1. 【1】最近、と言っても大分前からのことだが、ラジオの音楽番組の解説者が、金曜の夜などに番組が終わるとき「では
皆さん、よい週末をお過ごしください」といったあいさつをするようになった。【2】このような、一昔前だったらだれも言わなかったあいさつを日本人がするようになったのは、海外との
接触が
飛躍的に増えた結果、Have a nice weekend(holiday)! のような、休みを前にしてのあちらの人々のあいさつの習慣を、日本人が進んで取り入れた結果、起こった言語表現上の変化なのである。【3】
一般的に言ってある言語がそれまで
接触のなかった別の言語と
接触するようになると、そこに
相互の交流が生じ、
双方の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化の起こることが知られている。このような言語変化を、言語学では言語
干渉と呼んでいる。
2. 【4】多くの日本人にとって、
欧米の文化や
風俗習慣は、
依然として自分たちの生き方の目標や
憧れの対象であるようだ。その結果、いま日本語は、日本の国際化という大変動の中で、外国語、特に英語という強大な言語からの
広汎で、しかもほとんど一方的な
干渉にさらされている。【5】さきに述べた新しい週末のあいさつの誕生は、表現形式の領域に起こった
比較的新しい言語
干渉の一例であるが、他のいろいろな分野でも
干渉はすでに数多く起こっている。
3. 【6】しかしそれが最も目立つ形で、しかも一番
広範囲で起こっているのは
語彙の分野である。
普通には外来語と呼ばれて、何かと論議の対象になるタイプのことばは、実は英語を
旗頭とするヨーロッパ諸言語に日本語が
干渉されて起こった言語変化にほかならない。【7】たとえば食堂などで給仕が「水」と言えばよいのに「ウォーター」を使い、「いちご」という美しい日本語があるのに、わざわざ「ストロベリー」と呼んだりすることが、その一例である。
4. 【8】このような外来語の問題は言語の問題であると同時に、それはまた文化文明の問題でもある。【9】人々は単に自分たちの言語に不足する
語彙を補うために外国のことばを求めるだけでなく、そこには異文化に対する
憧れや自己
顕示欲、そしてその文化や言語への接近∵同化の願望といった、
素朴な実用性の見地からだけでは説明のできない多くの要因がからんでいるからである。(中略)
5. 【0】
明治維新とともに日本国内には、それまで見たことも聞いたこともない
新奇な事物がどっとあふれ、旧来のしきたりや
風俗に
替わって、見慣れぬ外国の制度や習慣が急速に拡がり始めた。明治という時代は、
突如として東西の文明が
衝突し交じり合う一大社会変動の
渦巻きに、人々が
翻弄された時代なのである。日本人の言語生活も例外ではなかった。
奔流のように
襲いかかる変革の
荒波を、
欧米の言語とはすべての点で異なる日本語を使ってどう乗り切るかは、新時代における各界の指導者たちに課せられた課題であった。
6. だれでも知っている、それだけに目立つ対応は「バター」や「チーズ」ということばのように、外国語そのものを外来語として使う方法であった。しかし、これに比べるとはるかに目立たず外来語のような賛否の議論の対象になることもほとんどなかった対応の一つは、
既に日本語の骨肉と化していた漢字をいろいろと組み合わせて新語を作るという方法である。たとえば、英語のautomobile carに対応するため、新たに作られた「自動車」のようなものである。(中略)
7.
振り返ってみると、第二次世界大戦までの日本人の生活は、社会的公的な場面では、西洋式を努めて取り入れ、家庭に
戻ると服装から食事まですべてが日本式になり、外国文化は応接間と
称する来客用の特別な部屋に限っておく場合が多かった。このような内と外を区別する生活様式は、日本人が外来の異質な文化を急速に受容せざるを得なかった時代に、一種の社会制度上の
緩衝装置として機能したと思われるのである。
8. それを可能にした要因の一つは、日本に漢字という便利な言語手段がすでにあったことなのである。あらゆる面で伝統的な日本文化とは異なる
欧米の文化を、明治の開国とともに一気に、しかも
広範囲に輸入し消化するとき、高度の文化文明を簡潔に表現する力をすでにもっていた漢字という言語要素が日本にあったということは、幸運なことと言わねばならない。