長文 9.4週
1. 日本人はなにかというと人に贈りおく ものをする。たいした意味がなくても、ぼんと暮れになると、中元、歳暮せいぼ贈らおく ないと気がすまない。虚礼きょれいではないか、やめてしまえ、という声がときおりおこるけれども、贈答ぞうとうはいっこうに減らない。われわれは贈りおく ものをしないと落ち着かないようにできているのかもしれない。同じ日本人なら、同じような気持ちをもっているから、ときにおかしいと思う人がいても、贈れおく ばだいたい受け取って、形だけにしても、ありがたかった、うれしかった、と礼を言ってくれる。
2. そういうことになれ切っていると、相手が外国人であっても、つい同じことをしてしまう。こちらが善意であれば、その気持ちだけはすくなくとも通じるだろうとのんきに考える。それがそうではないことがあるのだということは、苦い経験をしてからでないと、わからないからやっかいである。
3. たとえば、アメリカ人にとって日本式の贈りおく ものがどういうように受け取られるか。これについてはこういうエピソードがある。
4. 日本に住むあるアメリカ人が隣家りんかの日本人の奥さんおく  からある日、くだものをもらった。くれたのは奥さんおく  だが、奥さんおく  が買ってきたものではない。奥さんおく  のところへ来た知り合いが奥さんおく  贈っおく たものだ。この知人はクルマで来て、そのアメリカ人の庭先へ駐車ちゅうしゃさせてもらった。奥さんおく  とアメリカ人との間で、必要なときには自由に使っていいという話のついている庭先である。しかし客は知らん顔ではまずいと思った。奥さんおく  にもってきたくだものを、アメリカ人にあげてくれと頼んたの だ。奥さんおく  にはまた別のものを考えると言うのであろう。奥さんおく  は言われるままに、客が帰ったあと、くだものをもってアメリカ人のところへ来たのである。
5. ところがアメリカ人は喜ばない。どうしてくれるのかわからないのだ。やるといわれても、迷惑めいわくだと感じる。こちらがくだもの好きだとわかってくれたのではない、しかも、会ったこともない人からのくだものをどうして受け取れるか。相手はかまわず、そういうものをくれるのは、こちらの人間、個性を無視していて、おもしろくない。駐車ちゅうしゃさせてもらってありがたいと思ったなら、なぜ本人がやってきて、ひとこと、ありがとう、と言ってくれないか。そのほ∵うがわけのわからないくだものをもらうよりどれだけうれしいか知れない。会えば、知り合いになるチャンスだって生まれる……。そんな風に感じたが、このアメリカ人は結局、となり奥さんおく  のくだものを受け取った。断っては、奥さんおく  の顔をつぶすことになるだろうという日本的考え方をしたものである。
6. プレゼントをしていいのは、相手の好み、趣味しゅみをよく知っていて、それに合ったものがあるときである。奥さんおく  のところへもってきたものを、そのまま隣家りんかのアメリカ人へまわすのは、送り先の人のことを無視するのもいいところで、はなはだまずい。
7. 贈りおく ものはときとして、とんだ災難のもとになることもある。
8. 日本で勉強しているアメリカ人の女子大生が、バイクでジグザグ走行していてトラックに接触せっしょく転倒てんとうし、軽い怪我けがをした。入院したが、非は自分側にあると思っていたから、トラックを責める気はまったくなかった。ところが、トラックの運転手は、いくら自分の責任ではないにしても、現に相手は入院している。放っておけない気がしたのだろう。ブドウをもって見舞いみま に行った。これがいけなかった。それまでは神妙しんみょうだったアメリカ人学生は、そこで考えを一変させた。この運転手は自分にワイロを贈ろおく うとした。悪い人間である。事故はこの運転手によっておこった。というような話をつくり上げてしまったのである。
9. トラック会社と運転手を訴えうった て、裁判に勝ち、トラック会社から多額の賠償ばいしょう金をせしめることに成功した。ずいぶん高いことについたブドウである。善意がとんでもない解釈かいしゃくをされてあだになってしまった。贈りおく ものの文化が万国共通のものではないことを知らないでおこった小悲劇である。ことにあまり意味のないプレゼントをするのになれていると、つい気軽に人にものを進呈しんていしがちになる。相手をよく考えてからでないと贈りおく ものをしてはいけない。国際的な場面においてはとくにそれに注意する必要がある。

10.(外山滋比古とやましげひこ『英語の発想・日本語の発想』)