長文 4.1週
1. 【1】脳の研究をしていてしばしば
尋ねられることの一つが、頭の良さは遺伝で決まるのか、それとも
環境で決まるのか、といういわゆる「氏か育ちか」の問題である。
2.
一卵性双生児を対象とした研究などによれば、知能指数といった指標で測られる知性に
与える遺伝子の
影響は大体半分くらいらしい。【2】しばしば、保守的な人は遺伝子の、リベラルな人は
環境の
影響を重視する
傾向があるが、そう簡単に政治的立場だけで決めつけられる問題でもない。遺伝子の
影響が全くないはずはないし、育てられ方で変わらないはずもない。【3】天才科学者の子どもが必ず天才になるわけではないし、親が勉強
嫌いでも、子どもは向学心に燃える、ということはある。氏と育ちは、半々くらい、というのは、私たちの常識的なセンスに照らしてみても、
妥当な線である。【4】別の言い方をすれば、今の科学の水準では、そのような「常識的なセンス」を
越えるような結論は得られないということになる。
3. それにしても、「頭の良さは、遺伝か、それとも育てられ方か?」と質問されて、「氏と育ちは半々である」と答えるだけでは、あまりにも芸がない。【5】何よりも、学問としての深みがない。何かもっとうまい答え方はないものか、と折に
触れて考えていた。
4. 先日、
漫画家の
萩尾望都さんと対談した時のことである。打ち合わせの時に、
萩尾さんが、「今日は
茂木さんに、遺伝子と
環境、どっちが重要なのか、
お尋ねしたいと思っています」と言われた。【6】さて、これは困った、と思った。何時ものように、「半々なのですよ」と答えるのでは、あまりにも芸がない。
萩尾さんのようなカリスマ
漫画家には、もう少し気の利いたことを言いたい。何とかしなければ、と思いながら
廊下を歩いているうちに思いついた。【7】人間、追いつめられると何とかなるものである。
5. 人間の知性の本質は、その「終末開放性」(open ended ness)にある。そのことが、「氏か育ちか」ということを考える上で、本質的な意味を持つと直覚した。【8】このアイデア一つの向こうに、様々な問題群が広がっていることもすぐにわかり、私∵はほっとすると同時に
嬉しかった。「半ばは遺伝で、半ばは
環境である」といった回りくどく「政治的に正しい」言い方の不自由さにはない、学問的広がりがそこにあるように感じたからである。
6. 【9】人間の脳は、心臓と同じで、休むことがない。それに
伴って、脳内の回路は一生学習をし続ける。大人になっても、脳の組織が完成して固定化してしまうことなどなく、神経
細胞のシナプス結合のパターンは
生涯の間変化する。ここまで回路ができあがったら、それで完成ということはないのである。【0】
7. 従って、人間の脳の回路が、遺伝子によって決まっていたとしても、その「完成形」は原理的に存在しないことになる。たとえその最終的な「落ち着きどころ」(物理的に言えば、「熱力学的準安定状態」)が存在したとしても、せいぜい百年の
寿命しかない人間の
生涯では、そのような最終形を取るには至らない。人間の才能が、仮に遺伝子によって完全に決定づけられていたとしても、私たちはその最終的帰結を見ないままに、死んでいってしまう。内なるポテンシャルを十全に発揮しないうちに人生が終わってしまう無念は、アインシュタインやモーツァルトのような天才も、
凡夫も変わることがないのである。
8. 人間の知性は、いつまで経っても完成形を
迎えることのない「終末開放性」をその
特徴としています。だから、たとえ、遺伝子によってかなりの部分が決まっていたとしても、実際的な意味では決まっていないのと同じなのです。遺伝子によって決まっているという運命論など気にすることなく、前向きに生きれば良いのです。
9. 対談中、そのように
萩尾さんに申し上げたら、「ああそうですか」とおっしゃる。それから、「じゃあ、
茂木さんのクローンを百代続けて作れば、遺伝子に
書き込まれていた帰結が見えるのかしら」と
畳みかける。それはそうかもしれないが、単純にクローンを作成するだけでは、脳回路はリセットされてしまうから、最初からやり直さなければならない。本格的にやろうとすれば、クローンをつくる時に百
歳の私の脳回路を「コピー」しなければならないが、そんな技術はもちろん存在しません。そう申し上げて、対談を
切り抜けた。
10. (
茂木健一郎『欲望する脳』)
長文 4.2週
1. 【1】子どものころ、「道草をしてはいけません。」とよく言われたものである。学校から家に帰るまで道草をせずに、まっすぐに帰るようにと言われる。しかし、子どもにとって道草ほどおもしろいものはなかった。【2】落葉のきれいなのを見つけると拾って友人と比べっこをしたり、
蟻の巣を見つけて、そのあたりで働く
蟻の様子を見てみたり。それに何よりも興味があったのは「近道」である。【3】大人の目から見ると、それは
迂路であり道草にすぎないのだが、何とか「近道」を見つけて、どこかの家の裏庭に
入り込んだり、時には
畠を
踏みつけたと
怒られて
逃げまわったり、まったくスリル満点のおもしろさであった。
2. 【4】今から考えてみると、このような道草によってこそ、子どもは通学路の味を
満喫していた、と思えるのである。道草をせず、まっすぐに家へ帰った子は、勉強をしたり仕事をしたり、マジメに時間を過ごしたろうし、それはそれで立派なことであろうが、道の味を知ることはなかったと言うべきであろう。
3. 【5】ある立派な経営者で、
趣味も広いし、人情味もあり、多くの人に尊敬されている人にお会いして、どうしてそのような豊かな生き方をされるようになりましたかとお
訊きしたら、「
結核のおかげですよ」と答えられた。
4. 【6】学生時代に
結核になった。当時は的確な
