ニシキギ の山 7 月 2 週 (4)
○七夕の思い出   池新
 森林は水をたくわえ

 森林は水をたくわえ、じょじょに、じよじょに、はきだしてくれます。くる日もくる日も同じように、水をおくりつづけてくれます。この、「じょじょに、いつもおなじように水をおくりつづけてくれる。」ということこそ、森林のもつかけがえのないはたらきでした。なぜなら、晴れた日には水がつかえないのでは、日本人はとうのむかしに、ほろびていますね。雨がふると、水がいちどにでてくるのでは、水害になりますね。
 では森林と、人工のダムとはどうちがうのでしょうか。ダムは、いちどにたくさん水をたくわえるので、わたしたちはいちどにたくさんつかえます。しかし、からになったらおしまいです。雨がふってくれなければ、どうしようもありません。
 森林が、どんなにたいせつかについては、いい例があります。昭和三十九年の夏、東京は大かんばつにみまわれました。多摩川の上流には、東京の水がめ、小河内(おごうち)ダムがありますが、このダムもひあがってしまいました。湖のそこの土がひびわれて、その写真が、新聞やテレビで報道されました。水道はとまったり、水の出がわるくなったりして、人びとはバケツやなべを手に、給水車の前に長い行列をつくりました。そんな日が、何十日もつづきました。
 そのような日照りつづきのさなかにも、ダムのまわりの山々からは、日に三十万トンの水が、毎日、かくじつにはきだされていたのです。その水こそ、人びとのぎりぎりの飲み水をまかなってくれた、命づなでした。
 多摩川上流には、二万ヘクタールにのぼる大森林がひろがっています。森林は東京の水源林として、たいせつにそだてられています。水のおくりぬしはこの大森林でした。この森林のおかげで東京の人たちは、命びろいをしたのです。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集