1. 【1】インドではほうぼうの町角で自転車の
修理屋を見かけた。間口一間くらいの、新品自転車など一つも置いていない、
寄せ集めの中古部品ばかりごたごた重なっている小さな店である。【2】そこに持ちこまれるのも、いかにも実用品といった、さんざん使い古したしろものだ。そこでパンク直し、部品
交換をし、また
雑踏の町中に走ってゆく。自転車はインドでは
貴重品であり、
日常生活の重要な道具だから、そういう店はどこでもはやっていた。
2. 【3】
私は町中でそんな店を見かけると立止ってしばらく
眺め、なんだかとても
懐かしい気がした。自転車だってあのころは大変役立つ交通機関で、みな荷台の大きな黒い実用品であった。【4】
私の父はよくそのうしろにリヤカーをつけ、材木だのセメント
袋などを仕事場に運んでいったものである。
3. 駅前広場には毎朝
夥しい数の自転車が乗りすてられていくが、
大抵はサイクリング用で、あの黒くて荷台のついたやぼったいやつなど一台も見かけない。【5】
子供たちは変速ギアのついたしゃれたのを平気で公園に置き去りにしていく。インドの
子供らが見たら何と思うだろう。
4.
靴でも自転車でもタクシーでもバスでも、インドでは
実際徹底的に
修理し
再生して、とことんまで使いきるらしかった。【6】町中で新品にお目にかかるほうがめずらしかった。これは一言でいえば、日本が大量生産大量消費の工業国であり、インドが生産
性に
乏しい貧しい国だということなのだろうが、
私は、両方を見くらべてなんだか
釈然としないのである。【7】どっちかが
間違っているように思えてならないのだ。
5.
限りある地球上の
資源を、一方は
富にまかせて不必要に
浪費し、一方はどんなものでもとことんまで使い切ろうとする。【8】そういう点からばかりでなく、
子供たちの教育、心の問題としても、
現在の日本のような
経済力にまかせた
浪費習慣は、よい
影響を
与えるとは考えにくい。∵
6. 【9】インドを一月ほど旅行しているあいだじゅう
私が考えさせられたのは、人間は一体生きるために本当に何を必要とするか、ということだった。
快適な生活の追求はしばしば
贅沢と
域を
接し、人間に本来の生の
姿を
忘れさせるのではあるまいか。ともかく
現代日本人が
傲っているのは
確かなようである。【0】