治療法がなく、ただ安静にするだけが
治療の手段であった。
結核という病気は意識活動の方は全然
衰えないので、若い時に他の若者たちがスポーツや学問などにいそしんでいることを知りつつ、ただただ安静にしているだけ、というのは大変な苦痛である。【7】青年期のいちばん大切な時期を
無駄にしてしまっている、という考えに苦しめられるのである。
5. ところが、自分が経営者となって成功してから考えると、
結核による「道草」は、
無駄ではなかったのである。
無駄どころか、それはむしろ有用なものとさえ思われる。【8】そのときに経験したことが、今になって生きてくるのである。人に
遅れをとることの
悔しさや、
誰もができることをできないつらさなどを味わったことによって、弱い人の気持ちがよくわかるし、死について生についていろいろ考え
悩んだことが意味をもってくるのである。【9】このような生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、∵その道の味を知ることがないのである。大学合格という「目的」に向かって道草などせずにまっしぐらに進むことが
要請されているようであるが、実際に入学してきた学生で、入学してから頭角をあらわしてくるのを見ていると、受験勉強の間に、それなりに結構「道草」をくっていることがわかるのである。【0】そんなことあるものか、と思われそうだが、このあたりが人間のおもしろいところで、道草をくっていると、しまったと思って
頑張ったりするから、全体として案外つじつまの合うものなのである。
6. こんなことを考えたのも、実は
漱石の『道草』を読み直す機会があったからである。主人公の男性は、何かと
奥さんと
すれ違いをし腹をたてたり
悔んだりしている。昔世話になった養父というのが現われて金をせびりに来る。
今更かかわり合う筋合いではないとわかっているのだが、何となくかかわり合ってしまう。
奥さんから見れば、けじめをつければいいのに、ということになるし、それが正しいこととわかっていながら、何のかのと
厄介なことが続く。
7. これは、日常、どこの家でも見られるゴタゴタがただ
淡々と
描かれているだけのようにさえ思われる。主人公の男性は学者であり、学問的にしなくてはならないことをたくさん
抱え込んでいながら、このような日常のゴタゴタで「道草」をくわされてしまっているのだ。
8. ところが、この『道草』を読んでいると、そのような現実をじっと
眺めている、高い高い視点からの「目」の存在が感じられてくるのである。それは、まったくたじろがずに、すべてのことを見ようとしている。自分が正しいのか妻が正しいのか、などという判断を
超えて、現実をそのままに見ている。そのような目の存在を感じると、『道草』に
描かれている日常のいわゆるゴタゴタなるものが、まさに「道」そのものの味をもっていることがわかってくるのである。
9. 道草によってこそ道の味がわかると言っても、それを味わう力をもたねばならない。そのためには
漱石の『道草』ほどまでにはいかないとしても、それを
眺める視点をもつことが必要だと思われる。
10. (河合
隼雄『こころの
処方箋』より)
長文 4.3週
1. 【1】他の痛みは自分と「関係ない」という心は、逆に、自分の痛みは痛がって、それを友や、親や、先生や、社会など、他の責任にして八つあたりする心と、共存しているような気がします。【2】同じことでも、
解釈によって、自分の心を
励ますこととできるのに、いつも、悪く悪く
解釈して、逆うらみや、ねたみや、敵意でこわばってしまうのでは、自分で自分の人間としての成長をはばんでいるようなものです。【3】「それで、あなたは幸福ですか。」そういう声が聞こえます。「人のために何かする」という「何か」は、もとより「よいこと、役に立つこと」「よろこびとなること」をさしています。【4】どんな人の心の中にも、「人をよろこばせて自分もよろこぶ」人間らしいうれしい心があります。これは、「そんな気持ち、ちっともないよ。」なんて、悪ぶっていばってもだめです。【5】必ず、自分の気づかない心の底に、宝物のように
輝く美しい心が横たわっています。
2. (中略)
3. 【6】もし、まだそんな気持ちを味わったことがないとお思いなら、ぜひ、自分の中に
眠っている、すこし
鈍感で
怠け者の宝ごころを
掘り起こしてください。
揺りさましてください。【7】「あ、こんな気持ちがあったのか。」「ちょっとうれしいなあ。」
4. お金もほしい。物もほしい。異性の関心もほしい。親の
庇護や、先生の真心もほしい。【8】けれど、そういうものより、何より、もっともっとうれしいのが、この「自分
発掘の幸福感」、いいかえてみると、「自分の悪意とたたかって、自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ」だと思います。
5. 【9】でも、この人間だけが味わえる、本能以上のよろこびは、不断の努力のあげくに、ふっと感じられるもの。このわずかな
瞬間の、深い感動が味わいたくて、人は自分を訓練するのでしょう。【0】
6. (
岡部伊都子の文章による)
長文 4.4週
1. 【1】じつは私は二〇代前半まで、旅行好きというには程遠かった。身体を動かすことは
大嫌いで、部屋にこもって音楽を
聴いたり本を読んだりするのを好む人間だった。旅らしいことといえば、東京から大分までの帰省を毎年三回ほどするくらいだった。
2. 【2】ところが、大学院でフランス文学を勉強しはじめたころから、フランスに行ったことがないのでは話にならないという気になりはじめた。そこで、
奨学金を貯め、親にも
援助してもらって、一九七七年の三月、初めてフランスを訪れた。【3】まだ成田空港は開港しておらず、パリもまだオルリー空港を使っていたころだ。格安料金の
