長文 4.1週
1. 【1】青い空をジェット機が飛んでいくのを見て、「
樋口さん、どうしているかなあ」と考える。
2.
樋口さんが
引っ越していったのは、つい先月のことだ。何度も同じクラスになった親友だから、
一緒に卒業したかったけれど、それはできなかった。【2】お父さんの仕事の都合で、ハワイに行ってしまったのだ。
3. 同じ日本の中ならともかく、海を
越えた遠くにまで行ってしまうというのは、正直実感が持てなかった。
驚きすぎて「ハワイってどこのハワイ?」などと言ってしまったほどだ。
4. 【3】
樋口さんも不安でいっぱいだったようだ。
5.「言葉が通じないんだから、きっと新しい友達なんてできないよ……。」
6.
引っ越す前、ふだんは明るい
彼女がそんな弱音を
吐いていたことが、今でも
忘れられない。
7. 【4】なんとか
樋口さんを元気づけたくて、
私は自分がハワイに旅行したときのことを話してあげた。本当は、それはずっと小さいころの話で、
記憶はかなりあいまいだった。けれども、
私はよいイメージばかりを
思い浮かべて、明るく自信満々に次から次へと話をした。
8. 【5】言葉は通じなくても、ハワイの人は「アロハ」の言葉ですぐに
打ち解けてしまう。体も心も大きい人が多くて、すごく安心できる。それに食事がおいしい。ハワイの料理は、見た目も
豪快で
華やかだし、
飽きることがない。【6】何よりハワイは、日本の夏と
違って、じめじめ
蒸し蒸ししない。からっとしていてとても気持ちがよい。そんなところで、しかも、毎日きれいな海で泳げるなんて最高だ。
9.「それにね、ハワイでも日本語を勉強している人がいっぱいいるんだよ。」∵
10. 【7】とどめとばかりに
私がそう言うと、ついに
樋口さんの顔色が明るくなった。
私はそのとき、重く
沈んだ
樋口さんの気持ちを
一本釣りで引き上げたかのような晴れ晴れした気持ちになった。
11. 【8】ハワイにいる日本の
子供たちが、
故郷の言葉を
忘れないように熱心に日本語を学んでいるという話は、昔、先生から聞いたことがあった。そういう人がたくさんいるなら、きっとすぐに仲よくなれるし、助け合うことだってできるはずだ。【9】だから、
私がいなくても心配することなどないんだ……。
12.
私の
奮闘の
甲斐あって、
樋口さんは元気にハワイへ旅立っていった。そろそろ最初の手紙が
届くころだと思う。新しい友達ができただろうか。それはどんな人だろうか。【0】楽しみでもあり、ちょっぴり
寂しいような思いもある。
13.
一緒にいることだけが友達ではない。
離れ離れになったとしても、何かをしてあげられることが大切なのだ。
私は、そんなことが分かった気がした。
14.(言葉の森長文作成委員会 ι)
長文 4.2週
1. 【1】
私は小さい
頃、家の近くを流れる
渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。
2.
私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の
頃だったろう。ガキ
大将達につれられて、いつものように
渡良瀬川に泳ぎに行った。【2】その日は、
増水していて
濁った水が流れていた。流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、
私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅い所で、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心にむかって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。【3】ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。元いた岸の所に
戻ろうとしたが、流れはますます急になるばかり、
一緒に来た友達の
姿はどんどん遠ざかり、
私は、必死になって手足をバタつかせ、元の所へ
戻ろうと
暴れた。【4】しかし、川は
恐ろしい速さで
私を
引き込み、助けを
呼ぼうとして何
杯も水を飲んだ。
3. 水に流されて死んだ
子供の話が、頭の中をかすめた。しかし、同時に頭にひらめいたものがあったのである。それはいつも
眺めていた
渡良瀬川の流れる
姿だった。【5】深いところは青々と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い
泡を立てて流れる、人の
膝くらいの浅い所の多い川の
姿だった。たしかに流されている所は、
私の
背よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅いところに行くはずなのだ。【6】浅いところは、
私が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。
4.「……そうだ、何もあそこに
戻らなくてもいいんじゃないか」
5.
私はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。【7】すると、あんなに速かった流れも、
私をのみこむほど高かった波も静まり、毎日
眺めている
渡良瀬川に
戻ってしまったのである。下流に向かってしばらく流され、見はからって、川底を
探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこは
私の
股ほど∵もない深さの所だった。【8】
私は流された
恐ろしさもあったが、それよりもあの
恐ろしかった流れから、
脱出できたことの喜びに
浸った。
6.
怪我をして全く動けないままに、
将来のこと、
過ぎた日のことを思い、
悩んでいた時、ふと、
激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の
姿を見たような気がした。【9】そして、思った。
7.「何もあそこに
戻らなくてもいいんじゃないか……流されている
私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
8. その
頃から
私を
支配してた
闘病という
意識が少しずつうすれていったように思っている。【0】歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。
9. 東山
魁夷画伯の書かれた本を読んでいた時、
画伯も少年の
頃、海で波にさらわれ、
似たような体験をされたことを知り、
非常に
感激した。そして、なにげなく読みすごしていた
聖書の一節が心にひびきわたった。
10.「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを
耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、
耐えることのできるように、試練とともに、
脱出の道も
備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一 十章十三節)
11.(星野
富弘著「四季
抄 風の旅」より」
長文 4.3週
1. 【1】べつにすてきなものじゃないし、大したものでもない。何でもないものにすぎないが、どんなときにもなくてはかなわぬものとして子どものころからつねに身のまわりに、かならず手のとどくところにあって、とても親しい。【2】ひとが人生で、そんなにも長く身近に付きあう家具はほかにないといっていいかもしれない。そうではあっても、だれにもとくに大切にされているというのでもない。
2. くずかごはくずかごだ。いつもそこにあってそこに見えているのに、だれも見ていない。【3】だれしもの人生のどんな一部を切りとっても日々の光景のどこかしらに、いつでもきまってくずかごが、きっと一つは置かれているはずなのに日々に欠かせぬ家具として重んじられているとはいえない。くずかごのないくらしはかんがえられないが、しかし、くずかごはやっぱりいつでもただのくずかごにしかすぎない。
