長文 3.2週
1. 【1】レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」は、先にもあとにもだれにもかけなかった傑作けっさくです。心をやわらげてくれるかとおもうと、むねがきりっとなるモーツァルトの音楽は、ただすばらしいとしかいいようがなく、あれだけの音楽はやはりモーツァルトにしか作曲できなかったでしょう。【2】アインシュタインは空間は四次元だと、それまでだれも考えなかったことをみちびきだしました。
2. まったく新しいすばらしいものをうみだす「創造そうぞう」の秘密ひみつはどこにあるのでしょうか。【3】創造そうぞうはあまりにもなぞめいているので「天才」にだけできることとかたづけてしまいがちです。しかし、天才だから創造そうぞうできたといってしまうと、「創造そうぞう」を説明したことにならないでしょう。【4】それでは「人間のすばらしさ」とはなにかを考えるのをなげだしてしまうことになります。
3. まったく新しいものといっても、人間はなにもないところから、魔法まほうの力でそれをうみだすのではないわけです。そのもとになるものがあったのです。【5】ただし、それまであったままだと、創造そうぞうにはならないので、それまであったものをいろいろ組みあわせて、そのできたいくつもの新しい組みあわせの中から、美しいもの、心にうったえるもの、正しく自然を説明できるものをえらびだし、世の中の人達がその価値かちをみとめたものが創造そうぞうです。【6】ここで「組みあわせ」のかわりに「変化させて」といわれたほうがわかりやすいとおもう人は、そういいかえてもよいでしょう。
4. かんじんなのは、それまでほかの人がやらなかった組みあわせをこころみるか、こころみないかです。【7】それまであったものを少し変化させるか、させないかです。それをためしてみなければ、創造そうぞうはおこらなかったのです。ためしに組みあわせてみたり、変化させてみるのですから、だめでもあたりまえです。ですから、だめでもともととおもって、ためしてみるしかないのです。
5. 【8】第一に、創造そうぞうのきっかけがあまりにも小さな、なんでもないようなことだったのと、第二に、最初のきっかけのあと、ためすのをくりかえした組みあわせや変化の努力があまり大きかったので、第三に、実はあまりにも長い時間がかかっているために、【9】最初のこころみと最終の成果との間があまりにへだたっているので、どうやってそれが創造そうぞうされたのか、それを創造そうぞうした本人にもおもいだせず∵わからなくなって、突然とつぜんひらめいたかのように創造そうぞうがおこったと考えられたり、説明されてしまうのではないでしょうか。
6. 【0】こう考えてくると、だめでもともとだとおもって試してみるかどうか、よいとかんじたらそれをくりかえしつみかさねるかどうか、それが創造そうぞうにたどりつくかどうかの境目さかいめになります。(中略)
7. 創造そうぞうが人間にふさわしい仕事であることは、のう構造こうぞうと働きからも説明できます。創造そうぞうとは、人間が意味があり、価値かちがあるとおもう新しい組みあわせですから、ふたつ以上のいろいろなことがらが同時にのうの中に存在そんざいしなくてはならないでしょう。のうの中ではさまざまな働きに関係する細胞さいぼうが、あちらでもこちらでも興奮こうふんしたり抑制よくせいされたりしています。いわば、大脳だいのうはいつもいろんなことがらを組みあわせ、組みかえているわけです。つねに大脳だいのう創造そうぞうばかりやっているようなものではないでしょうか。
8. 大脳だいのうの中の神経しんけい細胞さいぼうのネットワークは、刺激しげきや学習によって別の神経しんけいネットワークに変化をもたらします。それはたとえるならば、ことがらに新しい光をあて、てらしだすことになります。ことがらに新しい解釈かいしゃくをほどこすことになります。おなじことがらでも、それを位置づける背景はいけい脈絡みゃくらくがかわることにあたります。これを心理学や言語学などでは、「新しい文脈のもとで、意味が変化する」といいます。
9. たとえば「タイム」といっても、状況じょうきょうによって「経過けいかした時間の長さ」であったり、午後三時といったような「時刻じこく」であったり、日本人の間ならば「ちょっと待ってほしい」という意味であったりします。それを人間は正しく解釈かいしゃくします。このような大脳だいのうの働きがつみあげられて、ダ・ヴィンチやモーツァルトやアインシュタインの「創造そうぞう」をうみだしたのです。このようなのうの働きを役だて、創造そうぞうのために「こころみ」をつみかさねないのは、まったく人間らしくないことになります。

10.(赤木昭夫の文章による)