長文集  2月4週  ○「飽和化市場」という  ne-02-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:51:54
 「飽和化市場」という言葉がある。いろい
ろな商品の普及率がもう限界のところまでき
ている消費市場をあらわす言葉だ。たいてい
のモノはひととおり行きわたった、という状
態である。
 飽和化市場の特徴は、いままでもっていた
製品から新しいものに買いかえていく需要は
多いが、市場全体が成長していく力はもう限
界のところまできている、という点だ。
 そのため、売り手側としても、いままでと
同じような売り方では商品が売れない。そこ
で、それぞれ独自の商品を開発したり、新し
い売り方を考えたり、これまでとはちがった
分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。
ここまでに紹介した販売方法の工夫だとか、
競合商品にはない独自の機能やデザインの開
発などといったこと も、こうした市場があ
ふれている。
 たとえばモノ。すでに述べたように、ヘッ
ドホン・ステレオ一つ取りあげても、似かよ
った商品がたくさんのメーカーから発売され
ている。たくさんの商品のなかから、きみは
一つの商品を選んで購入するわけだ。そのた
めにカタログを取りよせたり、お店の人の話
を聞いたりして情報を集め、比較した上で決
める。
 つまり、きみの前には、とてもたくさんの
メニューがあり、そこからある一つを選択す
るというわけだ。
 サービスという商品を購入する場合も同じ
だ。
 外食の代表といえるファースト・フード。
あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場
したと思ったら、すぐに別のチェーン店にも
似たようなメニューがつけ加えられる。もち
ろん、「一味ちがっ た」商品としてだ。
 ここでもきみは、さまざまなお店のさまざ
まなメニューのなかから一つのサービスを購
入するための選択をすることになる。
 新しい商品やサービスが市場にでるまでに
は、売り手側の「商品差別化戦略」がおこな
われている。消費者側の情報を得るための調
査、その情報をすぐに利用できるように蓄積
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したデータベースの作成、テレビやイベント
をとおしての宣伝・広告・商品を効率よ∵く
売るための仕掛けなど、売り手側の努力はこ
れまでみてきたとおりだ。
 だから、きみは、売り手側の商品差別化戦
略という大きな「仕掛け」をかいくぐって、
たくさんのメニューから一つを決め、選択す
るのである。これは、とてもたいへんなこと
なのだ。
 たしかにメニューはたくさんある。
 だが、それは、メニューがいまほど多くな
かったときにくらべ て、よりよい選択がで
きるということなのだろうか?
 ちがいをうたって登場した商品は、すぐに
似た商品が登場することで、ちがいの部分が
なくなってしまう。きみの「ステイタス」に
ふさわしいはずの独自の商品が、すぐにその
独自性を失ってしま う。イタチごっこみた
いなもので、ちがいはますます細分化し、た
いした意味をもたなくなってくる。
 たいした意味のない「ちがい」を選ぶため
にたくさんの商品が用意されているのが、は
たしてほんとうに豊かなことなのだろうか。
わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきた
のだろうか。何度でも自問してみる必要があ
りそうだ。
 おびただしい商品にかこまれて毎日暮らし
ているわたしたち。わたしたちが生活するこ
と=消費することである。住宅、家具、食 
品、衣服、電気製品、新聞、書籍、日用雑貨
といったモノから、電気、ガス、交通手段を
はじめとするサービス財まで、日々消費しつ
づけているのだ。
 そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび
多様な生産を促す。
 そして新しく生産された生産物が、消費者
であるわたしたちに、また新たな欲望をひき
おこす。
 こうして生産と消費が循環しながらふくら
んでいくのである。しかも、売り手と買い手
のどちらも、先がみえていないときているの
だ。
 こうした生産と消費のくりかえしのなかで
、地球資源は減少をつづけ、生産にともなう
排出物や消費生活からでる廃棄物などによっ
て、環境汚染がすすんでいる。それも、地球
的な規模でおこ∵っているのである。
 気をつけなくてはいけないのは、地球環境
を汚染しているのは、生産をしている企業側
だけではない、ということだ。汚染に責任が
あるのは、買い手であるわたしたちも同じだ
。生産をささえている消費者側の責任も大き
い。
 つまり、わたしたちは他人とのちがいを示
すために地球資源をつかい、環境汚染物質を
排出しつづけている可能性をもっているわけ
だ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自
分たちの消費のあり方そのものを問いなおさ
なくてはいけない。
 たとえば、わたしたち日本人がふだん食べ
ているエビ。
 日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍
以上になり、売り上げは一兆円をこえたそう
だ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんど
は東南アジアからの輸入によっている。エビ
の稚魚は、東南アジア各地にひろがる広大な
マングローブの沼地で育っており、そのエビ
を捕獲するために大型船もはいっている。そ
のためエビ資源はしだいに少なくなり、マン
グローブの沼地も荒らされているのだそう 
だ。
 日本人が直接荒らしまわっていないにして
も、わたしたちのエビ消費が、結果としてマ
ングローブを枯らすことになっているのは否
定できない。
 これは一つの例であって、わたしたちの生
活が、このように間接的に環境を破壊してい
ることは、じつに多い。わたしたちがおびた
だしい消費を重ねることが、考えてもみない
ようなところに悪影響をあたえ、傷つけるこ
とになっているわけだ。
 そうした直接みえない他人や世界へ、どこ
まで想像力をはたらかせることができるかが
、これからますます問われることになるだろ
う。もちろんこれは大人だけの問題としてで
なく、きみたち一人一人がこれから考えなけ
ればならない問題だと思う。

(児玉裕「あなたは買わされている」)