3. 【4】あってもなくてもどうでもいいものではないのだ。くずかごは、わたしたちとつねに、日々をともにしている。だが、どうしてだろうか。どうして、くずかごはまるで日のあたらない場所に置かれたまま、いつもあたかも「ないもの」のごとくにしかおもわれないのだろうか。【5】どんなにすばらしい部屋であっても、くずかごはみすぼらしくてかまわない。そうであってすこしも
奇妙におもわれることがないということこそ、むしろ、
奇妙なことではないだろうか。くずかごは、どうあれ、もっとも親しい毎日のくらしの仲間なのだ。
4. 【6】わたしたちはどうかすると、くらしというのは、手に入れるものでつくられるのだとかんがえる。何かを手に入れることがくらしの物差しをつくるので、手に入れたものをどれだけいれられるか、その
容積のおおきさがゆたかさの目安なのだ、と。【7】そう期待して、いつのまにか身のまわりを手に入れたものでいっぱいにしてしまう。くずかごが
片すみに追いやられてわすれられるのも、むべなるかな(もっともなことの意)だ。そしてある日
突然とんでもないことに気づいて、びっくりする。【8】そうやって手に入れたものが、日々に欠かせぬ必要なものどころか、そのおおくはどういうわけかすでに、ただのすてるにすてられないものばかりになってしまっている。
5. 【9】そのときになってはじめて日々のくらしの
姿勢をつくるのは、何を手に入れるかではなくて、ほんとうは何を手に入れないかなのだということに、わたしたちは気づくのかもしれない。くらしにめりはりをつけるのは、何が必要かではない。【0】何が不必要なのかと∵いう発見なのだ。あらためて身のまわりを見わたしてみて、何をすてるか、すてられるか、すてなければならないかに思いいたって、あまりもの不必要なものにとりかこまれた
日常の景色に、ほとんど
呆然としてしまう。そして、ようやく部屋の
片すみに置きわすれられたままのみすぼらしいくずかごに目をとめて、どれほどこの日々に欠かせぬ仲間のことをないがしろにしてきたことか、いまさらのように思い知るのだ。
6. 日々のくらし方、ひとの住まい方ということをいうとき、まずかんがえるのは、くずかごのことだ。くずかごはおおきなくずかごがいい。くずかごのおおきさはそのひとのこころのおおきさに
正比例すると、勝手にそう決めている。部屋におおきなくずかごを一つ、こころのひろい友人として置くだけで、何かが変わってくる。くらしの
姿勢が、きっとしゃんとしてくる。
7.(長田
弘の文より)
長文 4.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. いったい、ジャングルの
破壊は何が
原因なのでしょうか。
3. こうした地球的
規模の問題には、次にあげるふたつの大きな、根本的な
原因があると思います。ひとつは、ジャングルがある国はいずれも
発展途上国であり、
貧しいこと。もうひとつは、先進国のむだの多いライフスタイル(
暮らし方)です。
4. まず
発展途上国の場合は、人口
増加にともなって、ジャングルを大
規模に切り開いて農地にしたり、都市の人々を
移住させたりしています。また
薪木の消費量が多くなり、森がどんどんへっているため、
女性は何時間もかけて遠くの森まで
薪木を拾いに行かなくてはならないような
状況も生じています。
薪木が手にはいりにくくなったからといって、
燃料をガスや電気にかえることもできません。こうした結果が、ジャングルの
破壊につながっているケースもあります。
5. また
発展途上国にとっては、ジャングルの木々が重要な
資金源でもあります。ジャングルは自然がつくったものですから、新たに何かをつくり出す必要がなく、切って
輸出すればお金になります。マレーシア、インドネシア、フィリピンなど、ジャングルの
破壊が大きな問題になっている国では、いずれも木材の
輸出が国の
経済の柱となっています。
6. しかし
発展途上国の
経済を
支える熱帯の木材も、
価格は今、戦後最低です。結局、今の世界全体の
経済構造そのものが、
豊かな先進国が動かしているような感じですから、いつも買いたたかれてしまうんです。安いから、いくら切って売っても、たいしてお金にはならなくなってしまっています。
7. ただでさえ苦しい国の
経済状況に加えて、外国からの借金も返さなくてはなりません。そのためには、ジャングルを
伐採するのもいたしかたない、
伐採をやめるわけにはいかないという
事情があるのです。
8. そのいっぽう、
豊かな先進国では
使い捨てのものがふえるなど、∵むだの多い
暮らし方が広まっています。これも、ジャングルを
減少させているのです。
9. たとえば、ファストフードの代表
格であるハンバーガー。とくに
欧米のハンバーガーをつくるための安い牛肉は、中南米産がほとんどです。中南米のジャングルは、この肉牛用の大
規模な牧場
建設のために、半分以上がなくなってしまったのです。
10.
豊かな先進国では、ハンバーガーを食べなくても、他に栄養
源はいくらでもあります。木材にしても、なにも熱帯の木でなくてもかまわないでしょう。つまり、先進国の人々には
選択の
余地がいくらでもあり、その
暮らし方を少し変えさえすれば、ジャングルの
減少や
破壊をくいとめられます。
11. 焼畑農業にしてもそうですが、これまでジャングルの
伐採に関する主だった研究は、先進国の人間によって行われてきました。
出版された本も、先進国の立場から見たものが多かったのです。
12.
過去にこんな例がありました。先進国によってジャングルに木を植えるという試みが行われたのですが、木は育ったものの、ジャングルに住む人々にとっては、ちっとも役に立たなかったのです。
13. 植えられた木はやせ地でも、
比較的育ちやすく、生長の早いユーカリやアカシアなどでした。これらの木は、二年もたてば五メートルくらいになるのです。ところが早く、大きく育つのは
結構なのですが、これらの木が他の木に必要な養分も全部
奪ってしまいます。ですからそこは、ユーカリやアカシアだけの森となり、もとのジャングルとは
似ても
似つかぬ
姿になってしまうのです。そんな森には、動物や鳥もすみつかなくなるでしょうし、そうなったら、人々はその森から食べ物はおろか、
肥料も
飼料も得られなくなってしまいます。
14. この例からもわかるように、「科学」や「
技術」、「開発」とはなにか、だれのためのものか、あらためて考え直してみることが必要だと思います。
15.(生きている森
編集委員会
編「未来の森 森があぶない」)∵
16. 【1】電車や飛行機の中で、
乗務員に対して理由もなく
横柄な人がいる。こっけいだ。乗せてもらわなくては
困るくせに、何をいばっているのだろう。
旧国鉄の内部には「乗せてやる」という言い回しがあったそうで、それもひどい
勘違いだと思うけれど。
17. 【2】「いや、お客は
偉い。買う時は、だれもが王様になる」という考え方もあるだろう。しかし、それだと無用のストレスが社会に広がりそうで、
賛同しかねる。王様や
お姫様の気分にしてあげることを目的とした一部のサービス業を例外として。
18. 【3】
子供のころ、
駄菓子屋でキャラメルを買う時や、食堂で親が
精算をしている時、「買ってやったぞ」とお客様面をしていた。高度
経済成長期に育ったので、小学生でもいっぱしの消費者として
扱われた結果と言える。【4】そんな
私が
現在のように「転向」したのは、自分が社会に出て
接客の
現場にいたせいだろうが、それに先立つ
経験もある。
19. 中学生になるかならずかという夏休み。両親の
郷里である高松で
過ごし、
源平合戦で有名な屋島に遊びに行った。【5】三つ年下の弟と二人だったように思う。平日のことで山上に人は少なかった。
蝉しぐれの遊歩道を
散策した
私は、ある光景に出くわす。
20.
