長文集  8月3週  ★いったい臆病とは(感)  mi-08-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2013/06/05 20:22:10
 自分に友達のできないのは、口が重く、し
ゃべることが下手で、相手を引きつけたり、
悦(よろこ)ばせたりできないからだと思っ
ている人も少なくない。しかしこの種の人も
、人間というものは、こちらの言うことなど
をそんなに注意してきいているものではない
と考えることによって、気持ちが楽にならな
いだろうか。何かすばらしいことを自分が言
うと相手が期待していないだろうかと考える
ために、ますます口が重くなる。だが、世の
なかで、自分の言うことにいちばん耳を傾け
ているのは、ほかならぬ自分自身であること
を知っておくのはむだではあるまい。何かつ
まらないことを言って笑われはしまいか、軽
蔑されはしまいかと心配するのは、相手が自
分の言葉に耳をすませているだろうと思って
いる一種の自惚(うぬぼれ)である。こちら
が不安と心配で胸をドキドキさせてしゃべっ
ているときでも、別のことを考えているばあ
いが多いのである。まさにアランの言う「対
象のない恐怖」であって、そんなことにくよ
くよするのは全く意味のないことである。
 「自分を虫けらだと思っている者は人に踏
みにじられる」という格言がフランスにある
が、他人から尊重されるには、まず自分で自
分を尊重することが第一である。われながら
つまらないヤツだと思っている人間に、他人
が敬意を払うはずがあるまい。自分は人に好
かれない人間だと思っているかぎり、自分を
好いてくれる人はないだろう。人間というも
のは、いつも友達を欲しそうにして卑屈な愛
想笑いをしている人間よりも、孤高の態度を
くずさない人間に対して、むしろ友情を求め
たがるものである。無益な劣等感を棄(す)
てるに越したことはない。
 友達ができないことを嘆く人に次に問いた
いことは、あなたは自分の周囲に何か冷たい
空気を流していないだろうかということであ
る。私がこれまでくり返し書いてきたように
、友情というものは、まずこちらから何かを
、しかも何らの報酬を期待することなしに与
えることによって成り立つ。与えることが、
無際限に与えること自体が悦びであるのが真
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の友情というものである。われわれの与えう
るものには限度があるからである。そこに友
人の選択が起こるのであるが、自分の選んだ
人で、その人のためには何を与えても惜しく
ないという友人をもつことは至福ではないだ
ろうか。∵
 私が冷たい空気というのは、好きな人には
すべてを与えるというこの心意気の乏しいこ
とを意味する。最初から与える気持ちの全然
ない人に友達のできるはずがないが、たとえ
与える気持ちがあっても、その代償をひそか
に期待するようでは真の友情は結ばれない。
人間は敏感であるから、報酬を期待して与え
られる友情は、これを無意識のうちに見破っ
て、警戒する。友達のできないことを嘆く人
は、この種の、他人をして警戒せしめるもの
が自分にないかどうかを十分に反省してみる
必要があろう。それと同時に注意すべきこと
は、他人から報酬を期待しない友情を与えら
れながら、それを素直に、心から悦んで受け
入れることをしないで、これには何らかの目
的があるのではないかと警戒することであろ
う。この種の警戒心もまた冷たい空気となっ
て諸君をつつみ、友達をよせつけない。一般
に、友達のないことを嘆く人には、この冷た
い警戒心で無意識のうちに武装している人が
多いように思われる。
 私が何かを与えるというのは、もちろん物
質的なものばかりを意味するのではない。生
まれつきさまざまの魅力を具えている人は、
与えるものを多くもつ人である。問題は与え
るものの乏しい人にある。自分は何を無償で
人に与えることができるかを考えるとき、よ
き友達はおのずから作られるにちがいない。

(河盛(かわもり)好蔵(よしぞう)の文章
による)