長文集  1月2週  ★(感)いつの時代でも  nnge2-01-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】いつの時代でも、大人は子どもに対
して、常に教育的関係を取り結んできている
。先行世代が獲得した生活の技術を、後続世
代に伝えることを怠るなら、その種族は自然
や他種族との厳しい戦いを戦い抜くことが出
来ないからである。【2】動物を狩り、魚介
類を漁り、作物を育てるなど、すべて与えら
れた環境のなかでよく生き抜くための知恵で
あり、そのための技術に他ならない。【3】
子どもたちは、大人とともにそれらの営みに
参加することを通じ て、それぞれの知識と
技術を身につけ、成長とともにそれらに習熟
して、生存に事欠かぬだけの知識・技術の持
ち主であると認められたとき、一人前の徴を
付与されるのが常であった。
 【4】したがって、教育の成果とは、一人
前になれるか否かで決まる。仮にそれぞれの
技に優劣があろうとも、その序列化にまして
「一人前としての自立権の獲得」にこそ重き
がおかれた。子どもたちは、自身の属する種
の一員として生き抜くために、要求される技
のあれこれを最低限度は獲得せねばならない
。【5】それが、やすやすと取得された巧み
な技であろうとも、また、ようやく身につけ
られた拙い技術であったにせよ、最低基準を
満たしてしまえばそれでよい。つまりは、一
種の資格試験であり、その最低ラインに到達
するか否かは本人の努力次第ということにな
る。
 【6】たとえば、一人前の徴として、単独
で一定期間内に、ある広さの畑を耕すという
課題が与えられているとする。その場合、達
者な農作業の腕を発揮して短時間で成し遂げ
ようとも、あるいは、夜を徹して働いてやっ
とぎりぎりに期限に間に合ったにせよ、課題
が達成されていれば同等に扱われて、一人前
の資格を与えてもらえる。【7】したがって
、他者と比較しての技の巧拙や敏速さは、と
りたてて問題とされず、結果として、教える
側の大人の、教授者としての巧拙も、さほど
問題とはなり得なかったのである。
 【8】しかし、文字文化の興隆によって「
教師」という社会的身分が用意されると、文
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字を獲得した大人が単に既得の技を伝えるだ
け∵の役割を越え、「教師」には、いかに巧
みにいかに効率的に、未習得者にその技を伝
え得るかが問われるようになる。【9】つま
り、教授の仕方の巧拙が問題とされるのであ
る。その結果、巧みに教える者が、「よき教
師」として評価され、それなりの地位と財力
を確保し得るのは当然であろう。「教師」あ
るいは「学者」とい う、知識を売る商売の
発生である。【0】文字とその学習が身分と
財力をもたらすとなれば、それは、おのずか
ら、学ぶ者たちの上に新手の抑圧を用意する
。よき学習者、すなわち、懸命に励んで他者
を凌駕することが、将来の地位や富を左右す
るとして、彼らの現在の自由を束縛し始めた
のであった。勉強時代の到来は、子どもたち
を、文字による権力志向へと追い立て、「文
字文化」という新しい抑圧機構のなかに組み
込んだのである。
 文字文化がもたらした権力の構図は、教え
る大人を絶対の地位に置いた。文字は、字体
にせよ文法にせよ、一定の規範に従った文化
であり、その規範は一度獲得すれば生涯にわ
たって有効に機能す る。短期間に、全面的
改定がなされて、既得のものが通用しなくな
る、などということはないのである。したが
って、先に文字を身につけた大人は、後から
学ぶ子どもに対して、常に、その優位性を誇
ることが出来る。「教師」「学者」などと呼
ばれる専門家に至っては、その権威はゆるぎ
ようもない。文字文化がもたらしたのは、こ
うした大人―子ども間の権力関係であった。
 しかし、文字文化の絶対性が薄れ、新しい
メディアが興隆したことで、こうした子ども
―大人関係は更改、もしくは逆転のときを迎
えている。「子どもが分からない」という嘆
声は、この関係の変化を十分認識し得ぬ大人
世代の繰り言とも言えよう。しかも、この潮
流は、ベビーブーム世代が漫画に熱中し、漫
画文化に市民権を与えたとき、そして、先行
する文字世代がその勢いを阻み得なかったと
き、すでに、今日に向かって流れ始めていた
のであった。

(本田和子『変貌する子ども世界』による)