休憩所の店先に
帽子をかぶったおじさんが立ち、中をのぞいていた。五十代ぐらいの人だったのではないか。【6】連れはいなかった。うどんでも食べて店を出ようとしていたらしい。おじさんは
財布を
片手に、店の
奥に向かって言った。「ごちそうさまぁ」
21. 意外な言葉だった。代金を
払おうとしているのに店員の
姿が見当たらない場合、とりあえず「すみませーん」と
呼びかけるものだと思っていた。【7】いや、それしか思いつかなかった。なのに、このおじさんは無料でもてなされたかのように「ごちそうさま」と言う。
一瞬だけ
違和感を覚えた後、
私の内に変化が起きた。
22. 自分のために料理を作ってくれたのだから、お客として
代価を
支払うとしても「ごちそうさま」と言うのが
礼儀にかなっている。∵【8】考えたこともなかったけれど、それはそうだと
納得し、お客は
偉いわけではない、と知ったのだ。
23. 後日、食堂だかレストランだかで食事をして店を出る時に、
私は小声でぎこちなく「ごちそうさま」と言ってみた。【9】すると、照れくさい気もしたが、それだけのことで一歩大人に近づいたように感じた。以来、店側に不始末がないかぎり「ごちそうさま」を言い
添えている。
24. 屋島で見た何でもないひとコマが、
私を少しだけ変えた。あのおじさんには、今も
感謝している。【0】先方は、
すれ違っただけの少年に何事かを教えたとはゆめゆめ思っていないだろうが、大人の言動が
子供にあたえる
影響は、かほど大きいのだ。
平素から心しておかなくてはならない。
25. 書店員をしていて、いろんな人と
遭遇した。ブックカバーをつけただけで「どうもありがとう」と言ってくれる人ばかりではない。ささいな
行き違いで
激昂し、アルバイトの大学生に「おれは客やぞ。社長に電話したろか!」と金切り声でさけぶ小学生をなだめたこともある。
根性の曲がったガキだな、と思いつつ、君はろくな大人と会ったことないんだね、とかわいそうになった。
26.(
有栖川有
栖「お客は
偉くない」『二〇〇七年七月二十九日
日経新聞文化面コラム』)
長文 5.1週
1. 【1】
僕の
机は、兄からもらったものだ。しっかりした作りで茶色く光っている。よく見ると、何かのシールをはってはがした
跡がある。
2. ぼくがそれまで使っていた
机は、小さくて、
机の上に
資料を
並べきれないことがよくあった。【2】すると、それを見ていた母が、「お兄ちゃんの
机と
交換したら」と言ってくれた。兄は、近所にいる人が遠くの学校に行くようになったので、その
机をもらうようになったらしい。
3. こうして、
僕は、兄の大きい
机を使うことになった。【3】大変だったのは、これまでの
机の引き出しの中にある細々としたものを
移す作業だった。引き出しの中身を出してみると、いろいろ
懐かしいものが出てきた。いちばんの
収穫は、なくしたとばかり思っていたキラカードが出てきたことだ。【4】これは、小学校二年生のころに熱中したもので、もう今では遊ばないが、ぼくにとっては大切な
宝物だった。中身を
移したこれまでの
机は、もう古くなっていたので、
粗大ゴミに出すことになった。
4. その
晩、父が帰ってきて、ぼくの
机を見て言った。
5.【5】「おお、お兄ちゃんの
机にしたのか。今の子は、いいなあ。お父さんのころは、みんな、
食卓で勉強をしたんだぞ。」
6. 父が小学生のころ、食事のあとのテーブルで学校の宿題の作文を清書していたらしい。【6】最後の一
枚を仕上げて、「やっとできた。
万歳」と手を上げたときに、近くの
醤油を作文の上にこぼしてしまった。それを見た
祖母が、「一度はきれいに書いたんだから、いいんじゃない」と言ってくれたので、父は
醤油を
拭いてそのまま
提出することにした。【7】
翌日、
担任の先生はその作文を見ると、「これは味のある作文だ」と言って大笑いしたらしい。ぼくは、その話を聞いて、何だか昔ののどかな
映画を見ているような気がした。∵
7. 数日後、
粗大ゴミとなった昔の
机の
回収日が来た。【8】朝早く、ぼくと母は、
机を指定の場所に運んだ。中身が空っぽになった
机は、仕事をすっかり終えたおじいさんのようだった。ぼくが学校に行くときも、
机はまだそのままだった。
8. その日の
授業を終えて家に
戻るとき、朝、
机を置いた場所を見ると、そこにはもう何もなかった。【9】そのとき、
僕は、その
机は
僕の友達だったのだなあと分かった。
9. 家に入ると、兄からもらった新しい茶色の
机があった。それを見ていると、昔の
机が遠くからこう語りかけてくるようだった。【0】
10.「これまで長い間、ありがとう。
僕の仕事は新しい
机君に
引き継いだから
大丈夫。」
11. ぼくは、うんとうなずくと、新しい
机の上に静かにカバンを置いた。
12.(言葉の森長文作成委員会 Σ)
長文 5.2週
1. 【1】さて、人間を科学的に知ろうとすると、えてして人間を、機械のように考えようとする
傾向があります。
心臓はポンプで、
眼はカメラで、
脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。テレビのSF作品にも、よく登場する機械のような人間や、人間のような機械がそれです。
2. 【2】人体を機械と同じように、
心臓や胃などの部分品が集まってできているものと考える考え方では、胃がおかしいときには胃という部分品が
故障したと考えます。そうして、胃を
修繕しさえすれば、病気が治ったと考えることになります。
3. 【3】また、
脳とコンピューターを同じに考える人には、いまのコンピューターは
脳の代わりを完全につとめることはできないまでも、ある面では
脳よりもすぐれているようにみえます。そうして、いつの間にか、コンピューターと同じようにはたらく
脳をすぐれた
脳と思うようになります。【4】速く
正確に計算ができたり、なんでもそのまま
記憶できたりすることが、アタマがよくなることだと考えている人も少なくないでしょう。
4. しかし、人間は機械と同じなのでしょうか。人間は
複雑な機械にすぎないのでしょうか。【5】もちろん、人間には機械に
似たところもあります。そこで、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではないのですが、しかし、そこでわかることは人間の一面だけなのです。それを
暗示する例を一つ
紹介しましょう。
5. 【6】アメリカでは、一九七七年の建国二〇〇年を記念するつもりでその何年も前から火星へのロケット着陸とガン
制圧という二つの大きな研究目標をたてました。このときまでに科学者が力を合わせて大
規模な研究をした結果、すでに人工
衛星をつくることができたし、月旅行も成功していました。【7】
従って、この二つの大きな研究目標も同じように達成できるという自信があったのでしょう。ところが月旅行の
技術を進歩させた火星ロケットは成功しましたが、一方のガンの
治療の方はあきらめざるをえませんでした。【8】つまり、機械をつくる科学は急速に進歩していますが、そういう科学では生物や人間のことは必ずしもわからないのです。機械と人間は同じで∵はないからです。