大韓航空機を利用して、ソウル、アンカレジ周りで二四時間以上かけてパリに行った。ついでに、ドイツ、オーストリア、イタリアにも足を
伸ばすことにした。
3. 【4】そして、ヨーロッパでしばらく過ごすうち、フランスという国に関心を持つという以上に、旅行そのものに目覚めてしまったのだ。
4. 旅行の最大の楽しみ、それは「
驚き」と「うろたえ」だ。
5. 外国の観光地を見る。生活を見る。そこで行動して、人間に
触れる。【5】これまでと
違った価値観に
遭遇する。日本にいて予想していたのとまったく
違う光景、まったく
違う反応に出会う。そして、
驚き、うろたえる。
6. 日本人としては、それでもなお日本式の生活をしようとすることもある。だが、そうすればするほど、困った事態に
陥る。【6】だが、それがまた楽しい。それまで絶対的に真実と思っていたことが
揺らぎ、これまでの価値観が
揺り動かされる。
7. 最初の旅行でまず
驚いたのは、道を歩くのは、きれいに
着飾った白人のパリジャンやパリジェンヌばかりではないということだった。【7】そもそもパリは白人だけの都市ではなかった。私はモンパルナスの一つ星の安ホテルを基点にしてパリ見物をはじめたが、歩く場所によっては、目に入る人間の一〇〇パーセントが有色人種だということも
珍しくなかった。【8】地下鉄に乗っても、有色人種のほうが多いということがしばしばあった。しかも
着飾っている人は少ない。ジーンズに革ジャン姿が
圧倒的に多い。日本で予想していたような上品な白人はめったに見かけない。∵
8. 数日後、フォブール・サントノレを歩いた。【9】日本でいえば銀座のようなところだ。そこで初めて頭の中で想像していたパリの光景に出会えた。エレガントなパリジェンヌがいた。
9. そこで気がついた。
貧乏学生である私がほっつき歩いていたのは、貧しい地域だったのだ。【0】そこには、貧しい白人や有色人種が多かった。フランスは階層社会だったというわけだ。しかも、すでにフランスにはアラブ系、アフリカ系の移住者が
押し寄せ、その人たちが新たな下層社会を作り上げていた。(中略)
10. 最初のヨーロッパ旅行で、私はこのような光景を見るうち、旅というものの楽しさを知ったのだ。そして、それが病みつきになり、その後、時間とお金に少し
余裕ができてからは毎年のように海外旅行に出かけた。
11.(中略)
12. ときには異文化のなかにかつての日本と同じような光景を見かけて、人間の
普遍性を痛感することもある。日本とまったく文化の異なるフランスでも、日本人と同じような反応にしばしば出会った。一九九四年には友人とラオスに行って、メコン川の川原で
凧揚げをして遊ぶ子供たちを見て、四〇年前、九州の片田舎の川原で遊んだ自分の姿が重なった。
13. 私は、旅行での様々な
驚きやうろたえや失敗の経験を書き
綴ってきた。
14. もちろん、この程度の旅で大旅行家などとはいえない。私はたかだか三〇
ヵ国を旅行したに過ぎない。私よりもたくさんの旅行をし、たくさんの経験をした人は多いだろう。
15. だが、私は幸い、ほかの人よりも自由な仕事についていたため、勝手気ままにあちこちを動き回ることができた。冷戦時代の
東欧六
ヵ国を
含む六〇日間の
新婚旅行、
朝鮮民主主義人民共和国(
北朝鮮)旅行、カンボジア旅行などにも出かけることができた。しかも、
好奇心
旺盛で、なおかつおっちょこちょいときているので、あちこちで少々危険な目にあった。そして、そのおかげで、自分の目でその時代その時代の社会を見て、様々な経験をし、
驚き、うろたえることができた。今となっては、これは私の財産といえるものだ。
16. (
樋口裕一『旅のハプニングから思考力をつける!』)
長文 5.1週
1. 【1】「
好奇心」という言葉は、おもしろい言葉である。それは読んで字のごとく、「
奇を好む心」であるが、その「
奇」というのは、変わったこと、つまり、日常の
環境、自分がすっかり適応している
環境、自分が
馴れ親しんでいる
環境と異質なもののことである。異質だからこそ、「
奇」と感じられるのだ。
2. 【2】ここでぼくは、あらためて生きるということの逆説的な構図を痛感せざるをえない。人間は生きるために
環境に適応しなければならないのだが、ひとたび
環境に適応してしまうと、こんどは
環境にすっかり慣れてしまったということが、逆に生きるという実感を失わせてしまう。【3】つまり、生きるための
刺激がなくなることで、生命の力がすっかり
弛緩してしまうのだ。別言すれば、そのような無重力状態が、生きるためのエネルギーを吸いとってしまうわけである。【4】チンパンジーが
退屈のあまり精神的な障害をきたすというのは、そうした生命力のまったき
弛緩を意味しているのである。チンパンジーでさえそうなら、人間はなおのことである。したがって、
好奇心とは、そうした生命力の
弛緩に対するカンフル注射のごときものと考えてもよい。
3. 【5】よく、都会には強い
刺激がありすぎるという。けれど、右の事情を考えれば、それはきわめて当然のことといわなくてはならない。都会というのは、人間を自然から守る装置が
幾重にも張りめぐらされている場所のことである。【6】だからディズモンド・モリスは現代の都会のことを「人間動物園」と呼んでいるのだ。動物園のように手厚く自然から、あるいは野性から保護されているからである。いきおい、都会に住む人間からは
抵抗感が失われてゆく。【7】自然に対する
抵抗感、すなわち適応への努力こそが生きる実感を人間に
与えるのだが、それがなくなれば、人間は何かべつのものをそれに代えなければならない。そうしないと、チンパンジーのように
退屈のあまり病気になったり、異常な行動をはじめたりして、あげくの果て、死んでしまいかねないからだ。【8】都会の
