長文 8.3週
1. 自分に友達のできないのは、口が重く、しゃべることが下手で、相手を引きつけたり、よろこばせたりできないからだと思っている人も少なくない。しかしこの種の人も、人間というものは、こちらの言うことなどをそんなに注意してきいているものではないと考えることによって、気持ちが楽にならないだろうか。何かすばらしいことを自分が言うと相手が期待していないだろうかと考えるために、ますます口が重くなる。だが、世のなかで、自分の言うことにいちばん耳を傾けかたむ ているのは、ほかならぬ自分自身であることを知っておくのはむだではあるまい。何かつまらないことを言って笑われはしまいか、軽蔑けいべつされはしまいかと心配するのは、相手が自分の言葉に耳をすませているだろうと思っている一種の自惚うぬぼれである。こちらが不安と心配で胸をドキドキさせてしゃべっているときでも、別のことを考えているばあいが多いのである。まさにアランの言う「対象のない恐怖きょうふ」であって、そんなことにくよくよするのは全く意味のないことである。
2. 「自分を虫けらだと思っている者は人に踏みにじらふ    れる」という格言がフランスにあるが、他人から尊重されるには、まず自分で自分を尊重することが第一である。われながらつまらないヤツだと思っている人間に、他人が敬意を払うはら はずがあるまい。自分は人に好かれない人間だと思っているかぎり、自分を好いてくれる人はないだろう。人間というものは、いつも友達を欲しそうにして卑屈ひくつな愛想笑いをしている人間よりも、孤高ここうの態度をくずさない人間に対して、むしろ友情を求めたがるものである。無益な劣等れっとう感をてるに越しこ たことはない。
3. 友達ができないことを嘆くなげ 人に次に問いたいことは、あなたは自分の周囲に何か冷たい空気を流していないだろうかということである。私がこれまでくり返し書いてきたように、友情というものは、まずこちらから何かを、しかも何らの報酬ほうしゅうを期待することなしに与えるあた  ことによって成り立つ。与えるあた  ことが、無際限に与えるあた  こと自体が悦びよろこ であるのが真の友情というものである。われわれの与えあた うるものには限度があるからである。そこに友人の選択せんたくが起こるのであるが、自分の選んだ人で、その人のためには何を与えあた ても惜しくお  ないという友人をもつことは至福ではないだろうか。∵
4. 私が冷たい空気というのは、好きな人にはすべてを与えるあた  というこの心意気の乏しいとぼ  ことを意味する。最初から与えるあた  気持ちの全然ない人に友達のできるはずがないが、たとえ与えるあた  気持ちがあっても、その代償だいしょうをひそかに期待するようでは真の友情は結ばれない。人間は敏感びんかんであるから、報酬ほうしゅうを期待して与えあた られる友情は、これを無意識のうちに見破って、警戒けいかいする。友達のできないことを嘆くなげ 人は、この種の、他人をして警戒けいかいせしめるものが自分にないかどうかを十分に反省してみる必要があろう。それと同時に注意すべきことは、他人から報酬ほうしゅうを期待しない友情を与えあた られながら、それを素直に、心から悦んよろこ で受け入れることをしないで、これには何らかの目的があるのではないかと警戒けいかいすることであろう。この種の警戒けいかい心もまた冷たい空気となって諸君をつつみ、友達をよせつけない。一般いっぱんに、友達のないことを嘆くなげ 人には、この冷たい警戒けいかい心で無意識のうちに武装している人が多いように思われる。
5. 私が何かを与えるあた  というのは、もちろん物質的なものばかりを意味するのではない。生まれつきさまざまの魅力みりょくを具えている人は、与えるあた  ものを多くもつ人である。問題は与えるあた  ものの乏しいとぼ  人にある。自分は何を無償むしょうで人に与えるあた  ことができるかを考えるとき、よき友達はおのずから作られるにちがいない。

6.(河盛かわもり好蔵よしぞうの文章による)