意味」で何
重にも包装し、強化していく方法だ。身体の
表面にさまざまの意味を発生させ、増殖させ
ることで、じぶんがだれかという、そういう
意味づけをもっと細かく、そしてもっと多様
なしかたで与えていくということ、要するに
、じぶんの性別、あるいは性格、職業、ライ
フスタイルなどを、眼に見えるかたちで表現
していくというやりかただ。

(鷲田清一の文による。一部改変)