刺激というのは、その
代替物なのである。
4. これに対して、田舎ではそのような
刺激を必要としない。なぜな∵ら、農村や、山村や、漁村では、人間に
抵抗感を
与え、適応への努力を強いる自然の力がまだ十分に働いているからである。【9】けれど、もし田園が都会同様に自然からの保護
施設をたっぷり持つようになれば、そこもまた、自然の力の代役をするなんらかの
刺激を必要とすることになるだろう。日本では、ほとんどの場所がそうなりかけている。【0】
5. したがって都会の
刺激というのは、第二の自然、へんないい方になるが、人工的な自然と考えてよかろう。つまり、文化とか、人間がつくり出すさまざまな情報といったものは、人間がいきるため、
抵抗するための
擬似自然なのである。
6. ところで
好奇心の「
奇」とは、そもそもは自然現象の「
奇」であった。自然に適応して生きてゆこうとするとき、適応するために、よりいっそうの努力が要求される事象、それが「
奇」と感じられたのである。
7. おなじことは都会の
刺激、すなわち文化現象についてもいえる。一応、出来上がった文明・文化のなかに住むぼくたちにとっての「
奇」とは、あまり聞いたことのない人工的な
音響であるとか、ふだん見なれない
人為的な形であるとか、いつもは考えたこともない事象だとか、そういったものである。音楽や絵画などの創作活動や芸術の
享受が前二者なら、新聞や雑誌で知らされるさまざまな情報が後者である。
8. だから、これらすべてをふくめて人間にそれらを伝えるマスメディアは、いってみれば、人間に適応を強いる第二の自然の役割を担っているわけである。つまりマス・コミュニケーションの世界とは「文化のジャングル」なのだ。そのジャングルのなかで、適応能力を欠いたものは
脱落する。現代社会における教育システムは、文化のジャングルのなかでの適応を教えるシステムといってもよい。だとすれば、その中心機能は、人間が本来持っているはずの
好奇心を育成することでなければならない。
長文 5.2週
1. 【1】子どもとは何だろう。そして、子どもが大人になるとは、どういうことだろう。思うに、それはこうだ。子どもは、まだこの世の中のことをよく知らない。それがどんな原理で成り立っているのか、まだよくわかっていない。【2】では、大人はわかっているのだろうか。ある程度は、そうだ。大人はわかっている。しかし、全面的にわかっているわけではない。むしろ、大人とは、世の中になれてしまって、わかっていないということを忘れてしまっているひとたちのことだ、とも言えるだろう。
2. 【3】ソクラテスはかつてこんなことを言った。世の識者たちは、自分がだいじなことを知らないということに気づいていない。つまり、わかっていないということを忘れてしまっている。それに対して、自分は、知らないということを知っている。【4】つまり、わかっていないということを忘れていない。この点で、世の識者たちよりも自分のほうがものごとがよくわかっている、と言えるだろう、と。
3. 【5】「知らないということを知っている」ことを、「無知の知」という。知っていると
思い込んでいるひとは、もう知ろうとしないだろうが、知らないとわかっているなら、なお知ろうとしつづけるだろう。知ることを求めつづけるこのありかたを「フィロソフィア」という。【6】「フィロ」とは愛し求めることであり、「ソフィア」とは知ることである。つまり、「フィロソフィア」とは、知ることを愛し求めることを意味する。これが、
哲学という言葉の語源だ。
4. だとすれば、子どもはだれでも
哲学をしているはずである。【7】子どもは、たしかに、自分が知らないということを知っている。ただ、子どもはソクラテスとちがって、たいていの場合、大人たちもほんとうはわかっていないのに、わかっていないということがわからなくなってしまっているだけだ、ということを知らない。【8】そして、「大人になれば自然にわかる。」とかなんとか言われ、わかっていないということがわからない大人になっていくのだ。
5. 大人だって、対人関係とか、世の中の不公平さとか、さまざまな問題を感じてはいる。【9】しかし大人は、世の中で生きていくということの前提となっているようなことについて、疑問をもたない。子どもの問いは、その前提そのものに向けられているのだ。世界の存在や自分の存在、世の中そのものの成り立ちやしくみ、過去や未来の存在、宇宙の果てや時間の始まり、善悪の真の意味、などなど。【0】こうしたすべてのことが、子どもにとっては問題である。
6. 子どもは、ときに、こうした疑問のいくつかを、大人に向けて発するだろう。だが、たいていの場合、大人は答えてはくれない。答えてくれないのは、問いの意味そのものが、大人には理解できないからである。かりに答えてくれたとしても、世の中で適用している∵たてまえを教えてくれるか、何だか知らないがそうなっているのだよ、と率直に無知を告白してくれるか、そんなところだろう。子どもは、問うてみても
無駄な問いがあることをさとることになる。
7. つまり、大人になるとは、ある種の問いが問いでなくなることなのである。だから、それを問いつづけるひとは、大人になってもまだ「子ども」だ。そして、その意味で「子ども」であるということは、そのまま、
哲学をしている、ということなのである。
8. (
永井均『子どものための
哲学』による)
長文 5.3週
1. 【1】ある種の動物では、群れをなして生活している個体と個体の間に交信行動がなされていることが知られている。また、人間とイヌなどの間でも交信行動は認められる。飼い主が飼い犬に対して、物を投げて取ってこいと指示したり、飼い犬が飼い主に対して、ほえたり、衣類を引っ張ったりして食べ物を求めたりするのがこの例である。【2】しかし、伝達できる内容の
