長文 9.3週
1. 【1】人間および動物を通して、広義こうぎのあいさつ行動は、一体どのような時に起こるものだろうか。第一に考えられるのは、個体こたい個体こたいとの出会いである。【2】互いにたが  見知らぬ者どうしが出会う時は言うまでもなく、すでに知り合っている者の間でも、出会いがある程度  ていど離別りべつの後で起こった場合には、動物・人間を問わず一般いっぱんにあいさつ行動が見られる。
2. 【3】未知の者どうしの出会いでは、相手の素性すじょうや気持ちがわからぬことからくる不安と警戒けいかいの念が、特にあいさつ行動を要求するのである。【4】そこであいさつを行なうことによって、何よりもまず、相手に対して敵意てきい、害意のないことを示ししめ 、同時に不安からくる相手の攻撃こうげき本能ほんのうの発動を抑えるおさ  、つまり、相手をなだめ、安心させるのである。
3. 【5】人間の場合、出会いのあいさつ行為こういは、相手が以後仲よく共に行動してゆける仲間かどうかの、身元確認かくにんにもつながっている。そのためには、あいさつがそれぞれの社会で、文化的に慣習かんしゅう化されている一定の形式にしたがって行なわれることが必要となる。【6】この性質せいしつを強くもった、やや特殊とくしゅなあいさつとしては、仁義じんぎてき味方を暗闇くらやみ判別はんべつするのに用いられる合言葉などがあげられる。
4. 毎日一緒いっしょ暮らしく  ている家族の場合でも、また同じ学校や職場しょくばに通うものどうしでも、一夜明けた朝の出会いの時には、必ずあいさつをする。【7】社会生活を営むいとな 人間にとって、別れて時を過ごすす  ということは、わたしたちが思っている以上に、他者に対する言い知れぬ不安をつのらせるものらしい。
5. 【8】たしかにだれかと一緒いっしょにいるときは、その人の気持ちの変化についていきやすいし、同じ状況じょうきょうの下にいるわけだから、自分と相手との相互そうご関係もわかっている。【9】ところがいったん離れはな てしまうと、その間は、二人別々の経験けいけんをすることになるため、気持ちのズレや考え方の食い違いく ちが が生じてしまう可能かのうせいがある。だからこそ∵再びふたた 出会ったとき、両者の気持ちや関係が、別れる前と同じで変わっていないことを確認かくにんしたいのである。【0】このことは、なぜ人間は別れる時にもあいさつをするのかという問題にもつながっていく。
6. わたしたちが別れのさいにあいさつをする理由は、再びふたた 会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持ち、同一の帰属きぞく感を相手が抱きいだ 続けることを、あらかじめ確認かくにんしておきたいのである。
7. このような解釈かいしゃくが正しいと思われる理由は、次のような事実の意味を考えてみればわかる。人間でも動物でも、短い別れの後の出会いのさいのあいさつと、長い別離べつりの後に起こった再会さいかい時のあいさつとでは、その入念さ、強さが異なること  のである。(中略ちゅうりゃく
8. 動物の場合も同じで、旅行などで主人が長い間家をあけた後帰宅きたくしたようなとき、犬が喜びのあまり飛び跳ねと は て主人を迎えるむか  ことは、犬を飼っか たことのある人ならだれでも知っているとおりである。しかし毎日何度も主人の顔が見える時は、これほどの大騒ぎおおさわ はしない。人間と動物のあいさつ行動で大きく違うちが 点は、動物は先の予測よそくができないため、別離べつりのあいさつがないことである。
9. さて長期間の別れの前後のあいさつは、いま述べの たように長く複雑ふくざつなものとなる上に、餞別せんべつとかおみやげといった物的なしるしを贈るおく ことによって、さらなる補強ほきょうを受けることも多い。このように見てくると、わたしたちにとって互いにたが  別れているということが、どれほど不安で心配なものなのかが、よく理解りかいできると思う。

10.(鈴木すずき孝夫たかおの文章による)