長文集  7月2週  ★最近、と言っても(感)  mi-07-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】最近、と言っても大分前からのこと
だが、ラジオの音楽番組の解説者が、金曜の
夜などに番組が終わるとき「では皆さん、よ
い週末をお過ごしください」といったあいさ
つをするようになっ た。【2】このような
、一昔前だったらだれも言わなかったあいさ
つを日本人がするようになったのは、海外と
の接触が飛躍的に増えた結果、Have a
 nice weekend(holida
y)! のような、休みを前にしてのあちら
の人々のあいさつの習慣を、日本人が進んで
取り入れた結果、起こった言語表現上の変化
なのである。【3】一般的に言ってある言語
がそれまで接触のなかった別の言語と接触す
るようになると、そこに相互の交流が生じ、
双方の言語の中に相手の言語によるいろいろ
な変化の起こることが知られている。このよ
うな言語変化を、言語学では言語干渉と呼ん
でいる。
 【4】多くの日本人にとって、欧米の文化
や風俗習慣は、依然として自分たちの生き方
の目標や憧れの対象であるようだ。その結 
果、いま日本語は、日本の国際化という大変
動の中で、外国語、特に英語という強大な言
語からの広汎で、しかもほとんど一方的な干
渉にさらされている。【5】さきに述べた新
しい週末のあいさつの誕生は、表現形式の領
域に起こった比較的新しい言語干渉の一例で
あるが、他のいろいろな分野でも干渉はすで
に数多く起こってい る。
 【6】しかしそれが最も目立つ形で、しか
も一番広範囲で起こっているのは語彙の分野
である。普通には外来語と呼ばれて、何かと
論議の対象になるタイプのことばは、実は英
語を旗頭(はたがし ら)とするヨーロッパ
諸言語に日本語が干渉されて起こった言語変
化にほかならない。【7】たとえば食堂など
で給仕が「水」と言えばよいのに「ウォータ
ー」を使い、「いちご」という美しい日本語
があるのに、わざわざ「ストロベリー」と呼
んだりすることが、その一例である。
 【8】このような外来語の問題は言語の問
題であると同時に、それはまた文化文明の問
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題でもある。【9】人々は単に自分たちの言
語に不足する語彙を補うために外国のことば
を求めるだけでなく、そこには異文化に対す
る憧れや自己顕示欲、そしてその文化や言語
への接近∵同化の願望といった、素朴な実用
性の見地からだけでは説明のできない多くの
要因がからんでいるからである。(中略)
 【0】明治維新とともに日本国内には、そ
れまで見たことも聞いたこともない新奇な事
物がどっとあふれ、旧来のしきたりや風俗に
替わって、見慣れぬ外国の制度や習慣が急速
に拡がり始めた。明治という時代は、突如と
して東西の文明が衝突し交じり合う一大社会
変動の渦巻きに、人々が翻弄された時代なの
である。日本人の言語生活も例外ではなかっ
た。奔流のように襲いかかる変革の荒波を、
欧米の言語とはすべての点で異なる日本語を
使ってどう乗り切るかは、新時代における各
界の指導者たちに課せられた課題であった。
 だれでも知っている、それだけに目立つ対
応は「バター」や「チーズ」ということばの
ように、外国語そのものを外来語として使う
方法であった。しかし、これに比べるとはる
かに目立たず外来語のような賛否の議論の対
象になることもほとんどなかった対応の一つ
は、既に日本語の骨肉と化していた漢字をい
ろいろと組み合わせて新語を作るという方法
である。たとえば、英語のautomobi
le carに対応するため、新たに作られ
た「自動車」のようなものである。(中略)
 振り返ってみると、第二次世界大戦までの
日本人の生活は、社会的公的な場面では、西
洋式を努めて取り入れ、家庭に戻ると服装か
ら食事まですべてが日本式になり、外国文化
は応接間と称する来客用の特別な部屋に限っ
ておく場合が多かった。このような内と外を
区別する生活様式は、日本人が外来の異質な
文化を急速に受容せざるを得なかった時代に
、一種の社会制度上の緩衝装置として機能し
たと思われるのである。
 それを可能にした要因の一つは、日本に漢
字という便利な言語手段がすでにあったこと
なのである。あらゆる面で伝統的な日本文化
とは異なる欧米の文化を、明治の開国ととも
に一気に、しかも広範囲に輸入し消化すると
き、高度の文化文明を簡潔に表現する力をす
でにもっていた漢字という言語要素が日本に
あったということは、幸運なことと言わねば
ならない。