範囲はごく
狭く限定されている。
2. 動物
相互間、人間と動物間の交信行動は、ごく貧しいものであるが、人間
相互間で交わされる言語は、これらとは
比較にならないほど豊かなものを持っている。
3. 【3】人類学者によると、地球上のいかなる種族でも、それぞれの言語を持っていると言われる。言語は人間であることの重要なしるしなのである。我々自身の生活を考えればすぐ理解できるように、言語は人間の生活に深いかかわりを持っている。
4. 【4】第一に、我々は日常、多くの人に接し、意志や感情を伝達し合っているが、そのほとんどは言語を
媒介としたものである。
身振りや顔の表情などによる、言語を用いない伝達方法もあるが、「これらはしばしば不確実なものになりやすい。【5】言語を通して
相互の正確なコミュニケーションが可能なのである。
5. 第二に、言語を持つことによって、人はその経験を豊かにし、知識を広げることができる。人が自分で直接に見たり聞いたりできる
範囲は、ごく限定されたものである。【6】遠い昔の歴史上のことや、行ったことのない国の様子について知ることができ、イメージを
描くことができるのは、我々が言語を持っているからである。一つの問題について他の人が研究した論文や著書を読み、それを理解することによって、
更に自分の研究を発展させていくことができる。
6. 【7】四、五
歳の幼児が、三、四人集まって昨日の夕方見たテレビのマンガについて話し合っている。どこでも見られる光景であるが、これが可能になるのは、昨日見たマンガの内容を理解し、それを
記憶し、そのことを相手に分かるように言語で伝えなくてはならない。【8】幼児たちに共通に理解し合える言語が、ここになければならないのである。たまたまこの幼児の一人が昨夕のテレビを見ていなかったとする。その子は友達の話を聞いて、マンガの筋を理解し、それが今晩見るときの助けにもなるのである。∵
7. 【9】第三に、我々は、言語の助けを借りて事物を認識し、思考している。何か考えるときに、人は発声はしなくても言語を用いている。世界の様々な言語は、必ずしも一対一に対応させることのできる単語を共通に持っているわけではない。【0】例えば、
一人称単数の代名詞は、英語では常にアイと言うが、日本語では、相手との関係によって、私、ぼく、おれなどと様々に変化する。日本語の場合、
一人称単数の代名詞は、相手との関係の親密さの度合いなどに基づいて
選択されるのである。
言い換えれば、私、ぼく、おれなどのうち、どの言葉を
選択するかということによって、相手との人間間係に対する認識が明確になるのである。
8. 英語では男の兄弟
一般を示すブラザーという言葉が使われるが、日本語では、自分から見て年長か年少かということが意識されやすいので、兄と弟という言葉が使われる。また、兄弟が相手の名前を呼ぶときには、米国では、ほとんど呼び捨てか、名前を短縮したような
愛称で呼んでいる。我が国では、法律の上ではきょうだいが全く平等になった現在でも、年少の者は年長のきょうだいを「おにいさん」「おねえさん」などと、親に対する場合と同じような
普通名詞で呼んでいる。このような言葉の使い方の中に、日本人の人間関係の特色が反映しているのである。
9. (
詫摩武俊の文章による)
長文 5.4週
1. 【1】昔の人の脳と、いまの人の脳は、どう
違うか。
2. 昔の人の骨と、いまの人の骨、これはどう
違うか。私が現物について、いくらか知っているのは、骨のことでしかない。その骨から考えるなら、四、五万年前このかたの人類は、根本的にはいまの人と同じ骨をしている。【2】だから、
その頃から現代まで、人は同じような脳をしていたに
違いない。そういう結論になる。
3. それ以前の人は、どうか。それなら、人類学でいう旧人、すなわちネアンデルタール人のことになる。これはもう、いまの人とは、骨がはっきり
違っている。【3】実際に旧人は、われわれとは、脳がかなり
違っていたのではないか。私はそう疑っている。
4. では、旧人と、いまのわれわれ、すなわち新人は、どこが
違うか。最大の
違いは、新人におけるシンボル体系の存在と、その豊富さであろう。【4】要するに、お金とかお守りとか、
賭け事とかバクチとか、科学とか宗教とか、芸術とか演劇とか、それ自体は実用に役に立たず、約束事で成立するもの、そういうものが、旧人にはあまりなかったと思われる。
5. 【5】われわれが常識としているような種類の言語、これも旧人では欠けていたか、不十分だった可能性が高い。そう私は考えている。ことばは、シンボル体系の典型だからである。
6. 見てきたわけでもないのに、そんなことが、なぜわかるか。【6】それは、それに関する遺物が、旧人の
遺跡からは出てこないからである。クロマニョン人、すなわち新人になると、
突然、
洞窟の
壁画が出てきたりする。あんな見事な絵は、私にはとうてい
描けない。あるいはお守りらしい、わけのわからぬ細工ものが出る。【7】それが旧人だと、石で作った
刃物の類ばかり。これは実用性が高い。道具を見るかぎり、ある程度以上古い時代の人たちは、たいへん実用的だったということになる。
7. それでは面白くない。昔の人には、いまの人にない
超能力でもなかったのか。【8】それは、さまざまなマンガに
描かれているから、そういうものを見てくださればいい。いまの人が
超なんとかを好むのは、いつも思うのだが、自然への感受性を失ったからであろう。自然を見ていれば、それ自体がほとんど
超能力に見える。【9】∵よく考えてみれば、不思議なことばかりなのである。もしその具体例を、自分の経験から思いつけないとすれば、あなたはすでに自然への感覚をほとんど失っている。自然がもはや不思議とは思えなくなっているからである。【0】