6. それでは、どこが
違うのでしょう。それは、人間は、いつも生きるために行動するということが
違うのです。【9】機械は生きていませんから、生きるために行動するということはありません。「なんだ、そんなことか」と君は思うかもしれません。しかし、問題はそれからです。つまり、この話は、生きるとはどういうことかがわからないと、ほんとうの意味はわかりません。【0】
7.(
中略)
8. さらに、まだ
違う点があります。機械ならば、いつも同じように動いている方がいい機械だということになります。進んだり後れたりする時計や、ときに動かないこともある自動車などというものは
故障している機械です。しかし、人間はいつも同じことをしてはおりません。人間は、ただ動いていればいいというものではないのです。
9. たとえば、君は毎日同じように学校に通っていますが、一日一日の生活は、けっして同じではありません。勉強や友達の話から新しいことを一つでも知れば、それだけ君の生活も変わります。とにかく、君が生まれたときには、ときどき泣いたりお
乳を飲んだりするだけで、あとはほとんど
眠りつづけているという赤ちゃんでした。
10. その君が、いまはこの本を読むようになるまで、毎日少しずつ変わってきているのです。
11. このように、変わってゆくのが人間ですが、それは、ただ変わるのではなくて、進歩し、高等になってゆくのです。機械は使ってゆくうちにむしろ
性能が落ちてゆくのですから、人間とはまるで反対です。つまり、人間はただ死なないように行動しているというのではなく、進歩
発展するという点で機械と
違うのです。生きるとはそういうことなのです。
12. 念のために書いておきますが、これは、人間は進歩
発展しなければならない、といっているのではなく、人間は進歩
発展するようにつくられている、ということなのです。いやでも、そうなるようになっている、ということです。
13.(千葉
康則「
脳のはたらき」より)
長文 5.3週
1. 【1】モグラは食虫類に
属し、からだのしくみは原始的です。歯も特に発達したものではありません。
2. 昔の人は、畑の作物の根をかじる悪
獣と思って殺しましたが、それはぬれぎぬ。
真犯人は、かじるのがしょうばいのノネズミであって、モグラの
貧弱な歯では、
堅い植物の根などかじれるものではありません。【2】しかし、
柔らかい虫を
捕えて食べることはできるのです。
3. モグラは、ミミズ食いしょうばいです。だから、食事をするには土を
掘り、トンネルを
掘らねばなりません。でも、トンネル
掘りは重労働で、とても
お腹がすきます。【3】だから、ミミズを食べなければなりません。それには、トンネルを
掘らねばならず、とても
お腹がすいて……。だからモグラは一日に五〇
匹もミミズを食べ、一日なにも食べないと死んでしまいます。【4】そんなことを知らないで昔の人は、モグラを
捕らえてかごに入れておくと一日で死んでしまうものですから、「日光に当たると死ぬ」のだ、と
誤解したのです。
4. そんな苦労があっても、土の中にはモグラ以外のミミズ食いの競争相手も、モグラ食いの動物も、まあいないので、モグラは「気らく」に生きていくことができます。【5】これが、地上で虫を食う生活だと、すばしこい鳥たちみたいな競争相手や、イタチみたいな小動物食いしょうばいのけものなどがいっぱいいて、原始的なからだのモグラはとてもやっていけないでしょう。
5. 【6】このようなモグラの、きわめてモグラ的な生活を
支え、まるでモグラのシンボルみたいにみえるのが、モグラの前あしです。それはシャベルそっくりで、じつに
巧みに、すばやくトンネルを
掘ることができます。【7】
掘って
掘って
掘りまくり、ミミズを食べて食べて食べまくるモグラの生活を
可能にしているのが、モグラの「シャベル」なのです。
6. モグラのからだは、ほかの食虫類と同じように、原始的なのですが、前あしだけ特別に発達しているのです。
7. 【8】
哺乳類のそれぞれの種のからだには、その種の生活の実体を
象徴的に
現しているしくみがそなわっています。ライオンの
牙はけもの食いしょうばいのシンボルです。キリンの長い首はいかなる∵
猛獣をも先にみつけてしまいます。【9】ゾウの長い鼻は、
巨大なからだを
移動させるために
支出するエネルギーを最小に
抑えて、大量の木の葉を
一網打尽に食べることを
可能にしています。
8. では、人間のからだにそなわった、人間の生活を
象徴するものはなにでしょうか。それは、手です。【0】
9. はるか昔、人間の
祖先は直立二足歩行をかちとることによって、前あしを手に転化することができました。手は、
木片や動物の
骨や石や、つまり自然のものに働きかけてそれを意図的につくりかえ、さまざまな道具をつくり出すことができました。
10. モグラの前あしは、ちょっと見たところでは、人の手に
似ているようにみえるかもしれません。しかし、それは、トンネル
掘り一本槍で、ほかのことはしません。もし、モグラの前あしがほかのことをすれば、それはモグラであることをやめることを意味し、
滅びてしまいます。
11. 人間の手は、そうではありません。手は、それがつくられたはじめから、いろいろな目的に
対応した、多様な道具をつくりだしたのです。
12.(
中略)
13. ライオンの
牙はどんなに
鋭くても、それはライオンの
遺伝子によって伝えられたものであって、ライオンの
意志で作ったものではありません。モグラのすばらしい「シャベル」も、当のモグラにとっては「知っちゃいない」のです。
14. それにたいして、人間の
祖先が作った道具は、それがかりにきわめて
単純なものであっても、やはり、人間が意図的に、人間の
意志によって作ったものです。
15. (中原正木「人は足から人間になった」)
長文 5.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. 南
博人は
従順な子であり、いたずらっ子でもあった。先生に
反抗らしい
態度に出たことは一度もなかった。しかし
彼は、そのとき、先生が言った最後の言葉に
疑問を持った。ひとりで山へ入ったならば、自力で
頂上へ出ることは
困難であるということに
嘘を感じた。
札幌の
郊外にある
藻岩山は、
彼が生まれた時から
馴れた山だった。道をそれても、上へ上へと登っていけばやがては
頂上へ出られる
筈である。それは小学校五年生の
理屈であった。
3.「おい、南どうした」
4. 列が動き出しても
頂上の方も
見詰めたまま
突立っている南に
不審をいだいて
隣の少年が話しかけた。
5.「おれは、山の中へ入る。先生に言うなよ、言ったら、げんこつくれてやるぞ」
6. 南の受持ちの先生のあだなはげんこつ先生である。悪いことをすると、げんこつをくれるからである。南はげんこつ先生の
真似をして、
隣の少年をげんこつでおどかしてやぶの中へ飛びこんだ。やぶの中を
頂上まで登る気はなかった。道をそれたら、
