長文集  8月1週  ★作曲に集中しているとき(感)  mi-08-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】作曲に集中しているとき、不意に、
音楽というものが、自分の知力や感覚では、
捉えようもない(神秘的な)ものに思われる
ことがある。自分なりに、音楽が解ったよう
な気がしていただけ に、そんな時、私は、
戸惑いや焦りの後の無力感に挫けそうになっ
てしまう。【2】だがその無力感は、深刻な
絶望とは異質な、むしろ居心地良さと温(ぬ
く)もりさえ感じられる「たぶんそれはなに
か途方もなく大きな」諦めのようなものだ。
こんな感情は、言葉ではとても伝え難い。私
は待つしかない。【3】期待ということでは
なく、己を空白にして音が私に語りかけてく
るまで待つ。音を弄(いじ)って私の考えで
縛ることから離れて、耳と心を全開にする。
 【4】作曲という仕事は、どうしても音を
弄(いじ)り過ぎて、その音が本来どこから
来たかというような痕跡までも消し去ってし
まう。方法論だけに厳格になると、ともする
と音楽は紙の上だけの構築物になり空気の通
わないものになる。【5】例えば、ひとつの
和音は、物理的波長の複雑な集束として、音
響学的には、殆ど不変のものとして存在し、
また規定し得るだろう。【6】だが音楽とい
う有機的な流れの中では、その(ひとつの和
音の)響きは千変万化するもので、その表情
の豊かさは、まるで、生きたもののようであ
る。【7】一般に言われる、長和音は明るく
、短和音は暗いというようなことがかならず
しも正確でないのは、注意深く音楽(作品)
を聴けば、容易に、理解されることである。
 【8】ではなぜ、音は、恰も生きたものの
ようにその表情を変えるのだろう? 答えは
、至極単純に違いない。即ち、音は、間違い
なく、生きものなのだ。そしてそれは、個体
を有さない自然のようなものだ。【9】風や
水が、豊かで複雑な変化の様態を示すよう 
に、音は私たちの感性の受容度に応じて、豊
かにも貧しくもなる。私は音をつかって作曲
をするのではない。私は音と協同(コーオペ
レイト)するのだ。【0】だが、私が、時に
「作曲家として」無力感に捉えられるのは、
私がまだ協同者「音」の言葉をうまく話せな
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いからだ。
 先日、ある紙上に、高見順賞を授賞された
吉田加南子さんの受賞∵の挨拶が再録されて
いた。その中に、現在(いま)の私にはとて
も身近に感じられる言葉があった。手前勝手
に引用させていただ く。
 吉田さんは、詩人として歩んだこれまでを
簡略に振り返ったあとに、
 「私の意思だけではなく何か大きな力に働
きかけられている。私はそれを受け止めなく
てはならない。また、子供が遊ぶように詩を
書くことが、仕事になって、生き生かされて
いる。そうしたことを通してゆるしのような
ものが与えられているのかもしれない」
 そう現在の心境を述べられ、さらに、
「私は本当は空とか海、木とか葉っぱにとっ
てもお礼を言いたいんです。けれども、残念
ながらまだ私は、空の言葉、海の言葉を話す
ことができません。ですから、そのためにこ
そ詩を書いてゆかなければならない」と、挨
拶を結ばれている。
 この言葉に深い共感を抱いた者として、な
ぜ、いまここにそれを引用したかを説明する
のは、どうにも余分なことに思える。(中 
略)
 自然から学ぶことは余りにも多い。自然の
(この地球の)記憶の層の、深い、遥かな連
なりを見出すのは、私のような者には、とて
も容易なことではないが、せめて季節毎の変
化の相、その推移を感じとれる感受性を身に
つけたい。それは、私に、音が語りかけてく
る毀れやすい言葉の表情のいろいろを聴き逃
がすことがないように働きかけてくれるだろ
う。作曲は音と人間との協同作業(コラボレ
ーション)だと思うから、作曲家は音に傲慢
であってはならないだろう。

(武満徹の文章による)