ニシキギ の山 8 月 1 週 (5)
両親との旅   池新  
 【1】紫色に輝く大粒の果実が、目の前にいくつもぶら下がっている。その中の一つをもぎとって口の中に放り込むと、みずみずしい甘酸っぱさが一気に広がった。自分の手でブドウの実を摘んで、その場で食べるなんて初めての体験だ。【2】感激して後ろを振り向くと、父も母もそれぞれ夢中でブドウを頬張っていた。
 私たちは「旅行好き」、「食いしん坊」という点が共通した家族である。
 父は仕事一筋の働き者で、毎日遅く帰ってきてはご飯を食べてすぐ眠ってしまう。【3】趣味らしい趣味もないそうだが、旅行に出かけたときだけはニコニコしていて、見違えるほどエネルギッシュである。
 母は母で、よく同窓生と旅行に出かける。帰ってくる日の夕飯は、決まって地方の名物弁当だ。
 【4】朝早くに起きて、急な日帰り旅行に出発したことは数知れない。この日の目的地は、山梨のブドウ畑だった。
 父と母は、どちらも車の免許を持っている。運転が交替できて楽なので、気軽に出かけられるということもあるだろう。【5】父は安全運転だが、母は極めて危なっかしい。一度、赤信号に気がつかずスーッと通過しそうになったときには、私が大声で注意しなければならなかった。
 山梨に着いたら、さっそくブドウ狩(が)りである。
 【6】新鮮なブドウをたっぷり味わった後、ここが母の知り合いの畑だということを教えてもらった。母は若いころにここへ旅行に来て、農家の人と仲良くなったのだという。
 旅をすることで、新しい出会いが生まれる。【7】両親と旅行をすると、ときどきこうした発見がある。
 ブドウ畑の隣には、ワインの工房もあった。飲める人がいないのが残念だ……と思っていたら、気付いたときには母が真っ赤な顔をしていた。
 【8】帰りの運転は父が一人ですることになってしまった。∵
 「可愛い子には旅をさせよ」というが、私の旅はたいてい両親と一緒だ。しかし、ひとりで旅をするのとはまた違う意味で、私は旅からいろいろなことを学んでいる。【9】父と母を見ていると、大人になっても旅を楽しむ心を忘れないことが人間には必要なのかもしれない、と感じるのである。【0】

(言葉の森長文作成委員会 ι)