頂上へ出られないという先生のことばが、ほんとうか
嘘かたしかめたかったし、同時に
彼は山の中がどんな
構造になっているかも知りたかった。
彼はクラスで走るのは一番速かったから、五分や十分の道草を食っていても、直ぐ追いつける自信があった。それにげんこつを見せた以上、
誰かが先生に告げ口をするということはまず考えられなかった。
彼は
餓鬼大将だった。
7.
彼はやぶへ入った。木が
密生している間をかいくぐっていくと、木の芽の強い
芳香が
彼の鼻をくすぐった。
彼は
幾度かくしゃみをした。くしゃみが
誰かに聞えはしないかと、耳を
済ませたが、もう少年たちの足音は聞えなかった。
8.
彼はにっこり笑った。たいへん面白い考えが
浮かんだからである。少年たちは六十名いた。
彼等が先生に
引率されて
頂上に達するまでに、先
廻りをして
頂上に行ってやろうという野望を起した∵のである。先
廻りをした
罪で、げんこつ先生に一つぐらいげんこつを
頂だいしてもかまわないと思った。
9.
彼は森の中を
頂上目がけて登り出したが、道のないところを登ることがいかに
困難であるかを知ると、
彼自身のやっていることが、かなり
冒険であることに気がついた。
10.
彼はもと来た道へ引き返そうとして、そっちの方へ
移動したが、道らしいものはなく、いよいよ
樹木の深みにはまりこんでいった。
彼はひどくあわてた。
彼は
幾度か
叫ぼうとしたが、声は
咽喉で止った。
彼は
眼に
泪をためた。先生のいうとおりだとすれば、さっき
彼がたてた
理屈がおかしくなる。
頂上は一つだ、登っていけば必ず
頂上に行き当る
筈だ。
11.
彼は気を取り直した。道を
探すことはやめて、
一途に
頂上を目ざして
直登していった。必ず
頂上があると思いこんでいれば、道に
迷ったことも、
朋輩たちと別れたことも、先生に
叱られることも、少しも
怖くはなかった。
12. 高い方高い方へ登っていくと、少しずつ明るさが
増して来ることが
彼にとって希望だった。明るさが
増して来ることは、
頂上に近づいていることだとは分らなかった。やがて
彼は道とも
踏み跡ともつかないものに行き当った。そこを登っていくと、ややはっきりした山道に出会い、そこから
頂上までは楽な登りだった。
13. げんこつ先生は真青な顔をして待っていた。
14.(新田
次郎「神々の
岸壁」)∵
15. 【1】
樹木は生命の
危険を感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。
実際、
柿の実やどんぐりが
豊作になるようにと子どものころ木の
幹を思いっきり
蹴飛ばした
経験がある。
16. 戦後せっせと植えたスギも、林業が
儲からなくなって手入れがされなくなった。【2】とくに
間伐がされていないスギ林は、スギ同士の
過酷な
生存競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな
環境によって、スギの木も生命の
危険を感じ、種子をたくさん残そうと
雄花をたくさん付け、花粉を大量に
撒き散らしているということなのではないだろうか。
17. 【3】九州の
熊本から九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを
過ぎてから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの
肥後トンネルを
抜けると、九州で有数の林業地である
人吉盆地に入る。【4】道路の両側は
急峻な山地が空を
狭め、森林が天に
伸びている。しかし、近年、その風景に変化が
現れている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、
職業柄、
私にはどうしても気になってしまう。【5】それは、
至るところでかなりの面積にわたり森林が
伐採されていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく
伐採できるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい
現象だが、問題なのは、
伐採された
箇所に植林された
形跡がないことだ。
18. 【6】
私たち、森林・林業にかかわるものからすれば、「
伐ったら植える」が
常識である。しかし、今やこのような
常識が
常識でなくなってきている。それどころか、これら植林
放棄地の
状況をみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが
増えている。【7】これは、森林を買う木材生産業者が、木材
価格の下落に
伴い、
採算性を
維持するためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意∵向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの
負担感と相まって、土地ごとの
売却を
後押ししているようだ。
19. 【8】日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
20. 森林に
恵まれた国土で、その
資源を
巧みに利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる
樹木の種類が
豊富であることから、
樹種の
違いによる木材の
性質も様々であり、その
違いを上手に使い分けてきた。【9】住まいや身の回りの道具に
至るまで、こんなものにはどの木を使うという
知恵は、すべての人がもっていた。
お櫃にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、
下駄やたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。【0】
21. また、木材を
無駄なく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を
維持し、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
22. しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。
安価で
均質に大量生産できる石油化学
製品などの
代替品が
私たちの
日常に
氾濫するようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八
割以上を
占めるようになっている。このままでは、日本の木の文化は、
文化財や
美術品などの
特殊な
伝統文化に残されるだけになるのかもしれない。
23. こうなると、国内の木材はますます使われず、
価格も下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、
間伐などの手入れもされず森林の
放棄が
拡大していくことになる。
24.