8. さてそれが、同じ新人のなかでの昔の人といまの人、そのいちばん大きな
違いであろう。自然の実在と、自然の不在。いまの人はおおかた人工
環境に住む。これはなんでもないようだが、人間の思考をすっかり変えてしまうはずである。そこには自然がない。あるのは、人の作ったものばかり。まわりがすべてそれなら、人はそれだけを考えるようになる。それしか、ない。
9. そうなると、脳はどうなるか。わが世の春であろう。人工
環境とは、脳が作ったものだからである。脳は脳のなかに住む。それ以外のものは、
邪魔だ。こうして、われわれ現代人の持つ脳は、脳のなかに置かれた脳、それだけになった。
10. じつはそれは、脳だけではない。同じ新人でも、古い骨を見ると、ずいぶんと
使い込んであることがわかる。たとえば
噛むことに関係する部分は、昔の人では、たいへんよく発達している。それに比べて、現代人はほとんど「
家畜」といってもいいであろう。固いものなど、子どもの
頃から
噛まない。
11. 現代人は、水や食物を探しに行く必要はない。ただ冷蔵庫をのぞけばいい。したがって、そういうものの、自然の「ありか」に対する感覚はない。気温は調節されてしまう。だから身体が調節する必要はない。そうした生活でできあがるのが、われわれの脳である。それはきまりきった生活に慣れた、
家畜の脳であろう。
12. 人は多くの動物を
家畜化した。次はもちろん人間の番である。私は頭骨を二つ、机の上にいつも置いている。一つは
野蛮人のもので、もう一つは、
家畜人のものである。長いあいだ置いておくと、どうしても
野蛮人の骨のほうが、骨として見事だという気がしてくる。だから、私が
贔屓するのは、
野蛮な脳である。私の感覚が、おそらく
野蛮なのであろう。
13. (養老
孟司『脳のシワ』)
長文 6.1週
1. 【1】人間に自由がなければ人間はかえってほんとうに幸福であったかもしれません。だれでも、一生に一度ぐらいは、青い空をなんの苦労も知らぬげに自由自在に飛びまわっている鳥にでもなってみたいと考えるのではないでしょうか。【2】鳥にも外敵は
襲うでしょう。
餌をあさるのに骨を折ることもあるでしょう。しかし、本能のままに動いている鳥は、おそらくそのために
思い悩むこともありますまい。ところが、人間はすでに自由をもっているのです。どんな人でも、いやおうなしに、自分で
行為を決定しなければなりません。【3】人生の苦労はすべてここから生じている、ともいえるかもしれません。
2. ひまさえあれば
寝て暮らしても少しも
悔いを感じない人は、そうした生き方がよいのだという考え方によって、その
行為を選んでいるのです。【4】また、自分の利害ばかり考えて、ひとのことを少しも思いやらずに
行為している人は、自分の利益だけをはかればよいのだという考え方の上に立って、
行為を行っているのです。
3. 【5】しかし、たとえそれが人間にとって不幸であるにしても、人間が自由をもっているということはどうしようもない事実なのです。われわれがこれにたいしていかに苦情をいったところで、どうなるものでもありません。われわれは、ただこの事実を認め、その上に立って
行為するほかはありません。
4. 【6】だが、人間がみずからの自由によって
行為を
選択しなければならないとすれば、そこにわれわれはどうしても自分の
行為選択するための原理を考えないわけにはいきません。【7】むしろ、われわれは、
行為を
選択するばあい、必ずなんらかの原理をもち、それにしたがって
行為を
選択しているのだということができましょう。
5. 【8】フランスの
哲学者サルトルは、「人間は自由の
刑に処せられている」といっています。まさに自由は人間のもって生まれた宿命なのだ、といえましょう。人間であるかぎり、われわれにはこの宿命からのがれる道はありません。われわれはこの宿命を
甘受してゆくほかはありません。∵
6. 【9】こうして、人間は、自由によって
行為している以上、どうしても
行為を選びその生き方を決定する根本的な考え方をもたないわけにはゆかないのですが、この考え方がいわゆる人生観ないし世界観というものです。そして、この人生観・世界観がすなわち
哲学にほかなりません。【0】
7.(
岩崎武雄の文章による)
長文 6.2週
1. 【1】ある時、
荘子が
恵子といっしょに川のほとりを散歩していた。恵子はものしりで、議論が好きな人だった。二人が橋の上に来かかった時に、荘子が言った。「魚が水面にでて、ゆうゆうとおよいでいる。あれが魚の楽しみというものだ。」
2. 【2】すると恵子は、たちまち反論した。「君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずないじゃないか。」
3. 荘子が言うには、「君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。」
4. 【3】恵子はここぞと言った。「僕は君でない。だから、もちろん君のことはわからない。君は魚でない。だから君には魚の楽しみがわからない。どうだ、僕の論法は完全無欠だろう。」
5. そこで荘子が答えた。【4】「ひとつ、議論の根元にたちもどってみようじゃないか。君が僕に『君にどうして魚の楽しみがわかるか』ときいた時には、すでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知っていた。僕は橋の上で魚の楽しみがわかったのだ。」
