長文集  9月2週  ★イギリス人は犬を躾けることが(感)  ni-09-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2021/10/15 17:26:11
 【1】イギリス人は犬を躾(しつ)けるこ
とが上手である。私の家の前が英国大使館の
公邸で、三年ごとに交替するどの家族も、必
ず犬をつれてくる。もう七、八家族かわった
と思うが、来る犬来る犬が実に見事と言う他
ないほどぎょうぎがよい。
 【2】家の中で不必要にほえたてたり騒い
だりすることがないどころか主人と連れ立っ
て散歩する時でも実におとなしい。よその犬
と行き会っても、ほえもしなければ駆け寄る
こともしない。【3】主人の傍らについて前
を見てただ黙々と歩いていく。むろん引綱も
鎖もなしである。
 これに比べると日本人の犬は、こちらが恥
ずかしくなるほどめちゃめちゃである。跳び
かかったり、ほえたり、大きな犬の場合など
主人が押さえるのに苦労する。【4】犬に引
かれて、小走りになる人も多い。狭い道で犬
をつれた日本人同士が出会う時がこれまた面
白い。小さな弱そうな犬をつれた人は、横道
にそれたり、引き返すことさえある。【5】
女の人などは、つれている小さな犬をかばっ
て抱き上げ、足早に通りすぎて行くこともし
ばしばである。
(中略)
 このようなはっきりした違いは一体何が原
因なのだろうか。【6】私の考えでは人間と
動物のお互いの位置づけが、イギリス人と日
本人ではまったく異なることから出発してい
ると思う。
 日本人は、犬、猫そして馬のような家畜を
人間の完全な支配下に位置するもの、人間に
従属する存在とはみなしていない。【7】も
ちろんこのような動物を世話し、餌をやり、
利用するために殺すというような外見的な面
では日本とイギリスでもさほど目立つ相違は
ない。
 日本人にとって犬はそれ自体自由な自律的
な存在なのである。【8】日本人のペットと
か家畜という考えは、このようなお互いに独
立した主体的な存在としての人間と犬が交差
したところに成立してい∵る。実際ごく最近
まで犬をつないでおくとか囲いに入れておく
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という習慣は日本にはなかった。【9】犬は
あたりを自由勝手に歩き回り残飯やごみをあ
さる。
 勝手口に現れる犬に餌を与えているうちに
、いつのまにかうちの犬になることもしばし
ばであった。二軒以上の家で同じ犬をうちの
犬だと思っていたなどということもあった。
【0】また犬は家の人の知らぬ間に、縁の下
などで子供を生む。これも犬の勝手である。
ところが家人にとっては、いりもしない厄介
者をしょい込むことは困る。こんな場合に、
犬を最も人通りの多い橋のたもとなどに捨て
に行くのだ。
 捨てる人は、いらぬ犬を自分の生活圏から
遠ざけて、不必要なかかわりを絶つことだけ
が目的で、その犬を何も殺すことはないので
ある。人通りが多ければ、誰か仔犬を欲しい
人がいて、拾って行くかも知れない。事実、
多くの家で犬を飼うようになるいきさつは、
子供が拾ってきたからしょうがなく、置いて
しまったというのが多かった。
 イギリス人は家畜とは人間が完全に支配す
べき、それ自身は自律性を持たない存在と考
えている。犬は人間が人間のために利用する
従属的な存在であるから、逆に一切を面倒見
る責任が人間にある。不要な犬や、回復の難
しい病気にかかった犬を、自分の手で殺すの
は、生きるも死ぬも支配者としての人間が決
めてやるべきだという考えに基づいている。
 だから日本人のように、犬を捨てたりする
と、人間としての責任をはたしていないと非
難するのだ。従って彼らにとっては、犬を安
楽死させることが正しい犬の扱い方となる。
一口に言えば、徹底的な人間中心的動物観な
のである。何が残酷で何が残酷でないかは人
間のきめることなのだ。だから一般にヨーロ
ッパ人の残酷という考∵えは温血動物止まり
なのである。
 そこで日本で犬が捨てられるといって、犬
のために悲しむイギリスの婦人も、大正エビ
は生きたまま熱湯に投げ込んで料理するのが
一番よいと言って平然としている。また食べ
るためでなく、楽しむために魚を釣るのも残
酷ではないのだ。大きなカジキマグロと何時
間も海の上で全力を尽くして戦うことは素晴
らしいスポーツなのであって、魚が苦しむだ
ろうと考えないのも同じ理由である。
 もちろんイギリス人でも日本人でも、一般
の人はいま述べたような動物観、生命観をは
っきり意識しているわけではない。聞けばい
ろいろと理屈づけはするだろうが、人々を無
意識に動かしている基本的な価値体系の枠組
みというものは、実は深くかくれているので
ある。
 日本の南極観測隊が、氷にとじ込められて
ヘリコプターでやっと脱出した時、連れてい
った樺太犬を置き去りにしてきたことがあっ
た。この時も日本はむろん、外国からも非難
の声があがった。
 隊員たちは、ただ可愛がっていた犬たちを
殺すにしのびなかったのである。誰も犬ども
が翌年まで生きのびようとは考えなかった。
それでも殺す気にはなれないのだ。ところが
どうであろう。翌年観測隊が再び昭和基地を
訪れたとき、二頭が生存していたのだ。殺さ
なくてよかったと隊員達は思ったに違いない
。人間本位、人間中心の家畜の始末法とは違
い、ここでは日本人の動物処理法の方が勝っ
たのである。少なくとも、犬の幸福を中心に
考えればである。