私たちにとってなくてはならない森林が、今、
危機に
瀕している。
25.(矢部
三雄『
恵みの森
癒しの木』(
講談社+α新書)より)
長文 6.1週
1.【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
2.【1】「先生、その話は前に聞きました!」
3.
僕が通う
個人塾の先生は、
祖父と同じぐらいの年のおじいちゃんだ。それもそのはずで、
僕の母が
子供のころ、勉強を習っていたというくらい昔から先生をしているのである。【2】頭ははげていて、やせているが、
背すじはいつもピンと
伸びている。声も大きくて、
授業はとてもわかりやすい。
4. ただし、先生の話はときどき
脱線する。特に、好きな時代
劇の話となると、前にも聞いた
内容を何回でも
繰り返す。【3】
授業時間がつぶれると喜ぶ人もいるが、テストの直前でもそれをやるので、そのときにはみんな
焦ってしまう。
5. そんな先生の話の中でも、とくに
強烈だったのが「海底戦車」だ。地理か歴史の
授業のときに聞いた話だった。【4】冷戦時代に、ソ連が作った「海の中を走れる戦車」が、オホーツク海を
渡ってはるばる日本まで
偵察に来ていたのだという。当時の
雑誌に、くっきりと車輪のあとがついた海底の写真が
載っていたそうだ。まるで、今で言う「都市伝説」のような話である。
6. 【5】母に聞いた話によると、先生は、昔はとても
怖かったそうだ。母もひどく
叱られて、泣きたくなったことがあったと言う。それは「海底戦車」以上に、
僕にとって信じられないことだった。今の先生は
優しくて、
叱られたことなど一度もない。
7. 【6】次の日、
僕は先生に「うちのお母さんが、泣きたくなるほど
怖かったって言ってたけど本当ですか」と、みんなの前で聞いてみた。すると、先生が
突然僕をにらみつけ、低い声で、
8.「こんな風に泣かせてたんだぞ。どうだ
怖いか。」
9.と
凄んだ。【7】そのあまりの
迫力に、
僕ばかりか周りにいた友人たちも
一瞬、
凍りついたかのように息を飲んだ。∵
10.
僕たちがおびえているのに気づき、先生はすぐにいつもの
雰囲気に
戻って、「こういうのは
疲れるから、
怒らせないでくれよ」と笑った。【8】軽い
冗談のつもりだったのだろうが、
僕たちがその言葉に
従おうと思ったことは言うまでもない。悪いことはしませんと、先生に
宣誓したのだ。
11.
僕は大人になったら、
性格はずっと変わらないものだと思っていた。しかし先生のような人でも、昔と今でそんなにも
違う。【9】人間は変わっていくものなのだなあとしみじみと分かった。
12. 今は
僕に小言を言う母も、
子供のころは先生に泣かされていた。もし、母がおばあさんになったら、今度はもっと変わるのかもしれない。そのとき、
僕自身はどうなっているのか、ちょっと楽しみだ。【0】
13.(言葉の森長文作成委員会 ι)∵
14. 【1】
芙蓉の花のめしべとおしべの位置関係は自花受粉をさけ他花受粉を求める形だったわけです。【2】もっとも、めしべとおしべの間がはなれているとは言っても、わずかのへだたりであり、こん虫が自花の花粉をめしべに運ぶこともあるでしょうから、自花受粉をさけるための
確率はあまり高くありません。
15. 【3】しかし、もっと
効果的に自花受粉をさけ、他花受粉の機会をふやすための
特殊な方法を持っている
両性花もあるのです。
16.
特殊な方法とは、めしべとおしべの
成熟する時期をずらしていることです。【4】これは、
雌雄異熟と
呼ばれている
現象で、めしべが先に
熟し花粉を
受精できる
状態になっているのに、自花のおしべは
熟していない(花粉を出さない)――こういう仕組みのものを
雌性先熟といい、
逆の場合を
雄性先熟と言います。【5】どちらもかなり高い
確率で自花受粉をさけることができますが、この
確率をもっと高めるために、もう一つ変わった方法を
駆使する
両性花もあります。
17. 【6】たとえば、タツノタムラソウという花の場合は、おしべが先に
熟して(
雄性先
熟)、花粉を出している間、めしべは、おしべの先(やく=花粉を生ずる部分)からできるだけ遠ざかるように後方に反り返っています。【7】おしべが花粉を出しつくした
頃、めしべは真直ぐにのびます。
雌雄異熟が時間差法ならば、この場合は高級な空間差法でしょうか。
18. 【8】こうまでして花が自花受粉をさけるのは、すでに
述べた通り、いい種子を得るためですが、一体、なぜ自花の花粉より他花の花粉を求めるのでしょうか。
19.
私の
仮定ですが、生命というものは、
自己に同意し
自己との結合をくり返している末には多分、
衰滅してしまうものです。【9】そういう成りゆきを
避けるために、生命はあえて
異質の他者を
生殖過程中に取りこむのではないか、花が他花受粉を求めるのも、
異質な他者の
因子と結合することで
自己改造を
継続してゆくのではあるまいか、そのように思うのです。【0】
長文 6.2週
1. 【1】インドではほうぼうの町角で自転車の
修理屋を見かけた。間口一間くらいの、新品自転車など一つも置いていない、
寄せ集めの中古部品ばかりごたごた重なっている小さな店である。【2】そこに持ちこまれるのも、いかにも実用品といった、さんざん使い古したしろものだ。そこでパンク直し、部品
交換をし、また
雑踏の町中に走ってゆく。自転車はインドでは
貴重品であり、
日常生活の重要な道具だから、そういう店はどこでもはやっていた。
2. 【3】
私は町中でそんな店を見かけると立止ってしばらく
眺め、なんだかとても
懐かしい気がした。自転車だってあのころは大変役立つ交通機関で、みな荷台の大きな黒い実用品であった。【4】
私の父はよくそのうしろにリヤカーをつけ、材木だのセメント
袋などを仕事場に運んでいったものである。
3. 駅前広場には毎朝
夥しい数の自転車が乗りすてられていくが、
大抵はサイクリング用で、あの黒くて荷台のついたやぼったいやつなど一台も見かけない。【5】
子供たちは変速ギアのついたしゃれたのを平気で公園に置き去りにしていく。インドの
子供らが見たら何と思うだろう。
4.