6. 【5】この話は禅問答に似ているが、実は大分ちがっている。禅は、いつも科学のとどかぬところへ話をもってゆくが、荘子と恵子の問答は、科学の合理性と実証性に、かかわりをもっているという見方もできる。【6】恵子の論法の方が荘子よりはるかに理路整然としているように見える。また、魚の楽しみというような、はっきり定義もできず、実証も不可能なものを認めないという方が、科学の伝統的な立場に近いように思われる。【7】しかし、私自身は科学者の一人であるにもかかわらず、荘子の言わんとするところの方に、より強く同感したくなるのである。
7. 大ざっぱにいって、科学者のものの考え方は、次の両極端の間のどこかにある。【8】一方の極端は「実証されていない物事は一切、信じない。」という考え方であり、他の極端は「存在しないことが実証されていないもの、起こり得ないことが証明されていないことは、どれも排除しない。」という考え方である。
8. 【9】もしも、科学者の全部が、この両極端のどちらかに固執していたとするならば、今日の科学はあり得なかったであろう。デモク∵リトスの昔はおろか、十九世紀になっても、原子の存在の直接的証明はなかった。【0】それにもかかわらず、原子から出発した科学者たちの方が、原子抜きで自然現象を理解しようとした科学者たちより、はるかに深くかつ広い自然認識に到着し得たのである。「実証されていない物事は一切、信じない」という考え方が窮屈すぎることは、科学の歴史に照らせば、明々白々なのである。さればといって、実証的あるいは論理的に完全に否定し得ない事物は、とれも排除しないという立場が、あまりにも寛容すぎることも明らかである。科学者は思考や実験の過程においてきびしい選択をしなければならない。いいかえれば、意識的・無意識的に、あらゆる可能性の中の大多数を排除するか、あるいは少なくとも一時、忘れなければならない。
9.(中略)
10. 今日の物理学者にとって最もわからないのは、素粒子なるものの正体である。とにかく、それが原子よりも、はるかに微小なものであることは確かだが、細かく見れば、やはり、それ自身としての構造がありそうに思われる。しかし実験によって、そういう細かいところを直接、見わけるのは不可能に近い。ひとつの素粒子をよく見ようとすれば、他の素粒子を、うんとそばまで近づけた時に、どういう反応を示すかを調べなければならない。ところが、実験的につかめるのは、反応の現場ではなく、ふたつの素粒子が近づく前と後だけである。
11. こういう事情のもとでは、物理学者の考え方は、上述の両極端のどちらかに偏りやすい。ある人たちは、ふたつの素粒子が遠くはなれている状態だけを問題にすべきだという考え方、あるいは個々の素粒子の細かい構造など考えてみたってしようがないという態度を取る。私などは、これとは反対に、素粒子の構造は何らかの仕方で合理的に把握できるだろうと信じて、ああでもない、こうでもないと思い悩んでいる。荘子が魚の楽しみを知ったようには簡単にいかないが、いつかは素粒子の心を知ったといえる日がくるだろうと思っている。
12.(湯川秀樹『物質と思考』より)
長文 6.3週
1. 【1】わたしはかねてから昔の日本に形見分けという
風俗のあったことを、ゆかしいことと思ってきた。死者の遺言で、あるいは
跡取りの裁量で、死者の所有物をその思い出に生者に分かち
与える。
大抵は死者の日常使用していた道具や品物、着物などだが、もらった者はそれを大事にしながら死者の
記憶を新たにする。【2】むろんそこに人間喜劇はあり、
2.
3. 形見分け初めて
嫁の欲が知れ
4. 泣きながら眼を見張る形見分け
5. といった面白い光景も見られるわけだが、ともかく
遺贈してまた使うことのできる物がここにはあったのである。【3】着物はほどいて洗い張りし仕立て直せば、自分の
身丈にあったものとして生き返る。
硯のいいものなら世代から世代へ何百年でも伝承されうる。
欅の
長火鉢、
頑丈な茶ダンス、
桐のタンス、
桑の針箱、文箱、小物入れといったものに、
江戸人は買うとき「一生物」というつもりで思い切って金をかけた。【4】その代わりそれらの物は
生涯の
伴侶として大事に使いこまれて、物としての値打ちを増したのである。
6. わたしはそういう永続する物に囲まれていた
彼らの生活を想像する。気に入ったいい品物というのは物であって物ではない。生活に欠くべからざる
伴侶である。【5】それなしには生活の
充足が得られないものだ。
7. だから大事に使いこみ、
拭き、
磨き、そうやって人間の使用のあとをのこすことで物としての価値が上がる。
茶碗などの
陶磁器だって博物館などのガラス戸の中に置かれていては死ぬのである。【6】大事に使うから
輝きを増し、また使えば使うほどよくなるそういう品物だけをもつことを、
彼らはよしとしたのだ。
8. それにくらべると現代のわれわれは物こそ
彼らと
比較にならぬくらいもっているが、はたしてそういう意味での
生涯の
伴侶となった物をいくつもっているだろう。【7】回りを
見渡せば、われわれのも∵っている物の多くは、買った日が最高であとは一日使えば使うごとに価値の減ってゆくものばかりである。クルマ、電気製品、合板材の家具、ガス器具、いやその家屋そのものが商品としてせいぜい二、三十年しかもたぬ代物だ。【8】昔のように三代四代もの用に
耐える、住めば住むほど味の出てくる家づくりではないのである。
9. すべてがこれまた実にイヤな言葉だが
耐久消費財などと呼ばれるもので、五、六年からせいぜい十数年の使用を前提にした製品、所有し使用し
廃棄し、また
購入するサイクルに組みこまれた商品ばかりだ。【9】永続するものなど一つもない。何年かすれば大型ゴミ捨て日に出す以外ないもので、むろんこんなもののどれ一つとっても
恥ずかしくてとうてい形見分けになど出せやしない。走行五万キロの車などだれがもらってくれるものか。【0】
