ナツメ の山 5 月 2 週 (5)
★さて、人間を科学的に(感)   池新  
 【1】さて、人間を科学的に知ろうとすると、えてして人間を、機械のように考えようとする傾向があります。心臓はポンプで、眼はカメラで、脳はコンピューターのようなもの、と考えたりします。テレビのSF作品にも、よく登場する機械のような人間や、人間のような機械がそれです。
 【2】人体を機械と同じように、心臓や胃などの部分品が集まってできているものと考える考え方では、胃がおかしいときには胃という部分品が故障したと考えます。そうして、胃を修繕しさえすれば、病気が治ったと考えることになります。
 【3】また、脳とコンピューターを同じに考える人には、いまのコンピューターは脳の代わりを完全につとめることはできないまでも、ある面では脳よりもすぐれているようにみえます。そうして、いつの間にか、コンピューターと同じようにはたらく脳をすぐれた脳と思うようになります。【4】速く正確に計算ができたり、なんでもそのまま記憶できたりすることが、アタマがよくなることだと考えている人も少なくないでしょう。
 しかし、人間は機械と同じなのでしょうか。人間は複雑な機械にすぎないのでしょうか。【5】もちろん、人間には機械に似たところもあります。そこで、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではないのですが、しかし、そこでわかることは人間の一面だけなのです。それを暗示する例を一つ紹介しましょう。
 【6】アメリカでは、一九七七年の建国二〇〇年を記念するつもりでその何年も前から火星へのロケット着陸とガン制圧という二つの大きな研究目標をたてました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模な研究をした結果、すでに人工衛星をつくることができたし、月旅行も成功していました。【7】従って、この二つの大きな研究目標も同じように達成できるという自信があったのでしょう。ところが月旅行の技術を進歩させた火星ロケットは成功しましたが、一方のガンの治療の方はあきらめざるをえませんでした。【8】つまり、機械をつくる科学は急速に進歩していますが、そういう科学では生物や人間のことは必ずしもわからないのです。機械と人間は同じで∵はないからです。
 それでは、どこが違うのでしょう。それは、人間は、いつも生きるために行動するということが違うのです。【9】機械は生きていませんから、生きるために行動するということはありません。「なんだ、そんなことか」と君は思うかもしれません。しかし、問題はそれからです。つまり、この話は、生きるとはどういうことかがわからないと、ほんとうの意味はわかりません。【0】
(中略)
 さらに、まだ違う点があります。機械ならば、いつも同じように動いている方がいい機械だということになります。進んだり後れたりする時計や、ときに動かないこともある自動車などというものは故障している機械です。しかし、人間はいつも同じことをしてはおりません。人間は、ただ動いていればいいというものではないのです。
 たとえば、君は毎日同じように学校に通っていますが、一日一日の生活は、けっして同じではありません。勉強や友達の話から新しいことを一つでも知れば、それだけ君の生活も変わります。とにかく、君が生まれたときには、ときどき泣いたりお乳を飲んだりするだけで、あとはほとんど眠りつづけているという赤ちゃんでした。
 その君が、いまはこの本を読むようになるまで、毎日少しずつ変わってきているのです。
 このように、変わってゆくのが人間ですが、それは、ただ変わるのではなくて、進歩し、高等になってゆくのです。機械は使ってゆくうちにむしろ性能が落ちてゆくのですから、人間とはまるで反対です。つまり、人間はただ死なないように行動しているというのではなく、進歩発展するという点で機械と違うのです。生きるとはそういうことなのです。
 念のために書いておきますが、これは、人間は進歩発展しなければならない、といっているのではなく、人間は進歩発展するようにつくられている、ということなのです。いやでも、そうなるようになっている、ということです。

(千葉康則「脳のはたらき」より)