靴でも自転車でもタクシーでもバスでも、インドでは
実際徹底的に
修理し
再生して、とことんまで使いきるらしかった。【6】町中で新品にお目にかかるほうがめずらしかった。これは一言でいえば、日本が大量生産大量消費の工業国であり、インドが生産
性に
乏しい貧しい国だということなのだろうが、
私は、両方を見くらべてなんだか
釈然としないのである。【7】どっちかが
間違っているように思えてならないのだ。
5.
限りある地球上の
資源を、一方は
富にまかせて不必要に
浪費し、一方はどんなものでもとことんまで使い切ろうとする。【8】そういう点からばかりでなく、
子供たちの教育、心の問題としても、
現在の日本のような
経済力にまかせた
浪費習慣は、よい
影響を
与えるとは考えにくい。∵
6. 【9】インドを一月ほど旅行しているあいだじゅう
私が考えさせられたのは、人間は一体生きるために本当に何を必要とするか、ということだった。
快適な生活の追求はしばしば
贅沢と
域を
接し、人間に本来の生の
姿を
忘れさせるのではあるまいか。ともかく
現代日本人が
傲っているのは
確かなようである。【0】
長文 6.3週
1. 【1】コオロギは「リーリー」と鳴くというけれど、「リーリー」と聞こえるのは人間の耳にそう聞こえるだけのことで、コオロギにはどう聞こえているのだろう、そんなことを小学生のころふと考えたことがあります。【2】人間の耳とコオロギの「耳」の
構造はまるでちがったものでしょうから、少なくともコオロギが人間が聞いているのと同じように「リーリー」という音を聞いているという
保証はありません。【3】そのように考えれば、同じ人間でも全く同じ耳はないのですから、
私たちは
個人個人で、少しずつちがった音を聞いているのかもしれません。ヨーロッパの人の耳には、あの美しいコオロギの鳴き声も
雑音としてしか聞こえないという話もどこかで聞いたことがあります。【4】
聴覚のしくみが日本人とヨーロッパ人ではちがうというのです。
2. 先日ラジオで、東京ではアオマツムシが木の上でうるさいほど鳴いていて、他の虫の声が聞こえないほどだ、このアオマツムシは明治時代に中国から
渡ってきた帰化
昆虫で、どうも声がうるさすぎて味気ないというような話をしていました。【5】それを聞きながら、
横浜に住んでいる
私は、どうしてその虫が
横浜にはいないのだろうと不思議に思ったのですが、つい先ごろ、ぼんやりと庭に出て
夕涼みをしている時、
妙に大きな声の虫が鳴いているのに気がつきました。【6】何もこの声は今年初めて聞くようなめずらしいものではなく、今まで毎年秋の初めに聞いてきた声で、
私は今までずっとそれをコオロギだと思ってきたのですが、ラジオの話を思い出して、ひょっとしたらこれがあのアオマツムシかもしれないぞと思ったのです。【7】そうなると、やもたてもたまらず
確かめたくなって、
懐中電灯を持って庭の木の葉の上を
探しました。そして一時間ほどの
探索の末、
私は今まで見たこともない緑色の虫が、緑色の葉の上で大声で鳴いているのを発見したのでした。【8】それ以来、今まで少し声の大きなコオロギだなということぐらいしか考えず、むしろ秋を感じさせる虫の声として楽しく聞いていたその声が、急にうるさく感じられるようになってしまったのです。
3. 【9】
私たちは、
実際の体験を通じていろいろな
知識を身につけてゆくのだと、
単純に考えています。コオロギの声を聞いて、コオロギという虫を知り、セミをつかまえて、セミという虫の形や色に∵ついて知るというように。【0】けれども、
実際には、自分自身の
直接的な体験を通して得られる
知識は案外少ないのです。むしろ
私たちは、他人から
知識を
与えられることによって、自分の体験を
幅の広いものにしていくといった方がよいでしょう。
極端な言い方をすれば、
私たちは、知っているものしか見えないし、聞こえないのです。
4. サッカーのルールについて何も知らずに、サッカーの試合を見ても、おそらく何もおもしろくないでしょう。そればかりか、何でボールを手に持って走らないのだろうとか、何でゴールキーパーをみんなで
押さえてしまわないのだろうかとか考えてイライラするにちがいありません。手を使ってはいけないというルールがあるのだということを知っているからこそ、足で上手にボールをあやつる選手の
姿がすばらしいものに見えるのです。それを知らなければ、足だけで
懸命にボールをけっている
姿はこっけいなものでしかありません。
5.
知識は
現実の見え方や感じ方を変えてしまう力を持っています。コオロギは日本に昔からいる虫だがアオマツムシは外国から
渡ってきた虫だという
知識が、コオロギの声はきれいだが、アオマツムシの声はうるさくて
耐えがたいというふうに感じさせてしまいます。
逆に床に落ちたステーキをそのまま皿に乗せて出されても、そのことを知らなければ、
私たちは平気でそれを食べてしまうでしょう。「知らぬが
仏」というわけです。
6.
