長文集  4月2週  ★私は小さい頃(感)  na-04-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】私は小さい頃、家の近くを流れる渡
良瀬川から大切なことを教わっているように
思う。
 私がやっと泳げるようになった時だから、
まだ小学生の頃だったろう。ガキ大将達につ
れられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに
行った。【2】その日は、増水していて濁っ
た水が流れていた。流れも速く、大きい人達
は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はや
っと犬かきが出来るようになったばかりなの
で、岸のそばの浅い所で、ピチャピチャやっ
て、ときどき流れの速い川の中心にむかって
少し泳いでは、引き返して遊んでいた。【3
】ところがその時、どうしたはずみか中央に
行きすぎ、気づいた時には速い流れに流され
ていたのである。元いた岸の所に戻ろうとし
たが、流れはますます急になるばかり、一緒
に来た友達の姿はどんどん遠ざかり、私は、
必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻
ろうと暴れた。【4】しかし、川は恐ろしい
速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何
杯(ばい)も水を飲んだ。
 水に流されて死んだ子供の話が、頭の中を
かすめた。しかし、同時に頭にひらめいたも
のがあったのである。それはいつも眺めてい
た渡良瀬川の流れる姿だった。【5】深いと
ころは青々と水をたたえているが、それはほ
んの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、
人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。
たしかに流されている所は、私の背よりも深
いが、この流れのままに流されていけば、必
ず浅いところに行くはずなのだ。【6】浅い
ところは、私が泳いで遊んでいたあの岸のそ
ばばかりではないと気づいたのである。
「……そうだ、何もあそこに戻らなくてもい
いんじゃないか」
 私はからだの向きを百八十度変え、今度は
下流に向かって泳ぎはじめた。【7】すると
、あんなに速かった流れも、私をのみこむほ
ど高かった波も静まり、毎日眺めている渡良
瀬川に戻ってしまったのである。下流に向か
ってしばらく流され、見はからって、川底を
探ってみると、なんのことはない、もうすで
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にそこは私の股(も も)ほど∵もない深さ
の所だった。【8】私は流された恐ろしさも
あったが、それよりもあの恐ろしかった流れ
から、脱出できたことの喜びに浸った。
 怪我をして全く動けないままに、将来のこ
と、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、
ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎ
つこうともがいている自分の姿を見たような
気がした。【9】そして、思った。
「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃない
か……流されている私に、今できるいちばん
よいことをすればいいんだ」
 その頃から私を支配してた闘病という意識
が少しずつうすれていったように思っている
。【0】歩けない足と動かない手と向き合っ
て、歯をくいしばりながら一日一日を送るの
ではなく、むしろ動かないからだから、教え
られながら生活しようという気持ちになった
のである。
 東山魁夷(かいい)画伯の書かれた本を読
んでいた時、画伯も少年の頃、海で波にさら
われ、似たような体験をされたことを知り、
非常に感激した。そして、なにげなく読みす
ごしていた聖書の一節が心にひびきわたった

「あなたがたの会った試練はみな人の知らな
いようなものではありません。神は真実なか
たですから、あなたがたを耐えることのでき
ないような試練に会わせるようなことはなさ
いません。むしろ、耐えることのできるよう
に、試練とともに、脱出の道も備えてくださ
います。」(コリント人への手紙第一 十章
十三節)

(星野富弘(とみひろ)著「四季抄 風の旅
」より」