1. 【1】あれは小学校三年の
頃だったと思うが、手作りの虫かごの中で、アオムシがキャベツの葉をすさまじい
勢いで食べながら、ポトリポトリと緑色のまるい大きな
糞を落としていくのを、感心しながらながめていた
記憶がある。【2】消化されないセルロース(せんい
素)をあれだけ食べれば、
立派な
糞をどんどんと出していかなければならないのだろう。葉を食べるということは、ずいぶん
効率の悪いことなのである。
2. 【3】ふつう草食の
哺乳類でサイズの小さいものは、葉だけを食べるということはせず、もっと栄養のつまっている果実や種子や
貯蔵根(いも)を食べる。【4】小さい
哺乳類は、体重あたりで
比べれば、
非常に多くの食べ物を必要とするから、栄養
価の低い葉っぱだけで生きていくことはむずかしいのだろう。
3. 【5】サイズの大きな
哺乳類でも、草に
含まれている
細胞質だけから栄養をとることはせずに、もっと
優れた方法をあみだしたものが
繁栄している。ウシやヤギのような反すう動物である。【6】かれらはいくつもの部屋に分かれた大きな
胃袋をもち、この中に
単細胞生物やバクテリアを共生させている。これらの共生
微生物にセルロースを
分解させて、それを自分の栄養にする。【7】だから、同じ草を食べるといっても、
細胞質だけ食べてあとは
捨てるのとは
状況がまったく
違う。反すうなどという芸当ができるのも、
巨大な
胃袋をもてるだけ、体のサイズに
余裕があるからだろう。
4. 【8】ほとんどの鳥は葉っぱは食べない。ハクチョウなどの大形のものをのぞき、草食
性の鳥は果実か
穀物を食べる。これは飛ぶことと関係すると思われる。【9】葉をたべるということは、栄養
価の低いものを大量に
摂取することを意味している。これでは
胃袋ばかり重くなって、飛び回るには都合が悪い。
5. 【0】実は、同じことが
昆虫にもあてはまる。草を食うのは、飛ばない
幼虫の時代なのである。
変態して飛ぶようになったら、草は∵食べない。
蜜や
樹液を
吸う。これらは栄養の
水溶液、つまりドリンク
剤のようなものだから、
吸収がよく、重い
胃袋をかかえてよたよた飛ぶことにはならず、都合がいい。(
中略)
6.
昆虫の成功の
秘訣は、大量にありながらほかの動物たちがあまり手をつけなかった葉っぱという食物に目をつけたところにある。しかし、草を食うということは、重い
胃袋をかかえるわけで、
移動性を
犠牲にする。一本の草を一
匹の虫が食いつくしてしまったら、草も虫もおしまいであろう。イモムシのような動きののろいものが、草を食いつくしながら、新しい草を求めてはいまわるのは、
現実的でない。
昆虫の小さいサイズは、一本の草で満足できる
程度の、てごろなサイズだと思われる。
7. しかし、小さくてイモムシのようにはいまわっていては、ひろく子孫をばらまいたり、よい
環境を
探して
移動するには不利である。そこで、じゅうぶん草を食べて育ったら、変身して羽をのばして飛び回ることにした。どのみち成長の
過程でクチクラの
殻を
脱いで、新しい
殻を作らねばならないのだから、その
際、体のつくりも
大幅に変えてやるのは、そう
抵抗はないだろう。こうして羽を得た
昆虫は、広い
範囲を飛び回り、子どもがちゃんと生きていけそうな草を見つけて
卵を産む。
幼虫自身はあまり動きまわれず
環境を選ぶことはできないが、親がかわりに選んでくれるわけだ。
8.
昆虫は羽化を節目として食
性と運動法を
切り替える。
幼虫期は、あまり動かず、ひたすら食う。このときには
胃袋が重くてもいい。羽化して成虫になると、飛び回ることが最
優先になり、消化のいいものだけを食べる。なかには成虫になったらまったく食事をしないものもいる。このように
昆虫は
変態することにより、小さいサイズの短所を
解消した。
昆虫の生活は、まさにサイズと
密接にかかわっているものなのである。
9.(本川
達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」による)