1. 【1】人間および動物を通して、
広義のあいさつ行動は、一体どのような時に起こるものだろうか。第一に考えられるのは、
個体と
個体との出会いである。【2】
互いに見知らぬ者どうしが出会う時は言うまでもなく、すでに知り合っている者の間でも、出会いが
ある程度の
離別の後で起こった場合には、動物・人間を問わず
一般にあいさつ行動が見られる。
2. 【3】未知の者どうしの出会いでは、相手の
素性や気持ちがわからぬことからくる不安と
警戒の念が、特にあいさつ行動を要求するのである。【4】そこであいさつを行なうことによって、何よりもまず、相手に対して
敵意、害意のないことを
示し、同時に不安からくる相手の
攻撃本能の発動を
抑える、つまり、相手をなだめ、安心させるのである。
3. 【5】人間の場合、出会いのあいさつ
行為は、相手が以後仲よく共に行動してゆける仲間かどうかの、身元
確認にもつながっている。そのためには、あいさつがそれぞれの社会で、文化的に
慣習化されている一定の形式にしたがって行なわれることが必要となる。【6】この
性質を強くもった、やや
特殊なあいさつとしては、
仁義や
敵味方を
暗闇で
判別するのに用いられる合言葉などがあげられる。
4. 毎日
一緒に
暮らしている家族の場合でも、また同じ学校や
職場に通うものどうしでも、一夜明けた朝の出会いの時には、必ずあいさつをする。【7】社会生活を
営む人間にとって、別れて時を
過ごすということは、
私たちが思っている以上に、他者に対する言い知れぬ不安をつのらせるものらしい。
5. 【8】たしかに
誰かと
一緒にいるときは、その人の気持ちの変化についていきやすいし、同じ
状況の下にいるわけだから、自分と相手との
相互関係もわかっている。【9】ところがいったん
離れてしまうと、その間は、二人別々の
経験をすることになるため、気持ちのズレや考え方の
食い違いが生じてしまう
可能性がある。だからこそ∵
再び出会ったとき、両者の気持ちや関係が、別れる前と同じで変わっていないことを
確認したいのである。【0】このことは、なぜ人間は別れる時にもあいさつをするのかという問題にもつながっていく。
6.
私たちが別れの
際にあいさつをする理由は、
再び会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持ち、同一の
帰属感を相手が
抱き続けることを、あらかじめ
確認しておきたいのである。
7. このような
解釈が正しいと思われる理由は、次のような事実の意味を考えてみればわかる。人間でも動物でも、短い別れの後の出会いの
際のあいさつと、長い
別離の後に起こった
再会時のあいさつとでは、その入念さ、強さが
異なるのである。(
中略)
8. 動物の場合も同じで、旅行などで主人が長い間家をあけた後
帰宅したようなとき、
飼犬が喜びのあまり
飛び跳ねて主人を
迎えることは、犬を
飼ったことのある人なら
誰でも知っているとおりである。しかし毎日何度も主人の顔が見える時は、これほどの
大騒ぎはしない。人間と動物のあいさつ行動で大きく
違う点は、動物は先の
予測ができないため、
別離のあいさつがないことである。
9. さて長期間の別れの前後のあいさつは、いま
述べたように長く
複雑なものとなる上に、
餞別とかおみやげといった物的なしるしを
贈ることによって、さらなる
補強を受けることも多い。このように見てくると、
私たちにとって
互いに別れているということが、どれほど不安で心配なものなのかが、よく
理解できると思う。
10.(
鈴木孝夫の文章による)