10. と、そういう目で見ると現代のわれわれの生活は一見いかにもゆたかげで便利に快適にできているが、よく見れば永続しない一時性の品物の上に成立していることがわかる。現代の生活が目の安らぎと落ち着きを欠いた、仮のもの、一時しのぎのものといった
感触から
逃れられないのは、一つにはわれわれがそういう性格の物たちに囲まれているためということがあるに
違いない。長もちしない、数年すれば必ず消えてゆく物たちを相手に、本当の物と人間の付き合いの生じるわけがなく、物への親しみも生じず、生活に本物の落ち着きのできるわけはないのだから。
11. その点から見れば昔の人は、生活は今のように便利でも快適でもなかったかもしれないが、はるかに気もちの上ではゆったりとし、暮らしをいとおしんでいただろうという気がする。そしてそういう単純だが
充実した生活のほうが、たえず物の
誘惑に
刺激され物への欲望のやむときのない現代生活よりずっと上等な生活のように、わたしには思われるのである。
12. ヨーロッパにも遺産
贈与の
風俗があった。死んだらもち物を自分の愛していた者たちに
遺贈する。アンピール様式の
寝台だの、曲線を組み合わせたロココ様式の
椅子、
頑丈な
戸棚や机などは、古くなれば古くなるほど価値の増す芸術品のようなものだから、
贈られるのは一財産もらったと同じであり、また次の一代、大事に使うことになるだろう。それはまたその物を通して個人の生活をひきつぎ、その人をしのぶよすがにもなる。
13.(出典『日本の美徳』中野孝次)
長文 6.4週
1. 【1】ところが、そのキツネザルにすら、「ことば」もどきは存在する。例えば
彼らの天敵にあたるような
捕食動物が近づいてきた場面を
思い描いてみよう。そういうとき
彼らは独特の声を出す。この声を耳にすると、周辺にいる仲間(同種個体)はただちに自らの身を守る
防御反応を行う。【2】結果として群れに危険の接近を周知する機能を実行しているところから、
警戒音と命名されている。
2. ただし、天敵の種類はさまざまである。大別しても、空からやって来るものと、地表から来るものとがある。それによって
防御の手段の講じ方も、おのずと異なってくる。【3】空からの場合は、地表近くへ身を
伏せた方がよい。だが、もし地表から危険が
迫ってきているのに、空からのときのように
逃避を
企てると、とんでもないことになる。
3. そこで
淘汰圧が働き、キツネザルは複数のタイプの
警戒音を出すにいたったのだった。【4】例えばAとBという二種類の声が存在するとしよう。空から
捕食動物がやってくるとAの声を出す。すると、聞いた仲間は地表へ
逃げる。他方、地表から敵が来るとBの声を出す。その際は、仲間は木の上へと
逃れる。
4. 【5】AもBも、
警戒警報である。ただしAは空からの危険、Bは下からの危険を意味している。これは、ほとんど単語による表現に近い。そういう観点では、
彼らも記号的コミュニケーションを行っていることになる。
5. 【6】それどころか、
彼らの方が人間よりも、厳密に仲間の発する音声を記号的にとらえているのである。ヨーロッパの昔話で、いつもいつも「
狼が来た」とウソを村人に伝えて
驚かせては喜んでいた少年の物語というのをご存知だろう。【7】村人たちは、はじめは信じこんでびっくりしていたが、そのうち
誰も信じなくなった。あげくのはてに、本当に
狼が来ても
誰にも助けてもらえず、羊を食べられてしまった少年のエピソードである。
6. ああいうことは、キツネザルでは起こらない。【8】
彼らだったら
極端なケースとして、一〇〇万回「
狼が来た」といわれても、やはり
逃げることだろう。
警戒音の認識に、音以外の手がかりは∵
介入しない。ともかく身の危険にかかわることだから、少々いかがわしい情報であっても、とりあえず信じた方が安全、という発想が働く。【9】サルの理解の仕方は、
柔軟性に欠けるのだ。
7. 「
柔軟性を欠く」と書くと、
融通がきかず頭が悪いみたいに聞こえるかも知れない。しかしシグナルの記号としての意味作用に忠実であるという意味では、人間より
抽象度の高い認識を行っていると
言い換えることもできなくはないのではないだろうか。【0】
8. 人間は、過去の経験にもとづいて、ことばの意味理解を変えていく。反対にこのことは、発話を行う側も、常に相手に聞き入れてもらえるよう
配慮して話をすることを意味している。そして、聞き手は相手がこちらを意識して話をしていることに気づいている以上、その意図を
把握しつつ、発話内容を
吟味する。
9. 考えてもみよう。「君は、よく勉強するね」といわれたにせよ、それが字面通りの
誉めことばなのか、「勉強しない」ことへの皮肉なのかは、文字の配列から判断することは不可能に近い。相手の顔色を読み、
状況を
斟酌し、あるいは話し手の
普段の言行を参照しなくてはならない。
10. つまり言語理解というのは、意外なほど記号的でなくて、反対に相手の心を読む(発話を手がかりに心理を推測する)過程であることがわかる。むしろサルの方がよっぽど厳密に記号類別に
依拠して情報伝達を行っているのだ。
11. ところが、最近の日本人を観察してみると、そのコミュニケーションはこの言語進化の進んできた方向を逆行しているように思えてならない。つまり、ことばのメッセージを常に記号として
把握する
傾向が高まっている。そして、そういう認識の仕方をサルが実行している以上、サル的な方向へとコミュニケーションのスタイルを変えてきたという結論にたどりつくのだ。(中略)
12. こうみてくると、昨今の日本人のコミュニケーションの
特徴である「サル化」とは、すなわち語用論能力の
衰退と表現することができる。そして、その
傾向の背景としては、社会のIT化、人間同士の情報伝達がケータイのような代物への
依存度を大きく増したことが考えられるのだ。
13. (正高信男『考えないヒト』)