現実の見え方や、それに対する感じ方を変えてしまうものは、
知識だけではありません。
習慣もその一つです。日本人とヨーロッパ人では
聴覚のしくみがちがうという話も、考えようによっては、虫の声を楽しむという日本人の
習慣が、日本人の耳を少しずつ変化させてきたのだとも言えるでしょう。
長文 6.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. ちょうど、その前の年、
僕が六年生の
晩秋のことであった。
3. 中学へ入るための予習が、もう毎日つづいていた。暗くなって家へ帰ると、
梶棒をおろしたくるまが二台表にあり、
玄関の上がり口に
車夫がキセルで
煙草をのんでいた。
4. この二、三日、母の
容体が面白くないことは知っていたので、くつを
脱ぎながら、
僕は気になった。着物に着がえ顔を
洗って、電気のついた茶の間へ行くと、食事のしたくのしてある
食卓のわきに、
編み物をしながら、姉は
僕を待っていた。
僕はおやつをすぐにほおばりながら聞いた。
5.「ただ今。――お医者さん、きょうは二人?」
6.「ええ、昨夜からお悪いのよ」
7. いつもおなかをへらして帰って来るので、姉はすぐにご飯をよそってくれた。
8. 父と三人で
食卓を囲むことは、そのころはほとんどなかった。ムシャムシャ食べ出した後に、姉もはしをとりながら、
9.「節ちゃん、お父さまがね」という。「あさっての遠足ね、この分だとやめてもらうかも知れないッて、そうおっしゃっていたよ」
10. 遠足というのは、六年生だけ
一晩泊まりで、
修学旅行で日光へ行くことになっていたのだ。
11.「チェッ」
僕は
乱暴にそういうと、ちゃわんを姉につき出した。
12.「節ちゃんには、ほんとにすまないけど、もしものことがあったら。――お母さんとてもお悪いのよ」
13.「知らない!」
14. 姉は
涙ぐんでいる様子であった。それもつらくて、それきりだまりつづけて夕飯をかきこんだ。(
中略)
15. 生まれて初めて、級友と
一泊旅行に出るということが、少年にとってどんなにみりょくを持っているか! 級の
誰彼との約束や計画が、あざやかに
浮かんでくる。両の
眼に
涙がいっぱいあふれてきた。
16. 父の
書斎のとびらがなかば開いたまま、
廊下へ灯がもれている。(
中略)∵
17. いつも父のすわる大ぶりないす。そして、ヒョイッと見ると、
卓の上には、くるみを
盛った皿が置いてある。くるみの味なぞは、
子供に
縁のないものだ。イライラした気持ちであった。
18. どすんと、そのいすへ身を投げこむと、
僕はくるみを一つ取った。そして、冷たいナット・クラッカーへはさんで、
片手でハンドルを
圧した。小さなてのひらへ、かろうじて
納まったハンドルは、くるみの固いからの上をグリグリとこするだけで、
手応えはない。「どうしても
割ってやる」そんな気持ちで、
僕はさらに右手の上を、左手で包み、ひざの上で全身の力をこめた。しかし、級の中でも
小柄で、きゃしゃな自分の力では、ビクともしない。(
中略)
19. 左手の下でにぎりしめた右のてのひらの皮が、少しむけて、ヒリヒリする。
僕はかんしゃくを起こして、ナット・クラッカーを
卓の上へ放り出した。クラッカーはくるみの皿に
激しく当たって、皿は
割れた。くるみが三つ四つ、
卓からゆかへ落ちた。
20. そうするつもりは、さらさらなかったのだ。ハッとして、いすを立った。
21.
僕は二階へかけ上がり、勉強
机にもたれてひとりで泣いた。その
晩は、母の病室へも
見舞いに行かずにしまった。
22. しかし、幸いなことに、母の病気は
翌日から小康を得て、
僕は日光へ遠足に行くことができた。
23. ふすまをはらった宿屋の大広間に、ズラリとふとんをしきつらねたその夜は、実ににぎやかだった。果てしなくはしゃぐ、
子供たちの上の電
燈は、八時ごろに消されたが、それでも、なかなかさわぎはしずまらなかった。
24. いつまでも
僕は
寝つかれず、東京の家のことが思われてならなかった。やすらかな友だちの
寝息が耳につき、
覆いをした母への電
燈が、まざまざと
眼に
浮かんできたりした。
僕は、ひそかに自分の
性質を反省した。この反省は、
僕の
生涯で最初のものであった。
25.(
永井龍男「
胡桃割り」)∵
26. 【1】大学だけでなく、各地の
保育園や
幼稚園に
講演に行く機会もかなりあって、参観に来た母親と子どもの様子をそれとなく観察してきました。
極端にことば数が少ないお子さんの場合、母親のタイプは二通りに分けられるのではないかと思います。
27. 【2】一つは、お母さん自身も無口で
引っ込み思案、
自己主張が少なく、ウサギのようにほとんど声を出さないというケースです。おしめを
換えるにも、
授乳するにも、
靴をはかせるにも、すべて
黙々と行っている。【3】
気質の
遺伝などもあるでしょうが、子どもの側からすれば、どういう局面でどういうことばを用いるのか、
模範を
示してもらうチャンスが少ないのですから、自分のことばが出てくるまでに、時間がかかるのは当然かもしれません。【4】ようするにこれは、マザリーズのところで
述べた「くりかえし」の不足だと思います。
28. もう一つは
逆に、母親がひどくおしゃべりで、子どもの自発
性を生かす「間」が不足している場合です。子どもは家で四六時中ことばのシャワーを浴びているはずなのに、なぜこんなに無口なのか。【5】ほんとにこれがあの母親の子なのかと、わが目わが耳を
疑うことがあります。でも長い目で見ると、やはり、
因果関係の
釣り合いが、ちゃんと
保たれているのかもしれません。ふだんはほとんどおしゃべりしない子が、ある日
突然、母親のいないときにかぎって、
堰を切ったように話しはじめる。【6】いったいこの子、どうなってるのと、まわりの人はびっくり。しばらくすると、ピタッとおさまって、何事もなかったかのようにまた無口な子どもにもどります。そういう子はえてして、大人になってからも、ふだんは
寡黙な、はにかみやと見なされている場合が多いようです。
29. 【7】母親との語らいが子どもの
脳を
活性化するという川島さんの実験データは、じつに
興味深いものがあります。だとすれば、
臨界期の中心に位置すると思われる大切な時期に、
魔法使いであるはずの母親が
魔法の力をふるうことを
怠れば、
刷り込みの力ははたらかないわけです。∵
30. 【8】「三つ子の
魂百まで」ということは、三
歳までに学んだことが、百年分に
匹敵する決定的な
影響を
与えるということではないでしょうか。ですから、もし母親が一分間、赤ちゃんに話しかけるとすれば、
単純計算だけでもその約三十三倍、つまり三十三分間話しかけただけの
効果を生みます。【9】十分間話しかければ、三百三十分、五時間以上話しかけただけの
質的な
影響力をもつことになります。
31. すでにマザリーズのところで
述べたように、母親の話しかけには、くりかえしだけでなく「間」が大切ですが、間を生かすためには、母親の心がその場に
居合わせることが
肝心だと思います。【0】
授乳しながら赤ちゃんに
優しく話しかければ、赤ちゃんは体の栄養分だけでなく、同時に「
魂の
糧」も
吸収しているわけです。もしその時、母親が
片手間に新聞を読んでいたり、テレビの画面に
夢中だったり、赤ちゃんから気がそれていたりしたらどうでしょう。そこには気持ちのキャッチボール、つまり心と心の対話が
欠如しているのではないかと思います。赤ちゃんはおそらく、母親の気持ちが自分に、向けられていないことを感知し、心のどこかで
欲求不満を覚えているにちがいありません。
32. ことばと心は、深いところでしっかりつながっています。育児や、家事、
職業、
趣味などの
明け暮れで、どんなに
忙しい母親でも、子どもに
接するときは一期一会、目を見つめながら、心をこめて話しかけたいものです。
33.(川島
隆太・安達
忠夫「『
脳と音読』「
講談社現代新書」
所収による」)